3月11日一回目の「地震」 山でバーカー(皮むき機)で作業をしていたので気が付かなかった。
3時過ぎ2回目の地震の時、休憩をしていてユンボが揺れていて地震に気づき電話をするが通じない。
時が経つにつれ その地震の全容が徐々に明らかになってくる。
現職を退き4年の歳月が過ぎ 現在は予備自衛官ではあるが
数日後に、関係機関である地協から安否確認と併せ招集の意思確認の電話が入る。
私はといえば、今まさにログの建て前計画の真っ最中であったが、「いつでも 招集に応じます!」と応える。
現在も被災地は大変な状況であるが、少しずつ光が見えてきたような気もしている。
それにしても、未だかってない未曾有の自然災害にテレビを見ていると、なんともいいようがない気持ちになりながら現在の自分の仕事に鞭を打つ。
寒い野外での作業と危険なログの建築作業・・でも、暖をとる事も食事も出来る。
きつい作業であるが、被災者の状況を思うと何でも出来る。
やっと、念願であったログの屋根かけまで事故無く漕ぎ着けた。
頼みもしないのに、仲間のT氏やTA氏も平日にも関わらず作業の手伝いに来てくれる。
そんな中、予てから予約のあったキャンパーさんが5人でやって来る。それも、車4台で。
現場は、まさに建て前が終わったばかりの状況 受付も出来ずに先ずはバンガローにご案内
いつもなら、写真を撮ったりしているのに ユニックで野地板を上げたり 複数でやらなければいけない作業があって出来ずじまい。
キャンパーさんは昨年の今頃(平日)4人で来られたリピーターキャンパーさん。 確か「熟年キャンパー 4人衆」でアップしたと思うが今回は1名多く5人衆だ。
気になりながら見ていると バンガローで落ち着いてから皆さんスノーシューを履いて森の南測方向へトレッキングにお出かけ。
作業現場も5時には終了しユニックを返納し 夜の7時頃に仲間のTA氏とコニファーに戻る。
皆さん暖をとりながら、BBQハウス内で宴の真っ最中!
山小屋で少し落ち着いてから写真を撮りに行くと歓待を受け先ずは乾杯!
皆さん、まるで少年のように仲間と楽しんでいました。
翌朝は、バンガローの上で朝食作り
なんでも 朝食前に上の方に散歩に行ってきたようです。
今後は、「熟年キャンパー」をあらため 「少年隊(軍団)」に命名したいと思います。
少年隊の面々