2013年6月2日(日)
本日も現場は動く

土曜日でなければ出来ない現場もあり、日曜日でなければできない現場もある。
本日はそんな現場をグリメンズ+αで仕上げました。
ご苦労様でした。
どうやら施主の社長様にも大変にお世話になったようです。
ありがとうございました。
グリメンズの真骨頂の植栽、移植のお仕事。植物に関われる作業は何か格別なものを感じるようです。
植物と言えば、陽気と共に一斉に花々が咲き乱れていますね。庭先に出てしゃがみ込んで観察すると今まで見たこともない小さな綺麗な可憐な花に出会う事もしばしばで、ギボウシの葉陰やイブキジャコウソウの隙間から覗く小さな小さな宇宙を感じられる幸せに小さな小さな庭の見方が180度変わる瞬間を感じるわけです。しかし、この小さな小さな感動は職場の隣の席のオジサンに話してもわかってもらえるわけでもないし、小学校からの友人のケイコちゃんに話すのもなんだか恥ずかしいし結局自分の胸の中にしまい込んでしまうわけです。この小さな小さな花はなんという名前なんだろうとはなぜか考えもしない自分になんの疑問も持たずにいつの間にかそんな事も忘れてしまうのもまた事実だったりもするわけです。そのうちに派手なツツジや石楠花の花に目は奪われるものの、やっぱり初めて花を付けた名前を知らない木の名前は調べるわけでもなく誰に聞くわけでもなく花が咲いたことも忘れてしまい花を見た事もわすれてしまい春先にこの庭でしゃがんで見つけた小さな小さな花の事も忘れてしまっていて、振り返るといわゆる「雑草」と呼ばれる草たちが庭木の低木達をも追い越して伸びる様を見て見ない振りをして、心の中ではどうにかしなければと思いながらも一雨毎に勢いよく伸びるその草たちに白旗を振って降参してからかれこれ3年が過ぎようとしているなんてことないと思いますけど。以前ここで見た小さな小さな宇宙は真実であり、その宇宙の感動に気づけた人だけが知る大きな大きな喜びがそこらじゅうに広がっているのに実にもったいないと思うのです。事実、そこらへんの道ばた、畑の脇、公園の隅っこ、裏庭の砂利の隙間、何気ない河原とか、そこら中に宇宙は広がっているのだから。気づけるかどうかで人生は変わる。決して大げさではなくて。

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本日はそんな現場をグリメンズ+αで仕上げました。
ご苦労様でした。
どうやら施主の社長様にも大変にお世話になったようです。
ありがとうございました。
グリメンズの真骨頂の植栽、移植のお仕事。植物に関われる作業は何か格別なものを感じるようです。
植物と言えば、陽気と共に一斉に花々が咲き乱れていますね。庭先に出てしゃがみ込んで観察すると今まで見たこともない小さな綺麗な可憐な花に出会う事もしばしばで、ギボウシの葉陰やイブキジャコウソウの隙間から覗く小さな小さな宇宙を感じられる幸せに小さな小さな庭の見方が180度変わる瞬間を感じるわけです。しかし、この小さな小さな感動は職場の隣の席のオジサンに話してもわかってもらえるわけでもないし、小学校からの友人のケイコちゃんに話すのもなんだか恥ずかしいし結局自分の胸の中にしまい込んでしまうわけです。この小さな小さな花はなんという名前なんだろうとはなぜか考えもしない自分になんの疑問も持たずにいつの間にかそんな事も忘れてしまうのもまた事実だったりもするわけです。そのうちに派手なツツジや石楠花の花に目は奪われるものの、やっぱり初めて花を付けた名前を知らない木の名前は調べるわけでもなく誰に聞くわけでもなく花が咲いたことも忘れてしまい花を見た事もわすれてしまい春先にこの庭でしゃがんで見つけた小さな小さな花の事も忘れてしまっていて、振り返るといわゆる「雑草」と呼ばれる草たちが庭木の低木達をも追い越して伸びる様を見て見ない振りをして、心の中ではどうにかしなければと思いながらも一雨毎に勢いよく伸びるその草たちに白旗を振って降参してからかれこれ3年が過ぎようとしているなんてことないと思いますけど。以前ここで見た小さな小さな宇宙は真実であり、その宇宙の感動に気づけた人だけが知る大きな大きな喜びがそこらじゅうに広がっているのに実にもったいないと思うのです。事実、そこらへんの道ばた、畑の脇、公園の隅っこ、裏庭の砂利の隙間、何気ない河原とか、そこら中に宇宙は広がっているのだから。気づけるかどうかで人生は変わる。決して大げさではなくて。
アカイケヒロオミの視点

「運動会があった日曜の午後のケムール人の日常」
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