嫌だァァァァ(((((┏ ’ω’)┛
夢 怖かった・・・・・・・
さぁ~寝よっと
2006年6月6日、不吉な数字が並ぶこの日に「オーメン」という映画が公開されました。
VIDEO
これは、フィクションか、それとも現実ともなりうる予兆なのか?
映画の中で「ダミアン」と呼ばれている男・・・忌まわしき者にして神の反逆者。
呪われし者でありながら、地上を支配することを許された。
そして、人類を破滅に追い込み奈落の底へ叩き落とす・・・
2006年6月6日。
奇しくも不吉な数字6が3つ並ぶこの日に、悪魔の刻印を背負った男がこの世に生を受ける・・・
そんな都市伝説が、あたかも古代から語り継がれてきたかのように、今、世界中がジワジワと暗雲のように覆いつくそうとしています。
映画「オーメン』といえば、1976年に第1作目が公開され、全世界を恐怖の渦に巻込んだホラー映画。
『オーメン』(The Omen、1976年) 『オーメン2/ダミアン』(Damien: Omen II、1978年) 『オーメン/最後の闘争』(Omen III: The Final Conflict、1981年) 『オーメン4』(Omen IV: The Awakening、1991年) 『オーメン』(The Omen、2006年)(R-15指定) 2006年6月6日に5作目を数え、このときは敢えて第1作目と全く同じタイトルで公開されました。
主人公は、勿論、呪われた悪魔の子「ダミアン」。
「ヨ八ネの黙示録」第13章は、やがて世界を支配する「獣」と呼ばれる男の出現を警告し、最後にこう書いてあります。
「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」 人間を指すという「666」という数字には、いったいどんな意味が込められているというのでしょうか?
映画の中では、執拗に命を狙う人間と、体をはって守ろうとする取り巻きらの激しい抗争を通じ、幼くして聡明な主人公ダミアンが、やがて自が預言された獣であることに気づきます。
証拠は頭皮にあり、髪に隠れてましたが、そこには生まれつきの奇妙なアザがあり、それは悪魔の数字「666」だったのです。
呪われた運命を背負っていることに気づいたダミアンは、魔王の声が導くまま成長し、ついには米国大統領顧問に就任し、世界の覇権を握ることになりました。
ここに恐ろしい現実があります。
映画はフィクションですが、預言は実在しているということです。
「聖書」の言葉は神の言葉。(実際は、その多くが神の言葉ではありませんが)
それを信じる人間によって、言葉は命を得て、世界を動かしていくのです。
「ヨハネによる福音書」には、「言葉は神である」とあります。
人間にとっては偶然とも思える事象も、神の目から見れば必然であり、預言の成就・・・ということは、ある意味、2006年6月6日という日付は、人智を超えた「天のしるし」だったわけです。
事実、キリスト教とは無縁とされる日本もまた、この年、皇紀2666年を迎えたのです。
「数奇」といった言葉があるように「数」という文字には「運命」という意味があります。
運命「666」の2006年6月6日から、いったい何が始まっているのでしょうか?
聖書にあるように、賢い人は悟らねばなりません。
全人類を支配し、地獄へと導く反キリスト「ヨハネの黙示録」に預言された「獣」が2006年6月6日より活動を開始しています。
この「獣」とはいったい何者なのでしょうか?
『ヨハネの黙示録』第13章11~18節には、こう書いてあります。
11)わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。 :12)そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。 :13)また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。 :14)さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。 :15)それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。 :16)また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 :17)この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 :18)ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。 この意味とは、いったい?