先日、五十番さんにお邪魔したついでに思い立って、記録用に撮影してきました。
まじまじと近寄って見たのは、仕事の関係でずいぶん前に一度あったので、これが2度目です。
場所は、水光園の手前、国道と電信通りが合流する三角地です。
お菓子の名前の由来でもある、「開墾のはじめは 豚と一つ鍋」の文字が刻まれています。
『晩成社と開拓移民』(市勢要覧より抜粋)
…帯広の本格的な開拓は、依田勉三と鈴木銃太郎が調査に入った翌年の明治(1883)16年5月に、依田勉三率いる「晩成社(明治15年1月、現在の静岡県松崎町で結成)」一行27人が、下帯広村に入植したことから始まります。
…晩成社が帯広に入植した10年後の明治26年には、現在の国道38号沿いに集落が形成されました。その後明治28(1895)年、北海道集治監十勝分監の開庁とともに、受刑者によって大通(当時は監獄道路と呼ばれた)が整備され、市街地誕生の基礎となりました。…
帯広・十勝の開拓は、北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく、晩成社をはじめとする本州からの民間の開拓移民により進められたのですね。