旅行記(27)


20191118(月)

2018年インド旅行記・7


2018年インド旅行記・7

2月8日

南ゴアのパロレム。
おそらく日本ではほとんど知られていないビーチリゾート地だ。
だからこそ、つい行ってみたくなってしまうのが私の性分。
ここは欧米人の旅行者がとても多い。
そして日本人はおろか、インド人以外のアジア系人種を全くみかけない。

街を散策していると、誇らしげな看板が立っているのを見つけた。
「ロンリープラネット推薦!ラウルの料理教室」

ロンリープラネットとは、英語で書かれた欧米人御用達の旅行ガイドブックである。
私は英語があまり読めないけれども、地図が正確なので、この本を購入して持ち歩いていた。
自分の持っているロンリープラネットで確認してみると、確かに「ラウルの料理教室」が載っていた。

ちなみに、このガイドの推薦する宿やレストランへ行くと欧米人と頻繁に遭遇する。
海外旅行で「地球の歩き方」のおすすめの店に行くと日本人と頻繁に遭遇するのと同じである。

気になったので料理教室に参加することを決めた。
事務所を訪問してみると、先生のラウルに会うことが出来た。
彼にメニュー構成を聞いてみたら、あくまでも欧米人観光客向けのわかりやすさを重視したものらしい。
私は可能ならば、ゴア地方の伝統的な料理も加えてほしい、とリクエストした。


翌日。
料理教室が始まった。
参加者は15人。
私以外の東洋人はいない。
アウェー感の強い空間である。
4人一組で協力して料理を作るようだ。

調理は玉ねぎをスライスしてみじん切りにすることから始まった。
しかし参加者の調理スピードの遅さに閉口する。
誰もがスローモーション再生映像のような包丁の動きである。
玉ねぎ一個切るのに5分くらいかかっている。
ここの参加者は調理経験がないのだろうか?

遅れているグループは、ラウル先生や調理助手がアシストに入り、時間を調整していく。
先生の指示した量の玉ねぎをフライパンに入れ、ざっくり切ったトマト、みじん切りの生姜やニンニク、青唐辛子を炒めながらカレーを作っていく。

同じテーブルで調理していた隣の若い女性が、アルゼンチン出身ということがわかった。
「Hola,soy de Japon.Mucho gusto」(どうも。日本から来ました、よろしくね)
彼女にスペイン語で挨拶したら、とても喜んでくれた。
私は中南米に2回行った経験があり、ほんの少しスペイン語が話せるのだ。
調理台の対面にいた初老の女性が「私はチリのアタカマ砂漠に行ったことあるわよ」と話しに入ってきて、料理そっちのけで南米話で盛り上がる。
「・・・・」
私たちの様子を見て、やれやれ、と困った顔をするラウル先生。

1時間半で料理は完成した。
チキンシャクティ、これはラウル先生が私のリクエストに応じたメニューだ。
ほうれん草カレー
マッシュルームカレー
チャパティ

待ちに待った食事の時間だ。
しかし・・・
私たちに快く思わない人物が一人いた。
料理教室に参加せず、調理室の様子を窓越しに見学していた人物。
アルゼンチン女性の彼氏、エクアドル人男性である。

彼氏は試食が始まり調理室の中に呼ばれると、私とアルゼンチン女性の間の席に割り込んで入ってきた。
私と彼女に話をさせたくないのだ、と感じた。
彼氏は料理教室が終了したあと、周囲に見せつけるように彼女にキスをしまくっていた。
それを見ていた欧米人たちは、冷ややかな表情。

私は以前、南米の飛行機に乗った時に、同じような体験をしたことがある。
偏見かもしれないが、今回の件で南米の男は嫉妬深いな、と私は確信したのである。

カルナタカ州で崩した体調も戻りつつあり、食欲も回復しつつあった。
翌日、同じく南ゴアのマルガオに移動することになった。

つづく



20191117(日)

2018年インド旅行記・6


2018年インド旅行記・6

カルナタカ州西の港町マンガロールは食の都として知られており、海鮮料理が評判らしかった。
とても訪問を楽しみにしていたのだが、同じホテルでまる2日寝こんでしまうことになる。
バンガロールで崩した体調が戻らないのだ。
料理も軽食や果物、ルームサービスのスープ類しか体が受け付けない。
ここで長居を続けると、予約していたフライトに乗れない可能性が出てくる。

今回の旅の目的地に、ハイデラバードがあった。
インドはあまりにも広大なので、全て陸路で移動すると日程的に無理が生じてしまう。
ゴアからハイデラバード、ハイデラバードからチェンナイの区間を空路で移動するしかないと私は考えていた。
こうして国内線のフライトを予約して日時が確定していたため、一か所に長く滞在できない事情があった。



2月7日

マンガロール滞在最後の日。
バスの出発時間に少し余裕があったので、庶民的な食堂に行ってみた。
英語のメニューがないので、自分の隣で食べている客と同じものを出してほしい、と店員にリクエスト。
魚のフライがついた定食が出てきた。
2日ぶりに食べたスパイス料理は、とびきり美味しく感じ、強く印象に残った。

もっとマンガロールの料理を食べたかったな・・・
カルナタカ州の旅は途中で体調を崩してしまい、悔いが残る形で終わってしまった。
いつかまた、ここへ来よう。

マンガロールからゴアまでの区間は、想像以上に交通事情がよくなかった。
ゴア行のバスの本数が極端に少ないのだ。
うまくバスを乗り継いでも、当日中にはゴアには行けないことがわかってきた。
途中どこかでの一泊を覚悟した。

地図で見る分には近く見えても、現地に行くと道路事情が悪く、遠回りしたほうが目的地に早く着いてしまうことがある。
わかっていたとはいえ、インドの旅はなかなか思惑通りに進まない。


ゴアに向かう旅の途中、乗り継ぎのため寄った小さな町のバスターミナル。
私はベンチに腰掛け、バスの発車を待っていた。
「あなたは日本人ですか」
日本語で話しかけられた。
私の目の前に、長身の白人青年が立っていた。

フランス人の若者、ビンセントである。
彼もゴアに行く途中だったので同じバスに乗った。
彼は日本語で話したがっていたので、ある程度までは付き合い、意味が通じていない表情をしているときに英語で意味を補足した。
車内で日本語と英語のチャンポン会話が始まった。

ビンセントはフランス東部の都市、ストラスブール出身。
東京の大学に留学中で、日本語が半分くらいわかる。
彼は日本の政治や歴史に興味があるので、もっと深く勉強したくて留学を決めた。
フランスに戻ったら公務員試験を受ける予定となっており、将来官僚になるために勉強しているということだ。

「さっき日本語で話しかけてきたよね。なぜ、私が日本人だとわかったの?」
先ほど感じた疑問を彼に聞いてみた。
「一人で旅行している東洋人は、たいてい日本人です。他国の東洋人は必ずグループで行動しますから」
「そうなのか。そんな風に見えるんだ」
よく見ているな、と感心する。

結局、ゴカルナという田舎街で一泊することになった。
夕食をビンセントと一緒に取った。
「明日、南ゴアのパロレムに行こうと思っている」と私が言った。
「私も行ってみたいです。でも、ここにビーチがあるので2~3日滞在していきます」と彼が言うので、握手をして別れたのだった。

つづく



20191116(土)

2018年インド旅行記・5


2018年インド旅行記・5

2月2日

コーチンを出発して、カルナタカ州で最初に訪れた町はマイソール。
カルナタカ州は19年ぶりの訪問だった。
バスは8時間の長距離移動で、夜21:30に現地到着。
宿を探す前に腹ごしらえが先だ。

遅い夕食をバスターミナルの食堂で取っていたら、若い男性3人組に話しかけられる。
地元の若者ではなく、旅行者だった。
「今日の宿は決まっているの?」
彼らに聞いたらYESという。

これから予約している宿に行くというので、私もついて行っていいかと聞いてみた。
「えっ?俺たちの泊まるホテルは立派なところじゃないけれど、いいの?」
驚く若者たち。
「いいの、いいの。ノープロブレム」

ホテルに空室があったので、部屋を確保することができた。
私は安宿で予約したことがない。
いつも何とかなっている、と妙な自信がある。


翌日。
マイソールの街を歩いていると、やたらとBARの看板が目に付く。
久しぶりに昼酒でも楽しみたい気分になってきた。
ふらりと入ったBARは立ち飲みで一回ごとに清算して酒を買うシステムだった。
店内は昼間なのに、結構客で混みあっている。
私はキングフィッシャーのラガービール大瓶を頼んだ。

一人の男が近づいて話しかけてきた。
「お前日本人なのか?ふーん・・・マ〇ファナ買わないか?」
いきなり、である。
「いりません」
きっぱり断る。
「なんだ、チキン野郎だな。毎週この曜日に俺はここに来ている。ブツが欲しかったら声をかけてくれ」
男がすぐ立ち去ってくれて助かった。
この手の連中と関わるとロクなことがない。

夜は宿近くのレストランでミールスを食す。
味は洗練されていて美味しかった。
しかし見た目や味で、ケララやタミルで食べてきたものと大きな違いは感じなかった。



2月4日

困ったことに旅が始まってから1週間しか経っていないのに、カレー以外の食事をしたくなってきた。
マイソールから州都バンガロールに行く途中、チベット人の村バイラクッペに立ち寄る。

この村はインドで一番最初にチベットの難民キャンプが作られたところだそうだ。
欧米人の訪問が多く、チベット仏教の黄金寺院の参拝が目当てである。
私の目当ては寺院ではなく、寺の周辺にあるチベット料理店だった。

インドのスパイス料理に疲れたら、チベット料理へ逃げるのが一番だ。
中華料理や欧風料理のレストランもあるが、値段が高いし当たり外れが激しい。
チベット料理の店は値段もそれほど高くないし、どこで食べても外れたことがない。

私が一番食べたかったのは、チベット式うどんのトゥクパ。
スープはシンプルな塩味で、具材には野菜と鶏肉の小間切れが盛られる。
箸で麺を持ち上げ、ズルズルとすする。
レンゲで熱いスープをすくい、口へ運ぶ。
汁気のある麺料理が、たまらなく美味しい。
私の知る限り、伝統的なインド料理で汁気のある麺料理を見たことがない。
インドは手食文化ということも関係ありそうだ。

蒸し餃子のモモ。
これも日本の中華料理屋で食べるものと大差がなく、とても食べやすい。
チベタンブレッド、いわゆる蒸しパン。
余計なスパイス感がなく、シンプルな味わい。

毎日のスパイス料理で胃が疲れていたので、チベット料理は非常に美味しく感じてしまう。
この後の旅ではチベット料理の店に行く予定はなく、ずっとカレーの食事になるのが予想された。
気分がリフレッシュできたし、また明日からカレーを食べまくろう!
と、ここまでは順調だったのだが・・・
州都バンガロールで、排気ガスで喉をやられて咳が出始めた。

つづく



20191115(金)

2018年インド旅行記・4


2018年インド旅行記・4

私はシャンという男に不信感をずっと抱き続けていた。
前回の旅で、友人スニへの結婚祝いとして日本のチョコレートを持参したが、彼女は不在だった。
彼女の実兄であるシャンと知り合ったので、チョコレートを彼に託した。
彼を身内だからという理由で信用したのだ。

しかし、スニにはチョコをほんの少ししか渡さず、残りは彼が全部食べてしまったのだ。
シャンは約束を破った、と私は感じている。
この件に関しては、スニからは「お土産は本人に直接渡さないとダメ!」と私はきつく説教されていた。







マルコスのスマホで会話してから、1時間後にシャンが私の前に現れた。
彼は私の顔を見ると、いきなりガバッと抱きついてきた。
「嬉しいぞー嬉しいぞー」と叫んでいる。
こんなに喜んでくれるのか・・・
彼の無邪気な顔を見ていたら、自分のこだわっていた感情がどうでもよくなってきた。
結局、再会を祝って彼と抱き合うことになった。

「時間あるんだろう?俺の実家に行こう」
シャンが誘ってくる。
またしてもバイピーン島にあるシャンの実家に行くことになった。
彼のバイクの後部座席にまたがり、タンデムで出発。
気分爽快ノーヘル走行。
バイピーンは島といっても、フォートコーチンからフェリーで10分もかからない。
多くの庶民が暮らすコーチンのベッドタウンのような場所だ。

二人を乗せたオートバイは、民家の密集するシャンの実家に到着した。
玄関から家の中に入ると、いきなりシャンの部屋になっている。
「ん?」
ここは以前リビングだったような気がする。
キリストの祭壇は変わらず置いてある。

さっそくお土産をシャンに渡した。
マルコスと同じボールペンとブラックサンダー(チョコレート)のファミリーパック。
「おおーありがとう」
シャンはチョコを開封して、すぐ食べ始めた。
「シャン、そのチョコは日本で人気があるんだよ」
「そうなのか、やはり日本のチョコはうまいな」

シャンは魚カレーと食パンのスライスを2枚、そしてピクルスを運んできて、テーブルに置いた。
「食べてくれ。この貝のピクルスは美味いぞ」
料理があまりにも質素なので、本当に彼らが日常的に食べている感じがする。
これを食べるのも、良い経験になるだろう。
「さっき友人から電話があって、君のことを話したら会ってみたいって。あとで家に遊びに来るから」
チョコを食べながら、シャンが言った。

カレーに食パンを浸しながら、私はシャンに質問した。
「君は今、タクシーの運転手をしているのかい?」
「マルコスに聞いたの?そう、タクシーの運転手」
「給料はいいの?」
「正直よくない。生活は苦しいな」
シャンはつぶやくように言った。

この家に来て、気になっていたことが一つ。
重い障害を持っている妹が同居していたはずだ。
だが、近くにいる気配が感じられない。
入院しているのか?施設に入ったのか?それとも・・・
あまりにもデリケートな話題なので、本人が話さない限り黙っていようと決めた。

カレーを食べ終わったころ、シャンの友人が現れた。
長身のヒゲもじゃの青年。
シャンと同年代で職業はタイル職人。
彼の英語があまり上手ではなく、そこが私と似ていて親近感が湧くし好感が持てる。
普段の彼は英語を話す習慣がないのだという。
素朴で実直そうなムスリム(イスラム教徒)の青年だった。

「なぜ我々は、いい年して結婚できないのだろう?」
「まったくだ!こんなイイ男を放っておくとは・・・女どもは見る目がないな」
「こういう話はインドも日本も同じだ」

わーははは!

3人で馬鹿話で盛り上がっていると、シャンの母親が部屋に入ってきた。
彼女は前回の訪問で何度か会っているし、外国人の印象は強く残っているだろう。
だから私のことを覚えてくれている、と思い挨拶しようとした。

「母は君のことは知らない、覚えていない、と言っている」
首を振って残念そうな表情をするシャン。
シャンの母親は椅子に座り、トロンとした目でTVの画面を見ている。
「すまない、母は病気なんだ」
彼女は認知症が進んでいるようだった。
3年という月日は、こんなにも物事を大きく変えてしまうのだ。

つづく



20191114(木)

2018年インド旅行記・3


2018年インド旅行記・3

2月1日

コーチン滞在の3日目、散歩途中に旧友と偶然の再会があった。
2013年、2015年、2018年、と彼に会うのはこれで3回目である。

「マルコス!職場が変わったんだね」
私はホテルの玄関前で掃き掃除をする男に声をかけた。
笑顔のマルコス。
「おーーーっ、君も元気そうだね。中に入らないか?話をしよう」
「ちょっと待って。君にお土産があるんだ。一回宿に戻るから、ちょっと待ってて」

宿に戻って、もう一度マルコスのいるホテルへ。
「こっち、こっち」
彼は私を厨房に招き入れ、カレーやチャトニ(つけだれ)の味見をさせてくれた。
厨房には料理人がいなくて、雑用の女性スタッフが数人いた。

「これ使ってよ、マルコス」
お土産として日本製のボールペンを渡した。
「おおーーーありがとう」
彼はいきなり包装箱を無造作に破り、ボールペンを胸ポケットに刺した。
ポケットから出した後、右に回すとシャープペン、左に回すとボールペン、カチカチ切り替えて、周囲のスタッフに見せびらかしていた。

もう一つの土産は、キットカット抹茶味のファミリーパック。
キットカットはインドでもよく知られているお菓子だ。
「これは日本オリジナルの味だよ」と言って渡した。
「へーそうなのか、どれどれ」
マルコスは他のスタッフたちとチョコを食べ始めた。
「・・・」「・・・」「・・・」
みなリアクションが薄く、微妙な顔つきをしている。
どうやらチョコの甘みが足りないのが不満のようだ。



3年という月日は、物事を大きく変えてしまう。
痩身だったマルコスも、ぽっこりお腹がふくらんでいた。
「しばらく会わないうちに、随分と腹が出てきたんじゃないの?」
私が軽口を叩く。
「君も同じだろう」と言って、彼は私の腹を触りだした。
「あはは、そうだね」
二人で大笑い。

夕方、仕事を終えたマルコスが、私の宿に遊びにやってきた。
宿のロビーでお互いの近況報告をした。
私はスニの働いていたブティックが閉店していたことを話題にした。
「スニやシャンに会いたいよね?連絡をとってあげよう」
マルコスはスマホを取り出し、誰かと話し始めた。

いつも、そうだ。
この男がいると、事態が急速に動き始めるのだ。
電話の向こうで「ウオーーー」と男が叫んでいる。
私はマルコスのスマホを受け取った。
「日本人の俺のこと、覚えている?」
とシャンに聞く。
「もちろん。君のことは覚えているさ!今からそっちに行くから」

マルコスはスニにも電話してくれた。
「ゴメンね、どうしても仕事で都合がつかないの」
南インドを廻って3週間後、フライトの関係上またコーチンに戻って来るので、メールのやり取りをしながら日程を詰めよう、と彼女と再開を約束した。

「ハ~イ」
電話から1時間後、宿のロビーにシャンが現れた。

つづく



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sansara
旅が好き、音楽が好き、そしてカレーが大好きで、カレー店を始めることになりました。どうぞよろしくお願いします。

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