2011年2月4日(金)
亡き父の友人から届いた贈り物。
off time×164
43年前に亡くなった父。
年が明けてから 連絡が取れるようになった父の親友からメキシコの刺繍が届きました。
フレームに入れて飾りました。
毎日のように 若かったころの父との思い出を葉書に綴り送ってくれます。
その方はメキシコの日本人学校に赴任されていたかたで、父とは15才の時からの友人です。
父は炭鉱夫でした。
美唄の炭鉱のガス爆発事故で亡くなりました。
36歳でした・・
ほんとうは、中学の教師として勤めたかったが僻地での求人しかなく どうしても美唄を離れることができませんでした。
これは 映画「闇を掘る」のポスターの原画です。
監督とのご縁で描かせていただきました。
後ろでスコップにもたれて眠っているのは私の姿です。
父がとってくれた写真に残っていました。
そして 仕事を終えでてくる鉱夫たち。
父との思い出は 3才の私にはほとんど無く こうして時を経て父の友人とのやり取りは ほんとうにありがたいです。
今でも父を覚えてくれている人がいる。
父が引き合わせてくれたんだろうと思います。
手紙のやりとりは続きます。
雪が溶けたら 母を連れて逢いにいこうとおもっています。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
年が明けてから 連絡が取れるようになった父の親友からメキシコの刺繍が届きました。
フレームに入れて飾りました。
毎日のように 若かったころの父との思い出を葉書に綴り送ってくれます。
その方はメキシコの日本人学校に赴任されていたかたで、父とは15才の時からの友人です。
父は炭鉱夫でした。
美唄の炭鉱のガス爆発事故で亡くなりました。
36歳でした・・
ほんとうは、中学の教師として勤めたかったが僻地での求人しかなく どうしても美唄を離れることができませんでした。
これは 映画「闇を掘る」のポスターの原画です。
監督とのご縁で描かせていただきました。
後ろでスコップにもたれて眠っているのは私の姿です。
父がとってくれた写真に残っていました。
そして 仕事を終えでてくる鉱夫たち。
父との思い出は 3才の私にはほとんど無く こうして時を経て父の友人とのやり取りは ほんとうにありがたいです。
今でも父を覚えてくれている人がいる。
父が引き合わせてくれたんだろうと思います。
手紙のやりとりは続きます。
雪が溶けたら 母を連れて逢いにいこうとおもっています。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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