2015年3月9日(月)
庭をつくる人・2


グリメンズ フジヤマ

「庭をつくる人」・2
室生犀星
石について
わたくしは世に石ほど憂鬱なものはないと思うている。ああいう寂しいものを何故人間は愛めで慕うのであるか。
蕭条と石に日の入る枯野かな
蕪村
こがらしや畠の小石目に見ゆる
同
木枯や小石のこける板ひさし
同
石が寂しい姿と色とを持っているから人間は好きになれるのだが、反対のものであったら誰も石好きにならないであろう。その底を掻きさぐって見たら石というものは飽かないものであるからである。さびは深く心は静かである。人間はその成長の途中で石を最初におもちゃにするようであるが、また最後におもちゃにするのも石のようである。俳句が文韻の道の初歩のものであるとしたら、老いてまた最後の文事の友でなければならぬ。わたくしは幼児川原に遊んで遠くに石を投げて見て、何秒かの後に始めて戞然たる石が石を相打つを聞き、世の幽寂の最初に触手した感じを抱いたものであった。
芽の吹くころになると踏石や捨石が冬がれの中から身を起し、呼吸をしてくるように思えた。すくなくとも何かの鋭さを現わしたが、それは木の芽草の芽が浮き出させてくるのかも知れない。浅い芽の色が蒼古たる石を上と下とから形を描き合せるのかも知れぬ。
石は絶えず濡れざるべからずというのは、春早いころがその鋭さを余計に感じる時であるからであろう。水の溜まる石、溜まるほどもない微かな中くぼみのある石、そして打水でぬれた石は野卑でなまなましく、朝の旭のとどかぬ間の石の面の落着きの深さは譬えようもなく奥ゆかしい。或いは夜来の雨じめりでぬれたのが、空明りを慕うているさまは恋のように仄かなものである。それが飛石であるときは踏みかねる心をもつ。朝の間は石の心も静まっていると見えるからである。わたくしはある朝、蒼黒い棄石のきわに一本の蕗の薹を眺め、凝然と驚いて瞠って眺めた。それは一本のかんざしを持った何か巨大な生きものの、微笑み跼まるのに眼がふれたからであった。石は庭ぬしの悲しい時は悲しそうな表情をして見せ、機嫌よいときはかれも闊達で快然としていた。一朝わが思いならざるときその眼を落すのも、石床蒼古の上に停まるのであったが、それよりも先きにかれは綿々の情に耐えざるの風姿があった。わたくさはそういう思いでかれと相抱くことを屡々感じた。相阿弥が山紫水明の間に心を悲しませ、親兄弟よりも木石交契を慕うたと自ら言ったのも解るような気がする。すくなくとも石面一顰の表情にこころづいたときには、その人の愛は行き着いたのであろう。或る子供が庭へ出て草の芽のあたまを撫でながらいたが、その子供のしたことはわたくしの石面をなでると同じいとしさのあまりである。
ほろ/\と山吹散るか滝の音
芭蕉
待ちかねて隣の梅を折りに行く
同
王庭吉の水仙図のごときもその水仙のくびの弱々しさ、垂れた一枚の葉の重さ、それで一気に伸びずにしずしずと伸びて咲いた水仙、その心はやはり我々と同じい辿りをしているものである。曹雲西の石岸古松をつんざくもの、九龍山人の枯木水辺をえがいた隠居図、かれらの持ち合せた心はわたくしどもの網の目のような心に、糸を振り合せてくれ、ほつれぬように結んで来てくれるのである。かれらはみな叩けば音をもっていた。
石は二ツ接つぎ、三ツ組、五ツ組とか言い秘伝のようなものがあるそうであるが、わたくしは勝手に組めばいいと思っている。しかし物には釣合というものがある。その釣合以上の何ものかがわたくしたちを打ってくれればいいのである。一つ置いた石が物足りなさそうにしている態が見え、友ほしそうである。或いは寂寞に耐えない風姿をしている。それを見抜いてやることも我々の心である。何かかれらにも感情があり、一つきりで立てないときにはも一つ石を接ぐのもいいだろう。そして二つ接いでもなお母石が寂しがったら我々はどうしたらいいだろう。五つを接がねばならないが併しそのために調和をやぶったらどうしたらいいか。わたくしはそういう時に無理にもと通り母石ひとりを立たせて置き、さびしがらせて置くのである。
沓抜、飛石の打ち方はくろうとでなければ、これこそ落着かぬものである。利休がある庭へ招かれた時に茶事の後に黙ってかえったが、あとで石の中に一枚だけ入れかえてあったことを見抜いたそうであった。ともあれ、飛石は丁々と畳んで行くいきで、庭の呼吸をつがせるようなものである。これの打ち方で庭ぬしの頭のほどが窺い知られるものである。飛石は何処まで打って行っても止まることを知らず、もう一枚、もう一枚というふうに先きを急ぐものであるから、止めをよほど抉り利かして置かなければならぬ。わたくしは飛石は庭を鎧うているものであることを熟々感じている。
或る時庭の片隅の梅の切株に、霊芝が五本生え、月を経てその菌は笠をひろげた。霊芝というものは支那あたりに珍重するばかりでなく、床の置物にするくらい稀有の目出度いものである。滅多に生えないものらしい。形は茎も笠も菌であるが質は固く陰干しにするとそのままの形を残すものだ。水を打って見ると朱の色に冴えて見えた。その生え方が一本は右に二本目は左に、三本目は笠が大きく少し離れて、四本目と五本目が右と左とに程よいほど離れていた。その隔はなれ方に得えも言われぬ妙味があった。わたくしはその時漫然と飛石の打ち方を頭脳に思い浮べ、こんなふうに打てばいいのだと思うた。自然に生えた霊芝の離れ方にならうことも面白いと思うたのである。何となく岩段沓抜組方というのに似ているのも、偶然ではあるが古くから言いならされていることは争えないと思うたからである。
縁側或は座敷から下りる石はがっしりしたものを用いたい。そして打ち方は石の行荘三四連ずつ打ってもいいし、四二連でもかまわない。ただ短冊石だけは喰いちがいに二分の三強の食いちがいがよい。拍子木ともいうが恰も拍子木二本を併ならべ食いちがい三分の二程度に置いた見取りでゆけばいいのである。これらの飛石のまわりに苔が生えて居れば、何も下草は植えなくともよいものである。しかし処々に白い斑の入った姫熊笹を飛び飛びにかすれた墨絵のように植えるのは、程のよいものである。あるいは苔のままでもよい、苔は日苔といい打水をしないでも蒼々としているのをわたくしは一番に好んでいる。山にある苔である。暑い日には乾いたままで蒼く、へいぜいは水をやらないで折々の雨を待つか或は一週一回ぐらいの水でよい。がっしりした苔である。大庭などはこの苔の方がよい。水をやらない癖にして置けばそのまま苔になるのである。苔は肌のこまかいほどよいとしてあるが、山苔日苔の肌の荒いのは一層の荘重を感じさせるものである。総じて庭は石と苔との値が深ければよい、龍安寺の石庭は或る意味で枯淡な達人の心境をそっくり現わしたものと言ってよい。寂しさにすぐれた人間の心もつき詰めてゆくと、石庭の精神でなければならぬ。わたくしは重い曇天の下で、蹲まり睨み合い、穏かにも優しいかれらの姿を一瞥したとき、すぐ或る種類の人々の心を覗き見た感じをもった。
苔は山土の赭いのを敷けば一二年で生えるものであるが、石に苔の生えることは一二年では難しく、そういう浅はかな心は棄てなければならない。苔の生えるまで永い雨の年月を待つのは雅人のこころとしても、苔を植えるの徒はわが党ではない。飛石のへりに日苔のしがみついた形、色の食い込みは紙魚しみのある一帖の古本こほんのように懐しいものである。わたくしは石の上の蝸牛、いなご、せきれいの影を慕うものであるが、真寂しい曇天或は雨日の景をも恋うものである。拝石などと言って庭中清浄の境に置いて、これを拝む定石はあるそうであるが、わたくしはこんな古いことは廃めてもよいと思うている。池ぎわには垂鉤石というものがあったり、硯滴石、硯用石、筆竿石、筆架石などという名前があるが凝れば自らそう名づけて見たいであろう。その他鴛鴦石や虎渓石、陰陽石などというのも、石の形から考え出したものである。兼六園などはこれらの古い名前の石がところどころに置かれ、古きに則っている。陰陽石などは庭のどこかに昔は隠して入れたものであるそうであるが、詰らないことをしたものであるというより、何か縁起を取り入れたようで微笑まれるようである。
「庭を造る人」改造社
石
1927(昭和2)年
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