2012年11月21日(水)
連合会脱会について(その2)
雑記×1733
バブル景気が終わりもう何十年経ったことでしょう。TV番組などで好景気だった頃の様子が放送されたりします。私はずっと貧乏だったせいか、多忙で気づかなかったのかほとんど好景気の実感がありません。景気がいいと周りは言うのですが自分の方には回って来なかったようです。
二十代三十代の頃と言えば空手と絵画と仕事ばかりで時間もお金も全く余裕がありませんでした。
そして孤独な日々の中で人生とは何か、どう生きるのが正しいのかといった自問自答(読書なども含めて)することが多かったと思います。
大山総裁が極真空手ブームを作り、全国各地の先生方の所には入門者が殺到し、空前の好景気だったと聞きました。
北海道も例外ではなかったようです。
今月九日、海外の選手先生方の空手に対する思いをお聞きする機会を得ました。
私は道場訓の全てが好きですが、特に・・礼節を重んじ長上を敬し・・というところに非常に深い意味を感じます。
そこには年上の人に対する尊敬と親孝行、人を思いやる心といった人間としての基本があると思うのです。
海外の人たちはどうなんだろうと興味をもって聞きましたが、予想よりも(日本人よりも)海外の人たちの方がそのことを大切にしているのだと知り感銘を受けました。
個人的なことで申し訳ないのですがここ数年、連合会の会合、集まりに出かけるのがとても憂鬱で仕方がなかったのです。
特に連合会を動かしている方々に長上を敬する、人を思いやる心が全く感じられないからです。
大石最高師範はそういった連合会のあり方を憂慮され、改革に努力されていましたが、所詮水と油は別物で交わることはなかったようです。
前回の雑記にも書きましたが、私は自ら退会届を持参し小井理事長に受け取って頂き、数年間のお礼を述べ、握手してお別れました。(礼節は重んじたと思っています。)
連合会のホームページによると破門ということらしいですが、どう考えてもそれはおかしいと思います。
第一、私は誰かの門下生ではありません。
まして小井理事長に空手を教わったこともありません。
小井師範は心刀流だそうですがそういったものには全く興味がありません。
連合会も極真空手を名乗っていますがその理事長が心刀流とはどういうことでしょうか。
海外の先生方もそのように思っていると聞きました。
破門?理由が門馬師範との関わりらしいですが、門馬師範が極真を名乗ることはなんら問題がない筈です。
それどころか大震災の復興に尽力し、震災の年にも大きな福島県大会を成功させ地元の多くの人たちに勇気と希望を与えた功績を連合会としても讃えるべきではないでしょうか。
門馬師範はある部分では孤高を守っておられると思いますが、本来の連合会の主旨はそういった師範先生方を評価し、繋がりをもっていくことにあったのではないでしょうか。
連合会のやり方は東北の被災された方々に対する冒瀆とも言える行為だと思います。
極真空手は極真空手に半生を奉げた極真空手を愛する皆のものであり、一部の特権階級が独占し、押さえつけ利益を得る道具にするものではない筈です。
もうバブル景気のことは忘れないといけません。
先日の世界大会(人も少なく閑散としていましたが)も運営は大石道場の力を借り、トーナメントは長谷川道場の選手が
優勝したのではなかったですか。
実質、長谷川、大石両最高師範の力で連合会は成り立っていたのです。
両最高師範を利用するだけ利用し、意見を言う機会さえ奪い、数の力で押し潰すことが極真空手の精神と言えるでしょうか。
連合会の理念はとても素晴らしいもので大賛成なのですが、近年はそのあり方が正反対になってしまったことをとても残念に悲しく思います。
心ある人が、組織、グループのリーダーになって欲しいと思います。
人は自由であるべきだと思うのです。皆が自由であるためにはそれなりの節度が必要です。
道場訓はそれを言っていると思います。
私は今後も正しいことは正しいと、間違っていることは間違っているとはっきり言っていくつもりです。
雑記を読んでいただいている皆様には少々不愉快な思いをさせてしまい申し訳なく思います。
連合会在籍中は沢山勉強させていただき感謝しております。
この次はもう少し明るい内容にしたいと思います。
二十代三十代の頃と言えば空手と絵画と仕事ばかりで時間もお金も全く余裕がありませんでした。
そして孤独な日々の中で人生とは何か、どう生きるのが正しいのかといった自問自答(読書なども含めて)することが多かったと思います。
大山総裁が極真空手ブームを作り、全国各地の先生方の所には入門者が殺到し、空前の好景気だったと聞きました。
北海道も例外ではなかったようです。
今月九日、海外の選手先生方の空手に対する思いをお聞きする機会を得ました。
私は道場訓の全てが好きですが、特に・・礼節を重んじ長上を敬し・・というところに非常に深い意味を感じます。
そこには年上の人に対する尊敬と親孝行、人を思いやる心といった人間としての基本があると思うのです。
海外の人たちはどうなんだろうと興味をもって聞きましたが、予想よりも(日本人よりも)海外の人たちの方がそのことを大切にしているのだと知り感銘を受けました。
個人的なことで申し訳ないのですがここ数年、連合会の会合、集まりに出かけるのがとても憂鬱で仕方がなかったのです。
特に連合会を動かしている方々に長上を敬する、人を思いやる心が全く感じられないからです。
大石最高師範はそういった連合会のあり方を憂慮され、改革に努力されていましたが、所詮水と油は別物で交わることはなかったようです。
前回の雑記にも書きましたが、私は自ら退会届を持参し小井理事長に受け取って頂き、数年間のお礼を述べ、握手してお別れました。(礼節は重んじたと思っています。)
連合会のホームページによると破門ということらしいですが、どう考えてもそれはおかしいと思います。
第一、私は誰かの門下生ではありません。
まして小井理事長に空手を教わったこともありません。
小井師範は心刀流だそうですがそういったものには全く興味がありません。
連合会も極真空手を名乗っていますがその理事長が心刀流とはどういうことでしょうか。
海外の先生方もそのように思っていると聞きました。
破門?理由が門馬師範との関わりらしいですが、門馬師範が極真を名乗ることはなんら問題がない筈です。
それどころか大震災の復興に尽力し、震災の年にも大きな福島県大会を成功させ地元の多くの人たちに勇気と希望を与えた功績を連合会としても讃えるべきではないでしょうか。
門馬師範はある部分では孤高を守っておられると思いますが、本来の連合会の主旨はそういった師範先生方を評価し、繋がりをもっていくことにあったのではないでしょうか。
連合会のやり方は東北の被災された方々に対する冒瀆とも言える行為だと思います。
極真空手は極真空手に半生を奉げた極真空手を愛する皆のものであり、一部の特権階級が独占し、押さえつけ利益を得る道具にするものではない筈です。
もうバブル景気のことは忘れないといけません。
先日の世界大会(人も少なく閑散としていましたが)も運営は大石道場の力を借り、トーナメントは長谷川道場の選手が
優勝したのではなかったですか。
実質、長谷川、大石両最高師範の力で連合会は成り立っていたのです。
両最高師範を利用するだけ利用し、意見を言う機会さえ奪い、数の力で押し潰すことが極真空手の精神と言えるでしょうか。
連合会の理念はとても素晴らしいもので大賛成なのですが、近年はそのあり方が正反対になってしまったことをとても残念に悲しく思います。
心ある人が、組織、グループのリーダーになって欲しいと思います。
人は自由であるべきだと思うのです。皆が自由であるためにはそれなりの節度が必要です。
道場訓はそれを言っていると思います。
私は今後も正しいことは正しいと、間違っていることは間違っているとはっきり言っていくつもりです。
雑記を読んでいただいている皆様には少々不愉快な思いをさせてしまい申し訳なく思います。
連合会在籍中は沢山勉強させていただき感謝しております。
この次はもう少し明るい内容にしたいと思います。
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