20111021(金)

伍長

伍長

元KYBの森川伍長から手作りのカボチャ ジャガイモが届いた、円満退職?されてから悠々自適の生活で朝はゆっくり起床で日中は家庭菜園を満喫して夕方上がって来てゆっくりとお風呂、一日2杯の酒を飲み早めの就寝。これこそ理想だよね?本当かなぁ~???



20111020(木)

特攻隊

特攻隊

我が町我が家にもホットスポットがあるが、現場ではそんなもんじゃないんはずだ、こんな記事があった。
福島第1原発周辺にあったひとつのがれきが、毎時10ミリシーベルト以上の放射線量を放出していた。5分間で一般人の年間許容量を突破する。無人の重機は使えない場所。待機所で沈黙を破ったのは若手の男性作業員だった。

 「俺、1週間で切り上げるんで行きます」

 現場では敬意を込めて彼らのことを「特攻隊」と呼ぶ。30年以上原発関連の仕事に携わり、いまも福島第1原発で汗を流すベテラン作業員は「彼みたいな若者はたくさんいるよ」と明かす。

 原発事故を受け、政府は作業員の被曝(ひばく)線量の基準を年間250ミリシーベルトに引き上げたが、多くの会社では年間50ミリシーベルトが被曝線量の基準。若手作業員は滞在を短くすることで、被曝線量をクリアすることに決め、無事にがれきを撤去した。
明けて午前4時。星空に月が輝く中で旅館内の電灯がともり始める。5時ごろ、貸し切った旅館の食堂に集まり始める作業員は夜とは打って変わって無口だ。ハムエッグ、納豆、みそ汁をかっ込み、バナナを懐に入れる。会社から支給される弁当を手に、いざ原発に向かうバスへ。

 「誰かが行かなきゃいけねえんだ」。そう笑いながら話す男性作業員(40)の目は真剣そのものだった。
感謝しなくちゃいかないなぁ~ 御苦労様です。



20111019(水)

一期一会

一期一会

突然に飛騨高山の銘酒が送られてきた。1976年若かりし頃に行ったサザンクロスラリー、そこで一緒に戦った戦友の手綱君からだった。震災以来いつも心配してくれて原発が爆発したときには「お~い早くにげて来い!!」とせっかく誘ってくれた。それ以降も慰め励ましてくれた。35年も前のラリーで一緒になった事が60歳を過ぎた今でも心の支えになっているうれしいことだ。まさに一期一会の心境。
それにしても若いみんながいるよね、誰だかわかるかなぁ~~



20111018(火)

そのあとで

そのあとで

ラリーが終わったそのあとはただ単に放射線の高い福島市に帰るだけ、秋田とか放射線の関係ない所に行くとなぜか気持が落ち着くのは爺様だけだろうか?でちょうどお昼時東北道の長者原サービスエリアに立ち寄った。天ぷらそばを食べた後に向かったのは同地内にある「化女沼」ラマサール?条約だっけ 何か自然がいっぱいの所らしいが行ってみたらただの大きな池だった。82君とよちろ~君もちょいの間のハイキング?楽しんだみたいだ。チャンチャン



20111016(日)

ラリーの

ラリーの

今日は北秋田市で行われた「どんぐりナイトラリー」にお手伝いで行って来た。今回のラリーの競技長は昔ランサーのNAクラスで活躍した石川さんだ、競技長が大変なのはみんなが知っているが窓の外のスタート風景を見ながらあれやこれやと指示を出していた。彼がやっと昼ご飯にありつきこんな恰好での昼食となってしまった。石川さん本当に御苦労様でした。



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