2011316(水)

動かない信号機

伝言×12

月曜日には完全に止まった電車が、火曜日には30%に復帰して、今日水曜日には、70%まで戻った、ということで都内の職場に行きました。

戻ったといっても、急行や準急(東京から近い部分は駅を3つ4つ飛ばし、遠くの方では各駅になったりする路線)はなく、各駅のみ。
それでも動いることは大変ありがたいと思いました。

職場について仕事をしていると、大きい地震。

一つ目は、千葉県沖。
もうひとつは福島沖。

昨晩は、静岡県。

ぐるりと震源地に取り囲まれる、東京とその周辺の県。

震度1から2の微震はしょっちゅうなので、もう3くらいまでのゆれでは、驚かなくなってきて、ちょっと警戒心も薄れた危うさも出てきた頃でしょうか。

仕事を定時に終わったら、すんでいる町で仕事をしている夫からメールが入りました。

「停電が来た」

午後3時半頃から7時までの停電の地区。
帰宅途中の電車の中でそれを受け取って、途中で電車はとまってしまうのだろうかと不安に思いながら最寄の駅に着きました。

そこからは自転車で家に帰ります。

道路は、放射線が飛んでいるというニュースのせいか、いつもの半分くらいの自動車しか走っていません。
いつもより道がすいていて、走りやすいなどと思って大きな交差点に来ると。

信号機が消えています。

停電なのだから当たり前なのですが、大きな、車のたくさんとおる交差点では無意識のうちに、信号機を見ていたのだと解りました。信号機によって、交通の秩序や安全が保たれていたのだと、実感しました。

交差点に入るたびに自動車は一時停止をし、自転車や歩行者は、車が行き過ぎるのを待ち、早足で交差点を抜けていきます。高度経済成長期には、おそらくこうやって交差点を通っていたのだろうなとふと思わされます。

家に着くと暖房器具は、石油ファンヒーターではなく石油ストーブになっていました。ファンヒーターは、電気で制御するので、停電では使えません。石油ストーブはこういうとき強い味方になってくれますが、安全なファンヒーターを使った後では、本体自体が熱を持ったり、上にのせた蒸気皿(やかん)のお湯などが、小さい子供の居る家では危険だったり、現代の家やすまいかたが、もはや、危険を甘んじて受けそれに対してつねに注意を払う生活の仕組みではないのだと感じさせられます。(確かに安全な方が住まいやすいですしね)

停電が終わるまで懐中電灯はつけないで、ストーブの明かりだけがある、暗い部屋でじっとして、半分眠ってしまっていました。
停電が終わって照明がついたときの、気持ちは、やれやれという感じと、ほっとしたという安堵感。

文明の発展は電気だけによるものではありませんが、電気というものの、人々に満遍なく浸透して役立っている様子は、失ってみて初めてしみじみと感じられるものでした。

計画停電は、聞いた話しでは夏まで・・夏を過ぎてもあるかも・・・あるだろうといわれています。
エアコンの熱が抑えられてヒートアイランド現象がどのように変わるのか、楽しみにしようと思います。







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