2010年10月15日(金)
コナツ3/マンゴリア
むし虫どうが×3
コナツ3
「いろり」という名のその赤提灯は、小上がりに円卓が2つ。カウンターには口元に蒸発した塩がこびりついた赤い頭の醤油注しと、つまようじが置かれているような小汚い居酒屋だった。
壁には劇団四季やら地方の小劇団やらのチラシが、べたべたなんの規則性もなく貼られ、それがまた小汚い居酒屋の黄色い電球に映え、懐かしくも心地よい雰囲気を醸し出していた。

若い・・・といっても、俺と同じ三十代後半の女将がカウンターに立っていた。俺は女将にビンビールとモツ煮を注文し、カバンの中から劇小屋でもらったパンフレットを取り出し、コナツの余韻にひたっていたんだ。
コナツは好きを続けていた・・・コナツは夢に対して、直接的に、直線的に挑み、その過程が今であり、その今のコナツそのものの力、そしてその姿勢が俺にはまぶしくて、また俺を愕然とさせるほどスゴイものだった。
考えてみると、「好き」なものって何だ?どーして好きになるのだ?そのキッカケはなんなんだ。音楽、学問、スポーツ、仕事・・・好きになるものに理由なんてあんのか?
何か上手にできたときの優越感か?生まれそだった環境なのか?
いや、俺は何一つ優越感なんてものはなかった。あったかもしれないけど、そんなものは好きなモノ同志があつまったサークルに入れば、あっという間に劣等感に変わってしまった。バスケの時のように。
生まれ育った環境なのか?たしかに好きなものを与えられた環境はあったが、他にもたくさんその他の刺激はあったはずなんだ。
むしろ、環境は好きなものを「あきらめさせる」という負のベクトルでしかないのではないか?
「好き」に理由なんてないんだ。胸の奥の炭酸が抜けるような、あの感覚とか、鳥肌が立つような、脊髄で感じるようななんとも心地よいあのツーンとする感覚ってーのは、大脳的なものじゃない。
茂木健一郎が近くにいれば、聞きたいところだが、とにかくもっと原始的なDNAに刻みこまれたようなものじゃないんだろーか。
そんなことを考えてたら、女将が俺にカウンターごしにモツ煮を差し出した。俺はビールをグラスに注ぎ、七味唐辛子をモツ煮にふりかけた時、どやどやと大勢の集団がその居酒屋に入ってきたんだ。
その集団にかまわずに、考えを巡らせていた。
俺の好きなものって何だ?ってことを。
ピエールとサブの『マンゴリア』
作:うっちぃコメント(8件) | コメント欄はユーザー登録者のみに公開されます |
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