2024320(水)

名著

野村 駿『夢と生きる バンドマンの社会学』岩波書店 2023年

現代の日本社会において若者と人間関係を構築するための知見を求めている大人に、きわめて有効な内容を提供する作品。

「・・・・・標準的ライフコースという「望ましい」生き方は、それから外れようとする若者を決して手放すことなく、多くの葛藤と不安を与え続け、ある者はそれを払拭しようと夢追いに邁進することで逆に夢が追えなくなり、またある者はそれが耐えきれなくなって夢を諦めていることがわかる。標準的ライフコースは、その縮小や崩壊が指摘されて久しいが、今なお「標準性」と「規範性」を併せ持っており、だからこそ、それから外れて自らの人生を自らの手で形作ろうとする若者たちの〈生〉を大きく制限しているのである。ここに、標準的ライフコースの抑圧的側面が指摘できる。」(同書248ページ)

 この本を読んで中野重治『村の家』「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。」の一節を思い出しました。



202386(日)

すごくご無沙汰しております

ご無沙汰しております。皆様におかれましてはいかがお過ごしですか。僕はなんかすごく暑い毎日が続きましたのでバテ気味です。でも仕事の後のbeerが美味しいのなんのって(笑)。
 昨日、児美川 孝一郎『キャリア教育がわかる』誠信書房2023年を読みました。わかったこと・再確認したことは下記です。

・学校がキャリア教育に取り組む理由は,児童・生徒・学生の皆さんをよきサラリーマンにするためのものではない。
・キャリア教育が目指すことは①こどもたちが「社会に出ていく力」を獲得すること、②国が若者就労問題の深刻化に取り組むこと、③子どもたちの学習意欲を向上させることである。
・キャリア教育には「正解」はどこにも存在しない。こども・若者を徹頭徹尾「主体」に据え、彼ら彼女らを困難に立ち向かう主体へと育てていかなければ成り立たない営みであ
る。
・キャリア教育は職業的自立だけでなく、社会的自立に向けた教育でもあり、ライフキャリア全体にかかわるキャリア発達を促すという役割がある。

 本書は教育現場で実際にどのようにキャリア教育を形にしていくのかを、学習指導要領や教育法規と実際に関連づけながら検討されていて、そのなかで明らかにされた、理論的・歴史的・実践的にたいへんすぐれた知見を提示しています。

 ここからは個人的意見です。僕的には、子どもが大人になる過程においては文学・芸術、あるいは映画のなかにもいろいろタメになるものがあるんじゃないかなと、大学時代に授業をサボっての高田馬場の映画館での思い出(笑)とともに感じています。すぐれた文学作品を読み感動する機会を一人でも多くの子どもに提供する契機をどう構築するか。その際にはどのような社会的仕組みが有効なのか?少し長いけど『赤と黒』なんかこんな時代だからこそ価値があるんじゃないかなと個人的に思っています。文学・芸術、あるいは映画は決して一部の人々のためのものではないはず。あと、地方と首都圏では必要とされるキャリア教育の内容に差異が存在するような気がします。児美川先生も本書で言及されておりますがそれぞれの地域の実情も取り入れたというか。

 キャリア教育はもしかしたら、現在の大人にこそまずは必要なんじゃないかなと感じています。



20211010(日)

いい本です!

児美川孝一郎 『自分のミライのみつけ方』旬報社2021年

児美川孝一郎教授(以下 教授)は同書で5つの視点を提示している。
① フツーを疑おう 「これがフツー」「これが幸せ」といったことについての「当たり前」を疑ってかかろう。
② 「やりたいこと」の呪縛を解き放とう 夢や目標などにとらわれすぎない。
③ 働くことのイメージを豊かにしよう おそらくきみは、働くことについてある種の固定的なイメージを持っていると思う。そこを思いきって突き崩していく。
④ 社会の変化を受け止めよう 今、世の中は劇的に変わっている。それをきちんと知ることも、新しい視点を持つことになる。
⑤ 発想を変えれば、学校の勉強はじつは役に立っている 今は信じられないかもしれないけれど、ぜひ読んでみてほしい。
新しい視点を手に入れることは、今より自由になれるということだ。親や教師といった身近な大人たちだけでなく、この社会全体に巣喰い、今でも影響力を持っている古くさい常識やら価値観から自由になれるという意味でもある。

いつも、教授のご高説はごもっともと僕は思います。特に職業柄、⑤の視点は重要だと思います。一人ひとりの若者たちが(もちろんおじさん・おばさんたちも含めて)勉強して職業的能力や市民的能力(地域の諸問題を民主的に解決していく能力)を高めることはその当人もさることながら、世の中もよくなることにつながることでしょう。そのためにも勉強をよく理解できるための道筋を解明するよう努力し、それによって得られた成果を自分自身の責任ではない理由で学業不振・学業忌避に陥っている子どもたち(未来の創造者)にこそ伝達することが、今の教育関係者の喫緊のめっちゃ重要な課題であると僕は思いました。

おせっかいですが勉強のアドバイスを一つ。特に外国語を勉強する時は、辞書を引きましょう。紙辞書を!

利用者の立場に立った辞書は決して単語集ではありえない。単語は文の中でしか生命を持ち得ないのであり、従って連語関係の脈絡の中で個々の単語の意味を明確にすることを本来の使命とすべき辞書は、単語集の対極に位置するものだからである。
            小学館 ロベール仏和大辞典より



2021412(月)

良き統治

ピエール・ロザンヴァロン 宇野重規 解説『良き統治 大統領制化する民主主義』 みすず書房 2020年

今年の1月までトランプ氏がアメリカ合衆国大統領であった。この事実は僕にとって大きな謎です。USAの有権者は何を考えて、彼にどのような政治を託したのだろうか、ということがよく理解できないでいます。異国の問題だから関係ないとよというスタンスもあるかもしれませんが、自国のさまざまな政治的混迷もあって、やっぱ、考えていかなければならない問題事項であると僕の意識の中で結構引っかかっています。そんな中で、同書を読みました。ピエール・ロザンヴァロン教授はポピュリズムが生み出される政治的土壌を、僕がいままで読んだ本の中でいちばんわかりやすく論じています。以下に、僕がポイントと感じた内容をまとめてみました。

・はたして独裁化するポピュリズム政治家の暴走に、有効な歯止めを打ち立てることはできないのだろうか。その上で、現代社会における人々のニーズに応える、新たな民主主義の展望はありえないのか。今日の世界において目につくのは、ポピュリズムと独裁的な指導者たちである。既製政治のゆきづまり、とくに政党政治の不振に対する不満の増大は、政治家を含むエリート層への批判を加速させている。ポピュリズム政治家の多くは、伝統的な政党組織を「中抜き」にして直接有権者に訴えかけることを特徴としている。硬直化した政党組織では汲み取れない人々の不満や不安に訴え、その支持をエネルギー源に自らの影響力を拡大していく。時として、彼ら彼女らは伝統的な人権尊重や権力分立の原則さえ軽視し、情報操作や隠蔽によって政治的公開性を踏みにじる。自らに批判的なメディアを激しく攻撃するなど、言論の自由を顧慮することもない。

・ロザンヴァロン教授はフランス革命まで遡りフランスの政治状況を検討しつつ、ワイマール共和国からナチスの独裁に至った歴史的事実なども射程に入れて、政治史、政治思想史の研究を通じて、民主主義と民主主義思想の軌跡を把握するという方法で、不確実な未来における民主主義の新たな姿を展望している。

・被治者のものとなる民主主義(dèmocratie d’appropriation)のために重視しなければならない要素は、
理解可能性、統治責任、応答性の三つである。

・理解可能性は、社会とそれを動かすメカニズムを実質的に理解する企てへと向かわせる。そして、それは、市民が公共機関の活動を自分たち自身で把握する可能性のことでもある。これにより、個々人が真のシティズンシップと呼びうるような状態に置かれるだろう。真のシティズンシップとは、実際の社会関係や再配分のメカニズム、さらには平等社会の実現が直面する諸問題について理解を深めることである。その目的は、単なる情報の利用可能性を超えて、社会を解釈することにあるのだ。この可能性を高めるためには、学校、メディアが重要な役割を担う。とりわけ、メディアは、単なる、量的水準ではインターネットが失わせてしまった実践的かつ民主的な中枢性を取り戻すことになる。情報が溢れる世界にあって、彼らに情報の序列化や解説の仕事に貢献してもらうことは極めて重要である。

・統治責任は、権力の保持が選挙から直接帰結するとしても、権力の行使の方は、認証とチェック(これらは継続的なものである)についての別種のメカニズムと関連付けることを認める方法の一つである。それゆえ統治責任は、被治者と統治者の関係を構築する主要な要素である。それは、統治者をコントロールの諸形式に服せしめることによって被治者に権力を再び付与する。統治責任を負うということは、実際、このような制限を実質的なものとする手続きに統治者が従うということである。別の仕方で、統治責任を理解すると、「企図的な意志」、「再帰的な意志」を区別することを含意する。企図的な意志とは、エネルギーと想像力として、抵抗を打ち破り、逆境に打ち勝ち、持続的であろうという決意として理解できる。歴史上、それを体現した典型的な人物は、例えば、「意志の食人鬼」と呼ばれたナポレオンである。再帰的な意志は、社会を貫く紛争、不平等、不和、偏見を露わにするために考察する。それらを万人に見えるものとし、それらを公的な議論の対象とするためである。この場合、統治者の履行約束は、より公正かつ自由で、より平和化された社会を打ち立てるために、社会が自分自身に対して行う共同作業に関わるものとなる。再帰的な意志の力は、社会に対して、己の実際の構造が己をどのように身動きできなくさせているかを知覚させ、そのことによって社会改革を実現させる(語源的な意味での「改革」)、という能力と結びついている。それゆえ再帰的な意志の行使は、明晰に状況を判断する作業とも関わる。

・応答性
 今日、地球上のどこであっても、市民は、自ら選んだ者たちに自分の声が届いているとか、代表されていると徐々に感じなくなっている。市民が投票の際に表明した意見は、議会の内奥に消えていき、統治者たちは〔市民の意見に〕聞く耳を持たないようにみえる。他方、いまや、ごく普通の市民の意志は、ソーシャル・ネットワーク上でバラバラに表明されるだけである。その意志表明は、圧力集団の利益に巧妙に操作されているか、あるいは不明瞭な抗議表明に退行している。このように、統治者の感受性の欠如と、衰弱した市民の意志表明が同時に結びついている。
これから、社会が権力を己のものにするということは、統治者を自動的に[社会の]後見下におくという、委任の観念から帰結すると想定されてきた様式(周知のように、それは決してうまくいかなかったのであるが)とは別の様式において実現される。まずは、{政策の}正当化を強制されることと、{政策に関する}情報を循環させることによってこそ、権力は今や社会に歩み寄ることができる。そして同時に、市民は、物事をよりよく理解し、今の争点を認識し、自分たちの体験に言語表現と意味を与えるための手段を与えられたとき、自分がより強いと感じる。なぜなら[権力との]距離感や[権力を]不当に奪われたという感情は、無知に由来するからである。逆に、その機能がより分かりやすく、より正確に説明を行う権力は、傲慢さを失う。権力は透明になればなるほど、構造的にますます傲慢でなくなる。だから、市民が情報や知識の循環に関与していると感じるとき、実際、彼らは、統治者と新しい関係を築いているのである。市民は、権力を「奪取」したり、権力に「命令」することによってではなく、権力を再定義し、それを別様に機能させるよう促すことによって、権力を己のものとするのである。こうして相互作用の民主主義においては、社会的な権力の新しい政治的な配置-「エンパワーメント{capacitation}」-が実現される。

・民主主義が機能する条件をめぐる議論を、より強固な共同性を生み出す条件の理解へと架橋しながら、民主主義そのものをめぐる仕事として把握することが重要である。

最後まで、読んでくださいましてありがとうございます。「で、結局、お前何がわかったのよ」という問いが胸の中に起こっています。その問いには、「民主主義はいろいろ問題を含んでいるが、だけど、全然意見の異なる人々とも議論しながらも、それらの問題を解決して進んでいくしかない。民主主義において間違った判断もなされる場合もあるかもしれないが、政治においての、思想、行動、制度としての土台は、これしかないということがわかった。」と僕は答えます。ブルデューもすごいけど、ロザンヴァロン教授もすごい。(同等比較級的)このことを、今の僕は感じております。



2020524(日)

いかがお過ごしでしょうか?

Herbert.A. Simon 『WHAT WE KNOW ABOUT THE CREATIVE PROCESS』

このところ、御多分に漏れず家にいる時間が多くなっています。気が置けないメンバーと、生ビールでもがんがん飲んで、むしゃくしゃした気持ちを何とかしたいですが、こればかりはどうもなりません。一日でも早く、そのようなことが可能な日常がもどってくれることこそが、今の僕の切なる願いです。
そこで、以前よりずうーと気になっていた論文を読むことにしました。この論文を知ることとなったきっかけは、影山喜一先生の『ゲーム社会』中央経済社1989年のなかで取り上げられていたからです。今はいい時代です。ネットで簡単に論文をダウンロードできます。高校卒業程度の英語力とすこしばかりの根気、そして、経営学や科学に対する興味があれば何とか読み終えることができます。あと、いい英和辞典がどうしても必要です。阿部一先生の『アドバンス フェバリツト』東京書籍がおすすめです。はっきり言って、この論文に書かれている内容を、僕も十分に理解したとはいえません。暮らしの問題を少しでも解決するための心的態度をgrade up したい方は、ぜひ紐解いてじゃなくダウンロードしてみてはどうでしょうか。

経営学を勉強された方ならば、一度は必ずSimon教授のお名前は聞くことになる大先生です。『経営行動』が著書として有名です。1978年にノーベル経済学賞を受賞されております。Simon教授は本論文において、創造性という問題を天才の属性としてではなく、社会科学の対象として議論しています。歴史に残る大発見もわれわれ一般人が日々日常で行う小さい発見も基本的には同じであるという前提で議論が行われております。以下が、僕が注目したポイントです。
・ その行動が創造的であると判断されるためには、斬新性があり、interestingでかつ社会的価値を有しているときである。
・ 斬新性とは文字通り世界で新しく、その発見者に対して新しいということを意味する。
・ パスツール(1822~95年 フランスの細菌学者)は以下の言葉をのこしている。
「チャンスは準備されている心におくられる。」
・ 専門家として働くには、その創造性に対して事前に要求される知識や努力として、10年間の歳月と5万チャンクの知識がひとつの目安となる。
・ 経営者が必要とされる5万チャンクの知識の内容としては、第一には、組織内での人間の行動についての知識、組織がいかに機能するかについての知識。第二には、組織の仕事の内容についての知識(それはその産業についての広く特別なもの、あるいは会社や工場についての個別的であるかも知れない内容)などがあげられる。
・ 経営者は一人では完全に把握することができない内容をその仕事に含むために、以下の三つの戦略を発展させる。第一には、部下たちとの多様なコミニケーション・チャンネルを用いた情報交換が促進されるように仕向ける。そのことによって、単一の専門性に囚われるということを回避できる。第二には、専門家の結論や忠告の基礎となる隠された仮定をその専門家たちが明らかにする気になるようにとことん議論する能力を高める。第三には、共同経営者と部下が下位目標にたいしてもつ執着を弱めつつ、組織の最終目標に彼らが一体化することを強化する。
・ いつも創造的な科学者が有している特徴は少なくとも以下の三点である。偶然に対して敏感であること、そしてそれらをつかみとる心的態度。次に、研究目標や研究すべき問題に対しての定義、選択に対しての配慮や思慮深さ。更にはリスクをしっかりと計算し恐れない心的態度。
・ 創造的な機会はほとんど、失敗するかもしれない機会とスッキリとは分離されてはいない。
・ 創造的な過程とは問題解決の過程である。そして、その行動は天分の才能ではない。効果的な問題解決は知識を土台としている。更には、その知識は、熟練者が直感的に迅速に状況を把握することを可能とする。その直感も、神秘的なものではなく、知識に裏付けされた経験と訓練の賜物である。

じゃあ、お前の創造性はどうなのよと言われたら、何も言うことができないのが今の私です。ただ、これからの方向性としては、いずれの分野でも、先人たちの作り上げた道を横道にそれないでただ進んでいってもダメ!であるということは確かなような気がしています。とりあえずは、先人達の生み出したものでも優れたもの、そして、諸外国の卓越したものを探して、それらを、身近な人たちと批判的に検討して新しいものを生み出していくしかないというような気が、ここ3ヶ月で特に僕の中で強くなってます。そのための土台になるのではないかと考えまして、Simon教授の論文を読みました。

創造性を若い人々が養えるような教育はどうあればよいのか、新しい問題が自分自身の中で沸き起こっています。皆さんは、どのような手がかりをお考えでしようか?



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