2015年9月16日(水)
五十嵐浩晃
フリー×15

おまえらに五十嵐浩晃について教えてやる。
五十嵐浩晃は北海道出身のシンガーソングライターで、1980年にスプライトのCMソング「愛は風まかせ」でデビューしている。五十嵐23歳の時である。
五十嵐は苫小牧市出身ということになっているが、美唄で生まれ、歌志内が本籍、苫小牧西小学校、月形中学校、月形高校を経て、静内高校に転校する。五十嵐の父(ライブではペガサスの父と呼ばれている)は高校の体育教師で転勤族だったのだ。
静内高校の学祭で歌った自作ソング「昆布とりの歌」が大ウケ。これが五十嵐の道を決定づける。五十嵐はこのとき以来、「コンブ」と呼ばれるようになる。当時森川正太
は「ワカメ」と呼ばれていたが、、よれよれのワカメよりも、ゆうひが丘の総理大臣
第33話の山田巡査役の森川正太は本当に魅力的だった・・・・・。
話を戻すと、静内高校を卒業した五十嵐は一浪後に札幌の北星学園大学に入学。先輩とバンド「ブリージー」を結成。札幌の文化屋などのライブハウスで人気を得る。当時からメモリーグラスの堀江淳(ちなみに堀江淳のブログ
はお湯割りをください)とはライバル関係。また同ライブハウスで活動していた蠣崎弘、境長生、横山輝一など現在も地味ではあるが活動している本物のミュージシャンたちと同じステージに立っていたのだ。
その後CBSソニーのコンテストで「恋いのピリオド」のちの「ディープパープル」で賞を取り、「愛は風まかせ」でデビューとなる。これがスプライトのCMソングとなり、スプライトのあの緑色のビンのようにさわやかな歌声と外見で、少しずつ人気が出て、1981年の3曲目のシングル「ペガサスの朝」でザベストテンに出場。5位か4位ぐらいにまでなり、誰もが知る存在となるわけだ。
そして4曲目のシングル、「ディープーパープル」は、もうすぐベストテンの14位ぐらいまでなるが、残念ながらランクインせず。しかし、ファンならずともだれもが認めるこの名曲は、多くのシンガーにカバーされることになるのだ。
その後想い出のサマーソング、ビコーズ、そよ風の頃など、いまいちヒットしなかったのだが、人気はある程度維持していたんだ。ところが五十嵐はその後、胃か腸に穴が開いちゃう病気にかかり、長期離脱。
その後ソニーからアポロンに移籍。大人のサウンドに変わり、アルバムを7枚出す。シングルでは、「街は恋人」「君の生き方をつらぬいて」「明日またあの場所で」などそこそこにヒットを飛ばす。そして現在はミュータウンレコードに所属。2012年に20年ぶりとなるアルバム「Breezy」をリリース。北海道を中心に全国でもライブをやって、精力的にミュージシャンとしての活動を続けているのだ。
近年十勝では2011年から毎年ホーリーズでライブが行われ、俺は毎年行っているのだ。小学生の頃ザベストテン、夜のヒットスタジオで聞いていた曲から、最近の曲まで幅広くやってくれる。弾き語りは本当にすばらしくいい。そしてMCが爆笑ものなのである。
その五十嵐が9月19日(6:30会場7:00開演)にホーリーズに来て、ライブをするわけである。先ほどイベンターの宗りんに聞いたところ、まだ席があり、当日に来ても大丈夫だろうということだ。五十嵐を囲んで打ち上げもあるらしい。連休のアタマ、昔好きだった五十嵐のサウンドに触れてみてはどうだろうか。

五十嵐浩晃は北海道出身のシンガーソングライターで、1980年にスプライトのCMソング「愛は風まかせ」でデビューしている。五十嵐23歳の時である。
五十嵐は苫小牧市出身ということになっているが、美唄で生まれ、歌志内が本籍、苫小牧西小学校、月形中学校、月形高校を経て、静内高校に転校する。五十嵐の父(ライブではペガサスの父と呼ばれている)は高校の体育教師で転勤族だったのだ。
静内高校の学祭で歌った自作ソング「昆布とりの歌」が大ウケ。これが五十嵐の道を決定づける。五十嵐はこのとき以来、「コンブ」と呼ばれるようになる。当時森川正太


話を戻すと、静内高校を卒業した五十嵐は一浪後に札幌の北星学園大学に入学。先輩とバンド「ブリージー」を結成。札幌の文化屋などのライブハウスで人気を得る。当時からメモリーグラスの堀江淳(ちなみに堀江淳のブログ

その後CBSソニーのコンテストで「恋いのピリオド」のちの「ディープパープル」で賞を取り、「愛は風まかせ」でデビューとなる。これがスプライトのCMソングとなり、スプライトのあの緑色のビンのようにさわやかな歌声と外見で、少しずつ人気が出て、1981年の3曲目のシングル「ペガサスの朝」でザベストテンに出場。5位か4位ぐらいにまでなり、誰もが知る存在となるわけだ。
そして4曲目のシングル、「ディープーパープル」は、もうすぐベストテンの14位ぐらいまでなるが、残念ながらランクインせず。しかし、ファンならずともだれもが認めるこの名曲は、多くのシンガーにカバーされることになるのだ。
その後想い出のサマーソング、ビコーズ、そよ風の頃など、いまいちヒットしなかったのだが、人気はある程度維持していたんだ。ところが五十嵐はその後、胃か腸に穴が開いちゃう病気にかかり、長期離脱。
その後ソニーからアポロンに移籍。大人のサウンドに変わり、アルバムを7枚出す。シングルでは、「街は恋人」「君の生き方をつらぬいて」「明日またあの場所で」などそこそこにヒットを飛ばす。そして現在はミュータウンレコードに所属。2012年に20年ぶりとなるアルバム「Breezy」をリリース。北海道を中心に全国でもライブをやって、精力的にミュージシャンとしての活動を続けているのだ。
近年十勝では2011年から毎年ホーリーズでライブが行われ、俺は毎年行っているのだ。小学生の頃ザベストテン、夜のヒットスタジオで聞いていた曲から、最近の曲まで幅広くやってくれる。弾き語りは本当にすばらしくいい。そしてMCが爆笑ものなのである。
その五十嵐が9月19日(6:30会場7:00開演)にホーリーズに来て、ライブをするわけである。先ほどイベンターの宗りんに聞いたところ、まだ席があり、当日に来ても大丈夫だろうということだ。五十嵐を囲んで打ち上げもあるらしい。連休のアタマ、昔好きだった五十嵐のサウンドに触れてみてはどうだろうか。

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