伝言(12)


2011323(水)

メールが来ました。

伝言×12

震災に関するお話と、とりまく不安などを書いています。
明るいお話でもないし、感情を吐露している箇所もあります。
不快な気持ちになるかもしれないとも思います。
ここでそのようにお感じになった方は、読み進まないよう、先にお願いいたします。
仙台に住む恩師から、昨日メールが来ました。

ご家族も住まいも無事だとの事、ただ職場がめちゃくちゃでしたが、「生きています!」と帰ってきました。

まだ復興には時間がかかるでしょうが、水道やガスも通り始めて少しづつではありますが戻り始めていると、短い内容でしたがこちらが安心するには十分な内容でした。

知っている人が生きていたという事実は単純に安堵ですが、津波の災害で家屋も家族もなくした人達をニュースで見ると、もろ手を挙げて喜んでいいことも、片手しか挙げてはいけないような複雑な気持ちです・・・。


今朝は地震がありました。福島沖、茨城沖、千葉東方沖、と震源地は微妙に違いますが、いずれも私が住む箇所に届いた地震の波は震度3を超えるものでした。

夜中に大きいのが1回。
朝に3回。

今日は仕事もあったのですが、
電車も8割がた動いているということですが、
いつ大きなゆれがくるとも、来ないともいえないので、
職場が地震のために人災があってはならないというお達しがでたことを受け止めて、お休みにしました。
そのほかにも、家屋の安全、子供の安全のためといくつか個人的な理由はありますが・・・。

男女平等という世の中で、こんな中でも働いている男性の皆さんには申し訳ないと思いながら、不安を抱えながらこの記事を書いています。

夫からは非常時は自宅にいて、子供たちを見守っていてほしいと言われても、職場では、そんなことは関係ないと考える人もいるのは確かで、どちらも大事で比べることが出来ない私としては、本当に困ってしまいます。

よく世間の話で、「私と仕事どっちが大事なの!」と詰め寄る女性の話がでますが、それは今の私に当てはまって、「家庭と仕事とどっちが大事なんだ」といわれてしまったかのように迷います。

結局は、私の仕事は生活の足しにはなるが、生活するための稼ぎではないので、家庭の安全を取りました・・・。


住まっている地域は被災地ではありませんが、あの大きなゆれで近所に被害がなかったわけではありません。

我が家は、災害や火災にすごく気を配った家を作ったので、今回は耐えることができました。しかし、そのほかにも地盤などの要因や震源地からの距離などを考えると、運が味方してくれた部分も否めないと思います。

近所の被害を見るたびに思います。
大きな地震が起こるたびに、次はこっちにくる、こっちにくるかもしれない、と。中途半端に味わった恐怖は、不安で恐怖を増すようです。

我が家は買占めだの買いだめだのということはしませんでしたが、当面必要なものは買い物にはいきました。

なくなりかけていた灯油やガソリン。
日配食品。

レジに並ぶ人はいつもの5倍以上の長さです。カゴの中は、カップめんが山ほど。それ以上は見えません(というか見るのは失礼でしょ)

今はその喧騒もおさまって通常に戻りつつありますが、あの異常な光景を見ると、今は足りているが、なくなったときには果たしてあるのだろうか?という不安に駆られます。


今日になって、福島原発に電気が流れて、回復する見込み(発電所の能力ではなくて、緊急事態が)がたったようだというニュースが流れました。(違っていたらすみません、節電と計画停電のために不要な電気は使わないようにしています、間違っていたらコメントなどで教えてください)

そのためなのでしょうか、本日1回目の停電は中止になりました。しかし、午前のグループは夕方に停電を実施することもありますので、今日は夕方の実施かもしれません。
これから連絡が入ります。

停電が実施されると何ができるか。
何もできません、と書いたら自分でも気持ちが落ちたので、できることを羅列してみます。

昼間はお日様の光で読書などができます。
昨日は子供たちとトランプやカルタをしました。
ガスが使えるので煮炊きもできます。
昼寝もしてもいいじゃないか。

でも外出はできません。
信号も止まっているし、ガソリンも入手しにくいし、放射線が飛んでいるから子供も家にいるように言われます。



日常の生活に戻って、普通に暮らしたいと頑張っていますが、襲ってくる不安・・・考えすぎているところもあるかもしれませんが・・・で、先の見えないことに胸が押しつぶされそうです。



2011316(水)

動かない信号機

伝言×12

月曜日には完全に止まった電車が、火曜日には30%に復帰して、今日水曜日には、70%まで戻った、ということで都内の職場に行きました。

戻ったといっても、急行や準急(東京から近い部分は駅を3つ4つ飛ばし、遠くの方では各駅になったりする路線)はなく、各駅のみ。
それでも動いることは大変ありがたいと思いました。

職場について仕事をしていると、大きい地震。

一つ目は、千葉県沖。
もうひとつは福島沖。

昨晩は、静岡県。

ぐるりと震源地に取り囲まれる、東京とその周辺の県。

震度1から2の微震はしょっちゅうなので、もう3くらいまでのゆれでは、驚かなくなってきて、ちょっと警戒心も薄れた危うさも出てきた頃でしょうか。

仕事を定時に終わったら、すんでいる町で仕事をしている夫からメールが入りました。

「停電が来た」

午後3時半頃から7時までの停電の地区。
帰宅途中の電車の中でそれを受け取って、途中で電車はとまってしまうのだろうかと不安に思いながら最寄の駅に着きました。

そこからは自転車で家に帰ります。

道路は、放射線が飛んでいるというニュースのせいか、いつもの半分くらいの自動車しか走っていません。
いつもより道がすいていて、走りやすいなどと思って大きな交差点に来ると。

信号機が消えています。

停電なのだから当たり前なのですが、大きな、車のたくさんとおる交差点では無意識のうちに、信号機を見ていたのだと解りました。信号機によって、交通の秩序や安全が保たれていたのだと、実感しました。

交差点に入るたびに自動車は一時停止をし、自転車や歩行者は、車が行き過ぎるのを待ち、早足で交差点を抜けていきます。高度経済成長期には、おそらくこうやって交差点を通っていたのだろうなとふと思わされます。

家に着くと暖房器具は、石油ファンヒーターではなく石油ストーブになっていました。ファンヒーターは、電気で制御するので、停電では使えません。石油ストーブはこういうとき強い味方になってくれますが、安全なファンヒーターを使った後では、本体自体が熱を持ったり、上にのせた蒸気皿(やかん)のお湯などが、小さい子供の居る家では危険だったり、現代の家やすまいかたが、もはや、危険を甘んじて受けそれに対してつねに注意を払う生活の仕組みではないのだと感じさせられます。(確かに安全な方が住まいやすいですしね)

停電が終わるまで懐中電灯はつけないで、ストーブの明かりだけがある、暗い部屋でじっとして、半分眠ってしまっていました。
停電が終わって照明がついたときの、気持ちは、やれやれという感じと、ほっとしたという安堵感。

文明の発展は電気だけによるものではありませんが、電気というものの、人々に満遍なく浸透して役立っている様子は、失ってみて初めてしみじみと感じられるものでした。

計画停電は、聞いた話しでは夏まで・・夏を過ぎてもあるかも・・・あるだろうといわれています。
エアコンの熱が抑えられてヒートアイランド現象がどのように変わるのか、楽しみにしようと思います。



2011314(月)

後遺症

伝言×12

東京電力が、計画停電を行うというニュースが流れたと思いますが、第1グループの午前の配電、第2グループの午前の配電は、とりあえず行われ、停電中止となったようです。

なったようですというのは、送電の関係上、計画の地域であっても免れることもあったかもしれないからという予測の上でブログを書いているからです。

今日は都内の職場に行く予定でしたが、電車が運休でおやすみになりました。一応動いてはいますが、東京都内しか動いていないのです。それも本数を減らして。

夜の停電もありうる地域に住んでいるので、乾電池をもとめて自転車で買いに行きました。
しかし、どこにもありません。
正確には、ボタン電池と、単4、単5電池はありましたが、単3以上の大きさの乾電池は、売りきれて見つけることが出来なかったのです。

どこのお店に行っても、長蛇の人の列。
カップめんを買ったり、トイレットペーパーを買ったりしています。品薄になったものがいつ入荷するかとたずねても、配送はいつになるか予測もつかないというお店。

乾電池とラジオを買おうと思っていましたが、たくさんの人々が、食料品をカゴに入れている姿をみて、危機感を覚えて、乾麺と小麦粉と砂糖、スポーツドリンクのパウダーを買いました。家には、食材のたくわえがあるので、2~3日は大丈夫だと思いますが、食べ盛りの子供もいるので、いつまで持つかという心配もかなりあります。

学校給食も、給食センターが機能しなくなり、子供たちはお弁当を持っていっています。

被害は最小の地域だと思います。
でも、これだけの後遺症。

夜の停電が予定されている地域なので、お風呂に入って寝てしまおうと考えていますが、お風呂の電源もボイラーの電源も電気だったはずなので、停電予定の時間をはずして入ることになると思います。

震災前の日常を取り戻すのはまだ先になりますが、あわてないように、できるだけ日常の生活や仕事をするように心がけています。



2011312(土)

言葉が見つかりません。

伝言×12

今回の東北、太平洋沖地震で被災された方にお見舞いもうしあげます。

私にもプチメにコメントを頂いたり個別にメールを頂いたりしとても勇気付けられました、ありがとうございます。


昨日の2時46分。
外からビープ音とでも言うような大きな音が鳴り響きました。
アナウンスも流れました。
その時には、いくらかのゆれを感じていましたが、その後にゆれは大きさをまして、上の方においてあった、洗濯ピンチなどが落ちてきました。

その時まで、頭痛でいすの上に横になっていたのですが、たって見ると、歩くのが困難でした。
とりあえず避難しようと思っても、外に飛び出すのも2階にすんでいるために階段を下りれず、飼っているハムスターのケージをもって、うろうろしてしまいました。

なかなか止まらなくて、長い地震だったと感じています。

その後、実家で心配しているのではないかとすぐ連絡をしたら、十勝でも震度4だったと聞き、尋常じゃないことに驚きました。

こちらでの震度は、震度5強。
終わって部屋を見回ってみると、南北方向の引き戸は20センチ動いているし、家具は10センチくらい動いて食器や本が床の上に散らばっていました。机の引き出しも軽いものは全部出てしまっていました。
築50年を超える家の多い地区では、かわら屋根が落ちてきて道路をふさいでいたそうです。

片付けはおいといて、子供が心配で小学校に行きました。

小学校ではちらほら親が迎えに来ていました。児童たちは、グラウンドに避難して、防災頭巾(入学式の時に必ず買うのです)を被って不安そうに小さくなっていました。
教育委員会の許可がないと帰宅もできないとのことで、いつもの下校時間を40分遅れてやっと帰宅の許可が下りました。

私が駆けつけてから実に1時間半。
その間、体育の授業をしていた6年生が、半そで半ズボンで、うずくまっていて、どんどん気温の下がる始める夕刻にかわいそうだと思いました。


ニュースからでは、津波の被害、火災の被害も飛び込んできています。都内では帰宅が困難で、職場に泊まりこんでいる人もたくさん居ます。電車は地下鉄が割りと早く動きましたが、そのほかは今朝になって動き始めました。一連の原子炉のニュース、広範囲の停電のニュースなど、たくさんの異常な出来事がどんどん飛び込んできています。

体感できるゆれは数え切れないほどでひっきりなしです。
ピープ音も夜中に3回なり、そのたびに大きめのゆれがありました。

それでも、震源地の人達はもっと怖い思いをしているし、しかも今日は冷え込んでいるし、そのつらさを思うと、ここは自分の出来ることをすることしかないと、ぐっと自分を落ち着けるようにこらえています。

最初は三陸沖、
夜中の4時ころに新潟、長野
今朝7時頃に神奈川
都下にどかんとおきたら、あっという間に連絡も取れなくなるでしょう。それより停電に備えて記事をあげたら、PCの電源を落とします。

それよりも今は宮城に住む恩師、神奈川の弟、被災地にすむ方と連絡がつかない人もいて、本当に心配です。
本当に心配なのですが・・・・なんといってよいのか本当に言葉が見つかりません。

こちらも頑張ります。
そちらもどうぞ頑張ってください。



201134(金)

おわび申し上げます。

伝言×12

本日からエスタ東館で、手づくりマルシェ(主催:手づくりハウス「ぱお」さん)を開催しておりますが、本日までに間に合うように送ったはずの作品が、交通事情で遅れたというお話を聞きました。

作品たちは午後に届いたとの事です。

午前中にご足労下さった方がいらしたと聞いております。
間に合わず申し訳ありません。お詫びを申し上げます。

そしてつたないものではありますが、見にお越しくださって心からお礼申し上げます。

ありがとうございます。





ここからは、気分を変えていきましょう!


手づくりマルシェはまだまだ開催しています!

3月4日(金)~7日(月)
10:00~16:00
エスタ帯広 東館1F 「Laugh」隣


14組の作家さんがそれぞれ趣向を凝らし、ひとつひとつ丹念に作った作品が、皆さんをお待ちしています。
今日(4日)の午後からは、私の新作も、仲間の作品と一緒に並ぶことが出来ました!

もちろんスタッフ一同も、お待ちしております。
どうぞふるってお越しください。

またとなりのLaughでは、軍曹たちもお待ちしております!

よろしくお願いいたします。



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