旅行記(41)


20191122(金)

2018年インド旅行記・11


2018年インド旅行記・11

2月17日

ハイデラバードからタミルナドゥ州の州都チェンナイへ、飛行機で移動。
空港直結で市街地に向かうメトロをみつけたので、興味本位で乗ってみた。
ゴトンゴトン・・・
座席に座ると郷愁を呼び起こす音。
日本で電車に乗っているような錯覚を起こしそうになる。
しかし私の目の前には民族衣装を着た女性が座っている。
周囲は全員インド人。
窓から眺める風景からはヒンドゥー教の寺院が見える。
ここでは私が外国人。

メトロを降りてからはリキシャーを走らせ、安宿街トリプルケンに向かう。
宿はすぐに決まり、買いつけに出歩いた。
コーヒー豆の自家焙煎の店を見つけオーダー、カルパシというマニアックなスパイスを探し回って手に入れ、料理本も購入した。

全部バックパックには入りきらないので、ここで一度荷物を日本へ発送することにした。
「この箱、私がもらっていいかな?」
段ボールの空き箱が安宿に放置してあったので、タダでもらって梱包作業を部屋でする。
ここで日本から持ち込んだ秘密兵器、100均の布製ガムテープで頑丈に補強する。
よし、これで発送できる。


2月18日

梱包物を発送するため、安宿近くの郵便局に行く。
以前この郵便局には親切なスタッフがいて、一発で海外発送を手配してくれた。
「国際郵便か。ここでは対応しない。大きな郵便局に行ってくれ、アンナサライだ」
担当者が替わっていたせいで、今回は面倒そうに拒否された。
3年の月日の経過で、こういう残念な変化もある。

アンナサライ地区の大きな郵便局では、行列に並び辛抱強く待ち続け、やっと自分の番が来たら、パスポートのコピーが必要と言われた。
コピーと急に言われても、と途方に暮れる私。
「ほら、コピーと書いた看板が窓から見えるでしょう?あそこよ」
近くにいた親切な老婦人がコピー屋の場所を教えてくれた。

コピーを取ってきて、また行列に並び待ち続ける。
自分の番が来たが、局員に箱を開けられて中味の厳重なチェックを受けた。
お土産に買った健康食品とスパイスの数種類は発送できない、と箱から出された。

荷造りを頼む人は、専門の係にチップをこっそり渡している。
発送料金とは、別の支払いのようだ。
荷造り係がやけに一生懸命私の荷物を梱包していたのは、相場がわからず支払ったチップの金額が多かったからかもしれない。
郵便局に来てから発送が終わったのは3時間後だった。
もう、ぐったりである。


「郵便局から、あなたが本当に宿泊しているかを確認する電話が入ったぞ」
宿に戻ったら、スタッフが教えてくれた。
今までインドから何度も荷物を送っているが、初めてのことだ。
私は郵便局員から犯罪者予備軍として疑われたような気分になり、少々不快な気持ちになった。


2月19日

郵便の件ではゴタゴタしたが、食事に関してはチェンナイは完璧な印象しかない。
ミールスは今回の旅で色々な地域のものを食したが、ここチェンナイは最高レベルの味わいだった。

バナナの葉がパラリとテーブルに敷かれる。
サンバル・ラッサムといった菜食カレー、ヨーグルト、チャトニ、野菜炒め、揚げたパパド、そして米が豪快に盛られる。
手で混ぜ合わせ、どんどん味が変わっていき味の調和を楽しむ。
「そうそう、これこれ!」
見た目も味も一番違和感なく、しっくりきた。


食後に時間があったので床屋に行ってみた。
私の顔を見た店主が少し驚いた表情。
「全体的に、短く、お願いします」とザックリとしたオーダーをした。
「OK」
手慣れたハサミさばきで髪を短く刈り込んでいく。
日本の理髪店のようにシャンプーはしない。
20分で散髪が終了。
「これは・・・」
完成形は側頭部が少し膨らみ気味で、正直微妙な髪型である。
細かい注文を何度もするのが面倒だ、まあ・・いいか。
「パーフェクト!サンキュー」と言って店を出る。
出来栄えに満足気な店主の顔を見たら、文句は言えないのである。

「ミスター、洗濯物が届いているぞ」
宿に戻ると、マネージャーが声をかけてきた。
「ああ、そうだったね」
3日間チェンナイに滞在する予定だったので、滞在初日にジーンズやシャツなど厚手の生地の服をランドリーサービスに頼んでいたのだ。
そういえば料金を聞いていなかった気がする。
「いくらになりますか」
「200ドルだ」
マネージャーは真顔で言う。
「そんな訳あるか!」
怒った顔でにらみつけたら、マネージャーの表情が緩んできた。
クスクス笑っているのだ。
「200・・・ルピーだ」
私がマネージャーの顔面を殴るふりをしたら、ボクシングのスゥエーをするように体をのけぞらして避けるふりをする。
お互いを見て大笑い。
インド人にも冗談のわかるやつがいて嬉しくなる。

チェンナイはいつも足早に通り過ぎるイメージがあったが、今回は印象に残った滞在だった。
このあとはマドゥライ、カライクディを経由して、3週間ぶりにケララ州のコーチンに戻ることになった。
コーチンでは今度こそ、スニにお土産を渡さなければならない。
直接、本人に。

つづく



20191121(木)

2018年インド旅行記・10


2018年インド旅行記・10

2月15日

地元の若者がおススメするビリヤニ店に行くことになった。
自分が調べた範囲では、宿からレストランまでは結構距離がありそうで、リキシャーの相場がわからない。

流しのリキシャーを捕まえ、運転手に行先を言って運賃がいくらか言ってもらう。
「この料金の半分なら支払います」と私が言うと「話にならないな」と運転手は言う。
ところが、「しかたないですね、他を当たりますので」と私が言い出すと・・・
「ちょっと待ってくれ」と運転手が「この金額なら、どうだ」と言い始める。

ここからが本当の交渉。
運転手の表情を見ながら、最終的な価格を決めた。
リキシャーが走り出して15分後に目的地に到着。
おそらく5Km以上は走っただろう。

メモに書いてあった店名と同じだ、これで合っている。
間違いなくこの店だ。
地元民でごった返す大繁盛の店。
これは期待できそうだ。

着席後に壁のメニューを見て、一番オーソドックスなマトンビリヤニをオーダーした。
10分後に料理が運ばれてきた。
ブロンズの壺に入ったビリヤニは湯気を出している。
壺から、別に用意されたステンレスの浅皿にライスを移す。
いよいよ実食だ。

抜群に美味しい!
パラパラのバスマティ米に、ギー(澄ましバターの)濃厚な風味。
米もカレーの風味が効いて、かつ旨味とコクがある。
クローブやカルダモンなどのスパイスの香りも鮮烈。
大きめの骨付きマトン肉がゴロゴロと入っている。
肉はジューシー。
ライタ(ヨーグルト)や紫玉ねぎのスライス、レモンのスライス。
こうした酸味の付け合わせを口直しに食べる。
カレースープもついていて、ライスにかけて味のアクセントを楽しむ。
ライスをすくう手が止まらない。

それなのに・・・
いくら食べても、ライスは減っていかない。
このビリヤニはメチャクチャ美味しいのにもかかわらず、絶望的なほど量が多いのだ。
普通盛りで4人分くらいある。
もしかしたら6人分くらいあったかもしれない。
私はビリヤニの量がこれほどとは思っていなかったので、サイドメニューでチキン65(スパイスの鶏唐揚げ)をオーダーしてしまったことを激しく後悔していた。
これを全部食べ切るのは、どう考えても不可能だ。

よーくメニューを見ると、ビリヤニミニと書いてあるのを見つけた。
価格も量も通常の半額。
これをオーダーすべきだったが、後の祭りである。
店内を見渡すと、女性客2人組がビリヤニミニ1食分を食べていた。
これでも2人分以上はたっぷりあるのだ。
見ていて、そりゃあ当然そうなるよ、と思う。

しかし、通路を挟んで私の隣に座っていた小太りの男は、私の想像を超えてきた。
彼は私より遅れて着席し、ビリヤニ普通盛り(4人分)を非常に早いペースで食べていったのだが、私より先に完食してしまった。

彼は店員に向かって人さし指を1本立てている。
なんとお替りをしたのだ。
信じられない。
普通盛り(4人分)を続けてオーダー!!
本当に色々な人間がいて、見ていて飽きることがない。
インドは面白い人間が多すぎる。

つづく



20191120(水)

2018年インド旅行記・9


2018年インド旅行記・9

2月12日

ゴアからは一気に空路でハイデラバードまで移動した。
やはり飛行機で短時間の移動は、肉体的な負担が少ない。

ハイデラバードは私の想像を超える大都会であった。
車道が片側3車線や4車線あり、車がすごいスピードでビュンビュン行き交っている。

この街はケバブ屋がやたらと多いのに、ミールスの食べられる店を見かけない。
それでも探し当て、ハイデラバードのミールスを食す。
細かい料理の名前はわからなかったが、野菜料理やカレーも今まで食べてきたものと違いを感じる。
見た目は異なるハイデラバードのミールスだが、滋味深い味わいは南インド共通だった。
しばらく脂っこいカレーばかり食べていたので、菜食メニューは正直ホッとする。


2月13日

せっかくなので旧市街にある有名なチャルミナールへ行った。
4本の大きな尖塔が立つ場所で、ハイデラバードでは一番知られた観光スポットかもしれない。

ここハイデラバードはムスリム(イスラム教)色の強い街であり、今まで旅した南インドの地域と明らかに違いを感じる。
女性の服装は戒律に則り、黒いニカブで顔も体も隠して歩いている。
少女が母親と並んで歩いていたのだが、布で覆われている少女の顔が大きくふくらんでいた。
よく観察すると、彼女はアイスを食べながら歩いているのだった。

アイス?
屋台でインドの国民的アイス・クルフィが売っていた。
その場で食べると、私が店で出しているものと全く同じ味がした。

いやいや、ちょっと待て。
やはりビリヤニを食べなくてはならない。
ビリヤニは南インド名物で、簡単に言うとスパイスの炊き込みご飯だ。
最近になって日本のインド料理店でも提供する店が増えてきている。
ビリヤニといえば、ここハイデラバードが本場なのだ。
私は本場のビリヤニがどうしても食べてみたかった。
それも、とびっきり美味しいやつを。
そのために飛行機を使って、わざわざハイデラバードに来たんだから。

事前に調べておいたビリヤニ店が旧市街にあったので、チャルミナール見物のあとに行ってみた。
期待していたのだが、サービス悪い・値段高い・味がイマイチ・肉の量が少ない、と色々と残念な店でテンションが落ちていく。
本場の実力が、こんなものではないはずだ。


2月14日

気を取り直して、ランチタイムにハイデラバードの周辺地域(アンドラプラデシュ州)の料理がバイキング形式で食べられるレストランに行ってみたが、満席で入店を断られた。
どうにも歯車がうまく噛み合わない。

「あー面倒くさい、もう何でもいいや」
猛暑の中を歩いていると頭がクラクラしてくる。
宿に戻る途中にケンタッキーフライドチキンがあったので、冷房目当てで入る。
半ば、やけくそである。

チキンバーガー、フライドポテト、チキンナゲット、コーラをオーダーしてカウンター席に座った。
日本では滅多に食べないファーストフード。
「あれ?ウマいな・・・」
インドで食べると、なぜか美味しく感じてしまう。
そして敗北感も、ちょっと感じる。

「どこから来たの?へえー日本から」
隣に座っていた地元の若者が話しかけてきた。
「ビリヤニを食べるためにハイデラバードに来たのに・・・なんかイマイチなんだよね」
私は初対面の若者に愚痴をこぼした。
「そうなんだ・・・それなら、僕のオススメの店を教えます」
「本当に?」

若者は3軒ほど店をリストアップして、私のメモ帳に店名を書いてくれた。
「君が実際に食べて美味しいと思う店なの?」
「もちろんです」
宿に戻った私は、若者から教えてもらったビリヤニの店を調べることにした。
ネット検索して住所を特定し、宿から一番近そうな店に行くことに決めた。

つづく



20191119(火)

2018年インド旅行記・8


2018年インド旅行記・8

2月10日

パロレムのあと、私が次に向かったのは、マルガオ。
これといった大きな特徴がない、南ゴアの地方都市である。
再訪した理由は2つ。
美味しい郷土料理のレストランと、質のよい料理本を売っている本屋があるからだ。

ポークビンダルー(豚肉の煮込みカレー)
チキンシャクティ(チキンカレー)
フィッシュバルチャオ(魚カレー)
ベビンカ(ココナッツ風味のケーキ)
そしてキングフィッシャービール。
お気に入りのレストランで舌鼓を打つ。

ポークビンダルーとチキンシャクティは、自分の店でも提供していて結構人気がある。
本場と自分の作る料理はどこが違うのか?
探るように食べていく。
味は自分の料理と比べてかなり近く感じたが、酸味と辛さは圧倒的に本場が上だ。
やはり自分の料理は日本人好みに抑えている、と再確認。
原型を知っていて加えるアレンジなら、なにも問題はない。

そして、ゴア北部の州都パンジムへ移動。
今回はビーチに行かないで、郷土料理をパンジムでしっかり食べておこうと決めていた。
ところが、どこへ行っても宿が満室と断られる。
ちょうどパンジムは今、お祭りの期間で観光客が集中する時期だった。
なかなか宿が決まらずウロウロ周囲を歩いていると、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「おおーーっ、ビンセントじゃないか」
フランスの若者と予期せぬ再開。
「ビンセント、パロレムには行ったのかい?」
「行きませんでした。ゴカルナから、まっすぐ来てしまいました」
「そうなんだね。実は宿が見つからなくて困っているんだ」
彼も宿探しに協力してくれた。
なんとか宿をみつけ荷物を降ろした後、二人一緒にお祭り会場へ向かった。

街は祝祭ムード一色で、どこを歩いても物凄い人だ。
屋台料理にシャクティ、カフレアル、ビンダルーといったゴアの代表的なカレーが並んでいて、チョリーソ(ソーセージ)もゴア名物だ。
片っ端から注文して、食べていく。
屋台料理をつまみながら、ビールをガバガバ飲む。
ビンセントもかなり酒を飲めることがわかった。
顔色が全然変わらない。

イベント会場では黒山の人だかりが出来ていた。
インド人バンドが、Kool&The Gangの「Get down On It」を熱演中だった。
観衆は熱狂して踊りまくっている。
私も自分の好きな音楽が生演奏で聴けてノリノリ。
インド人も欧米の音楽を楽しんでいると知り、がぜん親近感が湧いてくる。
彼らだって、いつもシタール音楽を聴いている訳ではないのだ。

「明日ムンバイ行きのバスに乗ります」
ビンセントの旅は残り1週間。
「そうか、元気でね」
お互い酔いが回り、喧噪の中で二人はそれぞれの宿へ戻っていった。
ところが・・・



「おっ!また会ったね」
翌日に朝食に行ったレストランで、またまたビンセントと再開。
これも何かの縁と思い、夕方にムンバイ行きのバスが来るまでの間、一日彼と行動をともにしてみようと思った。
特にあてもなく、二人でぶらぶら街歩きをする。

昼食は混んでいるレストランに入り、ターリーと呼ばれるカレー定食とビールをオーダーした。
ゴアのターリーは、いわゆる南インドのミールスと盛り合わせが似ているが、菜食にこだわらず、干しエビの入った野菜炒めや魚のフライが入っている。
昼間から、どこでも、誰でも、気軽にビールを飲みながら食事ができる。
インドで酒を飲める場所は欧米人が多く来る高級レストランがほとんどである。
だから私は開放的な雰囲気のゴアが大好きだ。

食事をしながら、ビンセントの話を色々聞いた。
一緒に過ごす時間が多いせいで信用されたのか、彼はかなり個人的な話を私にしてきた。
父親は建設会社の管理職で、そこそこ上の役職らしい。
ビンセントはカナダにも留学経験があり、そこで英語を習得したとのことだ。
カナダと日本。
留学を2回もしている。
彼の実家は裕福なのかもしれない。

彼に日本での学生生活の話を聞いてみたのだが、表情が曇っている。
「私は日本人学生との交流を積極的にしなくて、留学生仲間と頻繁に会っていました」
「そうなの?」
日本語よりも英語で話すほうが楽だったからなのかな、と私は思った。
「私の留学は失敗だったかもしれません・・・」
ポツリと言うビンセント。

夕方まで街歩きをした後にバスターミナルへ行った。
ベンチに座ってバスが来るのを待ち続けるが、定刻になっても到着しない。
ビンセントは貧乏ゆすりをずっとしている。
「チャイでも飲みなよ、ここはインドだ」
インド人が言うようなセリフを私が言った。
チャイを飲みながら、時間が過ぎるのを待つ。

1時間遅れでバスが到着。
今度こそ、本当にお別れの時間だ。
「日本に戻ったら、あなたのお店に遊びに行ってもいいですか?」
ハグをしながらビンセントが言った。
「もちろん。いつでも大歓迎だよ」
実際このようなやりとりをしても、彼と再会する機会はやってこないだろう。
私は経験上わかっていた。

「See you,good luck」
バスを見送りながら、私と時間を共有して彼が喜んでくれたのなら、その気持ちだけで十分だと思った。

つづく



20191118(月)

2018年インド旅行記・7


2018年インド旅行記・7

2月8日

南ゴアのパロレム。
おそらく日本ではほとんど知られていないビーチリゾート地だ。
だからこそ、つい行ってみたくなってしまうのが私の性分。
ここは欧米人の旅行者がとても多い。
そして日本人はおろか、インド人以外のアジア系人種を全くみかけない。

街を散策していると、誇らしげな看板が立っているのを見つけた。
「ロンリープラネット推薦!ラウルの料理教室」

ロンリープラネットとは、英語で書かれた欧米人御用達の旅行ガイドブックである。
私は英語があまり読めないけれども、地図が正確なので、この本を購入して持ち歩いていた。
自分の持っているロンリープラネットで確認してみると、確かに「ラウルの料理教室」が載っていた。

ちなみに、このガイドの推薦する宿やレストランへ行くと欧米人と頻繁に遭遇する。
海外旅行で「地球の歩き方」のおすすめの店に行くと日本人と頻繁に遭遇するのと同じである。

気になったので料理教室に参加することを決めた。
事務所を訪問してみると、先生のラウルに会うことが出来た。
彼にメニュー構成を聞いてみたら、あくまでも欧米人観光客向けのわかりやすさを重視したものらしい。
私は可能ならば、ゴア地方の伝統的な料理も加えてほしい、とリクエストした。


翌日。
料理教室が始まった。
参加者は15人。
私以外の東洋人はいない。
アウェー感の強い空間である。
4人一組で協力して料理を作るようだ。

調理は玉ねぎをスライスしてみじん切りにすることから始まった。
しかし参加者の調理スピードの遅さに閉口する。
誰もがスローモーション再生映像のような包丁の動きである。
玉ねぎ一個切るのに5分くらいかかっている。
ここの参加者は調理経験がないのだろうか?

遅れているグループは、ラウル先生や調理助手がアシストに入り、時間を調整していく。
先生の指示した量の玉ねぎをフライパンに入れ、ざっくり切ったトマト、みじん切りの生姜やニンニク、青唐辛子を炒めながらカレーを作っていく。

同じテーブルで調理していた隣の若い女性が、アルゼンチン出身ということがわかった。
「Hola,soy de Japon.Mucho gusto」(どうも。日本から来ました、よろしくね)
彼女にスペイン語で挨拶したら、とても喜んでくれた。
私は中南米に2回行った経験があり、ほんの少しスペイン語が話せるのだ。
調理台の対面にいた初老の女性が「私はチリのアタカマ砂漠に行ったことあるわよ」と話しに入ってきて、料理そっちのけで南米話で盛り上がる。
「・・・・」
私たちの様子を見て、やれやれ、と困った顔をするラウル先生。

1時間半で料理は完成した。
チキンシャクティ、これはラウル先生が私のリクエストに応じたメニューだ。
ほうれん草カレー
マッシュルームカレー
チャパティ

待ちに待った食事の時間だ。
しかし・・・
私たちに快く思わない人物が一人いた。
料理教室に参加せず、調理室の様子を窓越しに見学していた人物。
アルゼンチン女性の彼氏、エクアドル人男性である。

彼氏は試食が始まり調理室の中に呼ばれると、私とアルゼンチン女性の間の席に割り込んで入ってきた。
私と彼女に話をさせたくないのだ、と感じた。
彼氏は料理教室が終了したあと、周囲に見せつけるように彼女にキスをしまくっていた。
それを見ていた欧米人たちは、冷ややかな表情。

私は以前、南米の飛行機に乗った時に、同じような体験をしたことがある。
偏見かもしれないが、今回の件で南米の男は嫉妬深いな、と私は確信したのである。

カルナタカ州で崩した体調も戻りつつあり、食欲も回復しつつあった。
翌日、同じく南ゴアのマルガオに移動することになった。

つづく



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sansara
旅が好き、音楽が好き、そしてカレーが大好きで、カレー店を始めることになりました。どうぞよろしくお願いします。

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住所帯広市西16条北1丁目1-112(北一線通り)
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