文化(22)


2012220(月)

2月28日 鹿追町で 宇宙飛行士 山崎直子氏の講演会

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2月28日 鹿追町で 宇宙飛行士 山崎直子氏の講演会

↑山崎直子さんが宇宙での経験、環境保護などについて講演


宇宙飛行士である山崎直子さんが、2月28日(火)に鹿追町で講演を行います。

山崎さんの宇宙での経験や宇宙から見た地球など貴重な経験を通じて、私たちが住む地球を取り巻く自然環境の素晴らしさ、美しさを再認識し環境保護を考えるきっかけとしていただく講演会です。


 「宇宙、人、夢をつなぐ」

  日時:平成24年2月28日(火)
     午後6時~

  会場:鹿追町民ホール

     入場無料


なお、会場1階ロビーでは「鹿追町の魅力発見!フォトコンテスト 作品展」が開催されています。(2月25日(土)~3月7日(水))


宇宙飛行士 山崎直子さん講演会のお知らせ(鹿追町HP)外部リンク


○問い合わせ先
 鹿追町役場 町民課 住民生活係(Tel0156-66-4031)



201224(土)

親子愛 ~ 心打つ タイのCM

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親子愛 ~ 心打つ タイのCM

先日、テレビで日本人とタイ人が同一のテーマでCMを製作し、その出来栄えを対決する…という番組が放送されていました。

その中で語られていたのが、タイのCM製作技術の高さ、内容の素晴らしさです。

ユーモラスな物もあり、感動的なものもあり…。

早速、インターネットでタイのCMについて調べてみたところ、見つけたのが「タイ生命保険」の作品。

この会社のCMは、アジアの広告コンクールでグランプリを受賞しており、感動的な作品の数々は国際的にも高い評価を得ているとのことでした。

紹介する作品は2011年のもので、題名は「Silence of love」

父親と娘の絆をテーマにした作品です。

ご覧ください。





2012125(水)

とかち意外史 「ジンギスカンなべ」の始まりは…?

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とかち意外史 「ジンギスカンなべ」の始まりは…?

↑「大阪屋」店内に飾られている北海道新聞夕刊「とかち意外史」の切り抜き。


先日、鹿追町煮込みジンギスカンのお店「大阪屋」さん から自宅に帰り、酔っぱらいながら書いたブログ「煮込みジンギスカン 鹿追町「大阪屋」」

煮込みジンギスカン 鹿追町「大阪屋」(2012年1月19日)

そのブログの中で「実は、ジンギスカン鍋の発祥の地が鹿追町であるという話もあります。この話は、明日以降にご紹介します」と書いた手前、ずっと気になっていました。

酔っぱらっていても、約束は約束。
少し遅くなりましたが、今回「鹿追町」と「ジンギスカンなべ」について紹介させていただきます。




もう随分前の話になりますが、1990年(平成2年)7月20日北海道新聞 夕刊(十勝版)の「とかち意外史」でジンギスカンなべの始まりについて書かれました。

記事の中では、十勝で最初に綿羊を手がけたのは鹿追町の方だったこと、また十勝で最初に「ジンギスカンなべ」の店として営業したのが鹿追町の「大阪屋」であったことが紹介されているのです。

今回のブログを書くにあたって私が保管していたはずの記事のコピーが、どこにしまったか行方知らず。
それで、記事の写真に登場している現・神田日勝記念美術館館長である菅訓章さんに聞いてみたところ、引っ越しの際に処分してしまったとのこと。

困っていたところ、「大阪屋」さんの店内に額に入って飾られていることを思い出し、撮影させていただいたのが「メイン画像」です。
いまでは、図書館などに保管されている以外では、非常に貴重なものになっています。

しかも、コピーのため字面が見づらくなっているものもあり、内容の照会のため帯広市図書館のレファレンス担当の方にもお世話になりました。再度お礼を申し上げます。


さて、次のとおり「とかち意外史」の文面をご紹介させていただきます。

北海道新聞 夕刊(十勝版) 1990年(平成2年)7月20日

とかち意外史 ー49ー         合田一道

ジンギスカンなべの始まり ~ 鹿追

昭和32年に1号店
独特の煮込み製法が好評


毛肉兼用種を導入

十勝におけるジンギスカンなべの始まりは鹿追町なのだという。
同町には「羊が丘」の地名があるように、早くから綿羊が飼育されていた。
それにしても十勝の綿羊の数がかつては上川支庁に次ぐ2番目だったとは。

道内の綿羊飼育は大正初期に札幌、滝川など官立の牧場ができて本格化した。
大正7年(1918年)になって政府は、綿羊奨励計画を立て、農家に飼育を呼びかけ、生産された羊毛は陸軍の被服廠(しょう)が1ポンド50銭の奨励金付きで買い上げた。

十勝で最初に綿羊を手がけたのは鹿追の増田作平(元村会議員)ら3人で、大正12年、農林省滝川綿羊場からシロップシャーという毛肉兼用種を10匹導入した。
当時は綿羊といえば羊毛だっただけに、毛肉兼用の綿羊を飼育しだしたことは注目に値する。
だが、実際に食肉にされたのはもう少し後だ。


「羊が丘」の名 残る

大正15年春、小室道郎が鹿追のヌプカウシヌプリ山麓(さんろく)に綿羊牧場を設置した。
小室は滝川綿羊場の技師だったが、前年に退職、音更村=当時=で300匹の綿羊の飼育を始めたが、鹿追の草原に着目し、ここへ移ってきたのだった。

小室はここで3年間にわたり綿羊を飼育するが、結局は成功せず引き上げていく。原因は積雪が多く、飼料を野草だけに頼ったので十分に与えられなかったため、といわれる。
これにより山麓に「羊が丘」の名だけが残った。

ジンギスカンなべを始めたのはこの時期だ。
小室は豪放らいらく、むとんちゃくな性格だけに、けがでもした綿羊を生かしておくにしのびず、肉にして食べたのだろう。
次女の七戸ケイ子さん=札幌市在住=は「父は料理が上手で、よくジンギスカンを食べたものです」と述懐している。

小室のエピソードは数多いが、愉快なのは嫁募集の新聞広告を出し、応募した女性を妻にし、そのうえに生まれた子に「羊太郎」と命名した話だ。


“不要扱い” に注目

しかし綿羊の肉はくさみがあって食用に合わず、しかも戦後は羊毛の利用度も減って綿羊はしだいに不要扱いにされだした。
そこに注目したのが十勝で最初にジンギスカンなべを経営した鹿追の「大阪屋」。
先代の早川定吉が昭和32年、丸形のなべで煮込みジンギスカンをはじめたところ、地元の若い自衛隊員に評判となった。

以来、「大阪屋」ののれんは、煮込みなべの店として多くの固定客を持つようになった。
2代目、仁三さんは元自衛隊員で、先代にほれられて養子になった。
「これぞジンギスカンの神髄」と独特の煮込み製法の継承に意欲満々だ。

(北海道新聞編集委員)


記事の中の「大阪屋」さんですが、2代目の仁三さんは既に亡くなられ、現在は奥さんと息子さんがお店を引き継いでおられます。


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車道からは看板が目印です

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「大阪屋」の外観

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「大阪屋」のジンギスカンなべ


この記事を書かれた合田一道さんは、現在もノンフィクション作家として活躍されている方です。

合田さんのプロフィールをご紹介させていただきます。

合田一道(ごうだ・いちどう)氏
ノンフィクション作家。長く北海道新聞に勤務し、『定山坊行方不明の謎』で第一回北海道ノンフィクション賞大賞を受賞。主な著書は『裂けた岬』(幻冬舎) 『開拓団壊滅す』(北海道新聞社)『日本人の死に際』(小学館)『日本史の現場検証』(扶桑社)など。退職後は札幌大学講師に。




今回、十勝の綿羊やジンギスカンについて調べてみましたが、当時の政府などの方針と非常に関連していたことが分かりました。

すると、クラーク博士像で有名な札幌市の観光地「さっぽろ羊ヶ丘展望台」にも同じような背景があったのでは…とさらに興味がわいてきました。

くわしく調べてみると面白そうですね。



2012122(日)

息子たちと 誕生日祝いに「My's LIVE!」

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息子たちと 誕生日祝いに「My's LIVE!」

↑ステージ左側でMy'sの白岩さんがお菓子をプレゼント。子どもたちは大喜びしながら中央で列を作っています。(主催者許可のうえ画像使用)


今日は、6歳の双子の息子たちと、鹿追在住ミュージシャンMy's(マイズ)による「My's LIVE! でっかい大地いっぱいに 想い出つめ込んで…」に行ってきました。

場所は、帯広市MEGA STONE(メガストーン、帯広市東6条南5丁目)。

昨日は息子たちの6歳の誕生日で映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を見に行き、翌日にライブを聴くという、芸術・文化に浸るぜいたくな誕生日祝いとなりました。


画像


会場は、満員の観客で、追加のイスや立ち見も出るほどでした。

鹿追在住のミュージシャンとあって、地元からの参加者も多く、何より子ども連れが多くて、温かい雰囲気のライブとなりました。

My'sの白岩元記さんと上村洋介さんのほか、バンドメンバーが出演。

最初にMCのFM-JAGA栗谷昌広さんが登場し、子どもたちに「うまい棒」をプレゼントするなど場を和ませました。
私の息子たちも、もちろんステージ下に行き頂きました。

ライブが始まり、私にとってはCDで聴いたことのある曲や初めての曲などが次々と演奏され、演奏の合間には再び子どもたちに「うまい棒」のプレゼント。
再度お菓子をゲットした我が息子たちは大喜び。会場も盛り上がりました。(メイン画像)

My'sの演奏する曲は、歌詞、曲ともに、十勝に暮らす者にしてみれば、本当に生活感があり親しみを感じるものです。

ライブを聴くというよりも、日常の出来事についての語りやおしゃべりを聞いているような、そんな気持ちになりました。

私の息子たちは、6歳にしてライブ鑑賞を経験したことになります。とても貴重な体験となったと思います。

この想い出をずっと忘れないでいてほしいものです。


◎ラジオ番組
帯広市コミュニティーFM局「FM-JAGA」(帯広77.8MHz)
FM-JAGA「My'sスタイル」

曜日・時間 毎週土曜日、午後10時~

PCやスマートフォンアプリなどの「インターネットラジオ」でも聞くことができます。

My's オフィシャル WEBサイト

http://mys-hokkaido.com/外部リンク



2012115(日)

十勝への愛を歌に込めて 1月22日「My's」帯広公演

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十勝への愛を歌に込めて  1月22日「My's」帯広公演

今日の午前中は鹿追町で、我が家の子どもたちの「初心者スケート教室」が行われました。

多くの父母の方も来られていて、子どもの練習風景を眺めている間、その内の一人の父親の方としばしお話しをしました。

内容は「子どもをどうしたら嫌がらせずにスケートを続けさせることができるか…」

結局話し合った結果、
① 嫌がる前にいいところで練習を切り上げる
② いかに練習で上達したか褒めちぎる

という結論に…。

お話しをしていた相手の名は「上村洋介さん」
そうです、ミュージシャン「My's(マイズ)」の方です。

話は、昨日の十勝毎日新聞の紙面についてにも及びました。


画像
「My's帯広公演」が紹介された十勝毎日新聞(1/14)紙面


紙面の内容は、My'sが1月22日に帯広市でライブを実施することについてです。

My'sは、共に鹿追町出身で中学時代から親友の白岩元記さん上村洋介さんで結成。

ふるさと鹿追町で暮らし、仕事をし、その傍ら音楽活動を行っています。

お二人のお子さん共に、私と子どもと同じ幼稚園に通っているので、行事あるごとにお会いしています。

さて、そんなお二人の「My's帯広公演」が来る1月22日に行われます。

お子さんとの参加大歓迎。
時間もお子さま時間の午後5時に設定され、中学生以下は入場無料です。

上村さんも「ご家族で気軽にご参加ください」と話されています。

私も5歳の双子を連れて参加しようと考えています。

皆さんもぜひお越しください。

My'sは帯広のコミュニティーFM局で番組放送も行っています。
ぜひ、お聞きください!


My's LIVE!
でっかい大地いっぱいに想い出つめこんで…


日 時 1月22日(日) 午後5時~
場 所 MEGA STONE
    (メガストーン、帯広市東6条南5丁目)
チケット販売
    前売り 一般1500円(当日2000円)、高校生800円
    (同1000円)、中学生以下無料

    CDプラザWAVE WOW店、CDプラザWAVE プラザい
    ちまる店、CDプラザWAVE MEGA・MAC帯広駅前
    店、勝毎サロン、モップトップス、B♭M7 にて
    発売中。

◎ラジオ番組
帯広市コミュニティーFM局「FM-JAGA」(帯広77.8MHz)
FM-JAGA「My'sスタイル」

曜日・時間 毎週土曜日、午後10時~

PCやスマートフォンアプリなどの「インターネットラジオ」でも聞くことができます。

My's オフィシャル WEBサイト

http://mys-hokkaido.com/外部リンク



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 ABOUT
ひらっち
ランニング、食べ歩き、映画などが趣味。各地のマラソン大会に出場しては、ご当地グルメを味わい、帰りは温泉につかるのを楽しみとしています。

性別
年齢50代
エリア十勝
属性個人
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