今日の北日本新聞にこんなニュースが掲載されていました。
「喜んで逝った」信じる 県内、救急隊に蘇生中止要請
自分の最期をどう迎えるか、というのは
誰しも思うことでしょう。
ピンピンコロリ、などという言葉もありますが、
みながみな、そういう最期を迎えられるわけではありません。
遺される配偶者や家族に
なるべく負担をかけたくないと望まれる方も
とても多くいらっしゃることかと思います。
ですが医師には治療をする義務というものがあります。
本人の意思がはっきりしない場合には
たとえどのような形にせよ
延命措置を採らざるを得ない、というケースは当然あります。
リンクのニュースの場合には
生前からの明確な意思=リビングウィルがあり、
それを担当医がきちんと把握してくださっていたおかげで
ご遺族にとって後悔のない見送り方ができたとのことです。
しかしながら、その明確な意思というのが
口頭ではなかなか伝わらないということがあります。
どこまでを自分が望み、
どこからは望まないということについて
それぞれの意思を明確にしておくことも
いわゆる「終活」のひとつと言えるでしょう。
どう生きるか、ということとどう死ぬか、ということは
正反対のように見えて実は一体不可分なのかもしれません。
私の両親も、その思いから
リビングウィルを最近書面にしました。
権利や意思に関する書面の作成は行政書士の業務の一つですが
行政書士としてそれを手伝えたことを
ひそかに嬉しく思ったりしております。
遺される方の心身の負担をできるだけ軽くしてやりたい、
懸命に治療に当たってくれた医療関係者が
治療の義務と意思の尊重の狭間で苦しまないようにしてほしい、
リビングウィルはそのための書面でもあります。
人生の最期における自分の希望を
できるだけ明確にしておきたい、
リビングウィルのお手伝いを当事務所が誠心誠意お手伝いします。