6月18日、ついに帰宅拒否をしたタツオ。
生活環境をすっかり変えられてしまったことやその他タツオにとって嫌なことが積もり積もった結果だったと思います。
扉の下をくぐるのを怖がりました。去年10月には担当者の不注意でサブの扉が首の後ろに下りてきたこともあり目撃した来園者が園に通報しました。その後も来園者が見ていないところで何があったかわかりません。
担当者の姿を見ると怯えたように後ずさりしました。
6月20日、帰宅拒否をし続け9か月ぶりにメイン放飼場に出ました。
タツオが室内展示室からメイン放飼場に駆け出て行く姿に多くの来園者が涙しました。
寒帯館オープン以来、ずっとここを歩いて来たタツオです。嬉しかったと思います。
タツオの息抜きのためにもしばらくメイン放飼場に置いてあげてほしかったですがトレーニングのためにそれは許されませんでした。頻繁に体調を崩し、帰宅拒否までしている高齢個体をこの段になっても解放しないという園側の姿勢はタツオに対して残酷なものでした。
まもなくサブと寝室だけの暮らしに戻され、朝、室内展示室に出すこともまた帰宅拒否されては困ると中止になりました。
7月にはサブ放飼場の出入り口の真上には散水用のホースが三角に大きく突き出して設置され、前月に背中から水を浴びた経験のあるタツオはホースを見上げては警戒していました。
草は伸び放題で行きたい方向へも行けず相変わらず憐れな生活でした。
タツオは尾を掴まれるのを嫌がり暴れた時期もあったようですが、帰宅拒否をした頃には無麻酔採血はできており、獣医全員が採血できるようにと毎日入れ替わり尾に注射針を刺していました。もちろん失敗することもあります。尾をがっちり掴まえられ毎日注射針を刺されることが、高齢の身に何のストレスも与えていなかったと言い切れるでしょうか。
8月4日、久しぶりに室内展示室に出てきたタツオ。
タツオが大好きな木曜日でした。木曜日は優しい代番さんの日、甘えることができました。トレーニングもなくのんびりとマイペースで過ごせる日でした。
その日は午後からもサブに出て、草食みをしたり散歩をしたり普通に過ごしていましたので、まさかこの二日後の6日から絶食状態になり、この2週間後に他界するなど全く想像できませんでした。
水しか飲まなくなってから4日目にやっと掲示がありました。
餌に薬をまぶして与えているため、食べなくなると投薬もできず一気に体調は悪化します。
ずっと寝室で臥せっていたタツオですが、8月11日、しばらくぶりにサブの扉を開けてもらうと、まともに動かなくなった後足を引きずり前足の力だけでやっとの思いで外に出てきました。絶食6日目になっており、園側もたぶん出ては来ないと言っていたにも関わらず、驚異的な気力を見せました。この日も木曜日でした。
距離は歩けないのですぐ入り口の前に座ったり横になったりしながら、一時間ほど外の空気を楽しんでいました。
これがサブで見る最後のタツオの姿となりました。
8月13日、絶食から8日目。寝室内で時々水飲みに移動する姿が見えました。扉は開放されていてももう外に出てくることはタツオ自身が諦めていました。
寝たきりになり褥瘡ができたら安楽死と早くから園側は言っていました。
この後、8月15日までは水飲みにやっと立つことができていましたが、16日からは寝たきりになりました。
8月17日のお昼頃には呼吸が苦しくなり顎をあげてしまい、ここで扉は閉められました。見ることができた最後のタツオの姿でした。
この夜、タツオは息を引き取りました。死亡時刻は公表されていません。
褥瘡はありませんでした。
オスのアムールトラ国内最高齢だったタツオ。享年19歳4か月。
大きな星がひとつ消えました。
奪われた自由を求めて旅立ったのでしょう。
8月18日はやはり木曜日でした。
タツオは最後の最後まで精一杯円山に貢献しました。
採血トレーニングはタツオ自身にとっては何のメリットもありませんでした。数値を調べたところで腎不全は従来からの投薬治療しかないからです。
爪切りはできないまま終わりました。
タツオの生活を制限し体調を崩させながらも継続した結果、なし得た無麻酔採血。獣医師たちはタツオの忍耐のおかげで得られた経験を他の個体の健康管理に生かしていく義務があります。それがタツオへの唯一の供養です。
余計なことをせず前担当者時代のような清潔・快適・平穏な生活環境を維持し、メイン放飼場を歩かせて脚力の低下を予防していれば、まだ生きられたと思います。
今回タツオが危ないとわかってから役職者たちがわざわざ職名入りで公式ブログを更新しましたが、タツオの最後の二年間を不憫なものにした穴埋めにはなり得ず、高齢動物の扱いとして適切であったかという大きな不信感を残しただけでした。
繁殖適齢期を過ぎたアイの繁殖をまだ諦めていないため、新しいオスの導入を急ぎたかった園側にとってタツオの長寿は歓迎されていなかったはずです。『日本一長寿のオスのトラです。持病がありますが頑張っています。応援してね』というような長寿を称える掲示が一切なかったところに本音が現れていました。
タツオの存在は、華やかな献花台が物語っていたように偉大なものでした。全国の多くの人たちがタツオを悼み涙しました。
肝心の担当者初め園側がタツオの偉大さを正当に評価していなかったことがタツオの全ての不幸の根源でした。
終