2014年1月29日(水)
森の学習


おお、大きな木の朽ちた様子じゃな。
せっかく森に入ったんじゃから、森の樹木について少し学んでみようかのぉ。
申し遅れたが、ワシはこの森に住む森蔵じゃ。よろしく哀愁!
木は枯れて倒れ土に還る事はみんなも知っての通りじゃな。
では、木の寿命はどれくらいか知っておるかな?
答えは、木には寿命は無いのじゃ。
どうじゃ、驚いたかな。
1,000年でも生きる事ができるのじゃ。

では、なぜ千年生きた木がここには無いのじゃろうか。
木が「死ぬ」のは、例えば台風で倒れたり折れたりして枯れるものもあるじゃろう。言ってみればそれがその木の寿命じゃ。
しかし、そこで倒れなければその木はまだまだ生き続けた事になるじゃろう。
では台風や山火事・害虫の大発生など不測の事態で死んでしまう以外に木が枯れる理由とはなんじゃろうか。
トップの朽ち木の株の写真を見て欲しい。
かなり太い木、つまり長生きした木であることはわかるじゃろう。
ようく見ると中心部が人が十分に入れるほどの空洞があるのがわかる。
下の写真は違う朽ち木じゃがこんな感じじゃ。

これは腐った部分が朽ちて抜けてしまったのじゃ。生きていても幹の中が空洞の木を見たことがあるじゃろ。
なぜそんな事になるのじゃろう?
老木だから?ある意味では正解じゃ。ただし、若い若い木でもそうなる事はあるんじゃ。
なぜ木は腐るんじゃろう?
キノコはもちろん知っておるじゃろう。キノコが木に生える場合は多くは枯れた木や枯れた部分じゃな。
キノコはカビなどと同じ菌類じゃが、朽ち木などを分解して栄養としておる。分解とはボロボロになってしまう事を意味している。もう少し幅広く言うと「腐朽菌(ふきゅうきん)」という菌類が木を腐らせるのじゃ。
その腐って柔らかくなったところに蟻などが巣をつくり拍車をかける。
木が成長しているのは幹の周辺部で芯の部分は本来無くても生きてはいけるのじゃが、当然強度としては弱くなってしまうから、太ければ太い、つまり老木であればその樹冠の重たさに耐えられなくなって倒れてしまう結果にもつながる。
腐朽菌の侵入する原因は、枝が折れたり傷がついたり虫や鳥などが穴を開けたりと様々じゃが、言い換えれば腐朽菌などにより腐らなければ木は枯れないという事になる。たとえ腐れが入っても幹の周辺部が堅強で自立していられればいつまでも生き続けることになる。
つまり、樹木の性質として柔らかい木(概ね成長の早い木)は短命で、堅い木(概ね成長の遅い木)は長寿ということになる。その平均が木の寿命とされているだけのことなのじゃ。
シラカンバで70年、縄文杉は2,500年生きているそうじゃ。
寿命があるのは人間を含めた動物だけじゃそうじゃ。(寿命のない海綿動物なども知られておる)
ちなみにポテンシャルとしての人間の寿命は120年以上じゃそうじゃ。
そこから学ぶべき事のひとつとして、特に木材腐朽菌の栄養源は樹木であるが、その対象になる木を枯らして土に還してしまうことで自分たちの生き残る場所が無くならないのだろうかとも考えてしまうが、そのバランスが保たれて自然生態系の中では必要なシステムとして機能しているという事じゃな。樹木の成長と繁殖のスピードを追い越さないバランスシステムが。
人間の世界もバランスが大切なのは同じなんじゃがなぁ。


倒木の枝が伸びて木になると思っていたやつがおるそうじゃが、ヤナギなど不定根を出して生きられる木もあるが、この写真はトドマツじゃ。それは無いんじゃ。
朽ちた木の幹が柔らかく土化して落ちたタネのベッドになって新たな世代を育てているのじゃ。
多くの場合倒木は多くの水分を含むために、腐食が進みやすい事と、苔などで覆われる事で他の植物の侵入を妨げてくれて若い木にとってはありがたいベットなのじゃ。
自身を振り返ってみて、先人の築いた今住まわしてもらっている場所への畏敬の念を忘れてはいないだろうかと考えてしまうのじゃが。

するとどんな事がおきるじゃろうか?
それまで、そこで何年もじっとしていた発芽に太陽光が必要なタネが一斉に芽吹くのじゃ。
陰から陽への大変換が起こるのじゃ。その多様性が森に住む生き物たちを支えているのじゃ。生物の多様性については長くなるのでまた逢えた時にでも話して聞かせよう。
また長い年月をかけて陰の世界にもどっていくわけじゃがな。
長いスパンで見るとその一つ一つが必要不可欠な現象に見えてくるんじゃ。自身の生活に置き換えてみると、今は無意味に思えてもその一つ一つが将来きっと役に立つはずなんじゃがな。どうじゃろうか?


蔓が木に巻き付いておるな。
このような木はこの辺ではツルウメモドキ・コクワ・ヤマブドウなどなどたくさんあるのはご存じの通りじゃ。
巻き付くタイプとツルアジサイのように気根という根でへばり付いて登っていくタイプがあるのぉ。
良く見て欲しいんじゃが、この巻き付かれた木は枯れておるのぉ。かわいそうに。
熱帯雨林には絞め殺しの木とかという物騒な名前の蔓性植物があるそうじゃが、この写真では絞め殺されている感じはしないのじゃが。
このタイプで多く見られるのが、巻き付いて上へ上へと太陽の光を求めて優位に立とうとする植物の本能に基づいて蔓を伸ばし、頂上にたどり着くと今度は横に横にと蔓を伸ばし葉っぱを茂らせる。その本体である幹を太らせる。実をいっぱい付けて鳥にタネを運んでもらう。そんな感じじゃ。
巻き付いた蔦は太るが、巻き付かれた宿主である樹木も当然成長して太る。太ることによって幹が食い込む。そうしてくびれという形状が生まれるんじゃ。街路樹でもガードレールが食い込んだ写真なりを見た事があるじゃろ。するとどうなるか?強風などに弱くなる。食い込んだ所から腐朽菌が入る。その上、蔦が茂らせた枝葉が密生すると宿主の木は光合成が出来なくなり弱るんじゃ。

ここでも問題が頭をもたげる。寄生する側は宿主を殺して何の意味があるのだろう。
宿主と一緒に自分も倒れてしまうのに。と。
逆の立場で考えてみるとしよう。
この木をツルウメモドキとしよう。
ツルウメモドキは宿主である(ここではハルニレとしよう)
ハルニレが倒れる頃にはたくさんのタネを運搬者(ここではヒヨドリとしよう)ヒヨドリに運んでもらった事だろう。それでお役御免ということか。それとも林の縁に多いツルウメモドキは間引きの役割を担っているのだろうか?でも、林縁はその林内の環境調整のためにマント植栽という特有の形態を有している。それを破壊する事に意味があるのか?ある程度風通しも必要という事か?確かに林縁にのべつくまなくツルウメモドキはあるわけではない。もしあったらリースをつくるクラフトウーマンは大助かりだろうがなかなかその素材集めに苦労するらしい。まあ、手頃な蔦や蔓はそんなに手に届くところには無いだろうし。でも均一な太さの蔓で仕立て上げられたリースは実に美しい。しかも適度にあの朱色の実が付いているとなると芸術品と言ってもいい自然からの贈り物だ。
話が逸れた。

きっとツルウメモドキをはじめとする蔓植物にも重要な役割があるに違いない。そこに気づくにはまだまだ修行が足りないという事じゃな。
どうじゃな?一歩踏み入って立ち止まって考えて見る時間を持ちたいとは思わんかな。
自然は色々な事を教えてくれようとしているんじゃ。
なかなか感じられんが、そこにあるその木はどうしてそこにあるのかを考えてみるのも楽しかろうて。
貴方を待っていた木かも知れんのじゃよ。
そんな木や草や水や風に出会える幸せもあるという事じゃよ。
トカチの冬は厳しい。
生きた木も凍れて裂けるぜよ。


(言い回しが定まらなくて失礼申し上げました。)
☃/☁ -3/-16
コメント(2件) | コメント欄はユーザー登録者のみに公開されます |
コメント欄はユーザー登録者のみに公開されています
ユーザー登録すると?
- ユーザーさんをお気に入りに登録してマイページからチェックしたり、ブログが投稿された時にメールで通知を受けられます。
- 自分のコメントの次に追加でコメントが入った際に、メールで通知を受けることも出来ます。