2008年10月27日(月)
絵に描いたような不幸・・・、
日記×703

今日は朝から天気が悪い寒い一日でした。
遅い昼ご飯を終えてスーパーへ買い物に行こうと母を車に乗せて出かけたのですが、買い物よりパチンコさせろと言い出しました。
たまには良かろうと、老人性不良症のお袋をパチンコ屋さんで降ろして、軍資金福沢諭吉1枚を渡して「そこらで時間つぶしてるから電話してね」とその場を立ち去るものの、行く所もないので満車の駐車場でシートを倒してウツラウツラしていました。
コレはモウ、お金を使い果たした車中泊路上生活者じゃん!
1時間近くしても電話はなく、寒くて目が覚めてしまいました。
過酷な生活の一端が垣間見れますね(涙)
仕方がないので暖を取りに(涙)パチンコ店に入りました。
お袋を探すと、ちょっと出たのか箱に玉を持っています。
「あれじゃもう3~40分は掛かるだろう・・・」そう思って、店内をブ~ラブ~ラしていたら、お客で座る台がありません。それでも1台、たった今席を立とうとする人を見つけたので何も考えずにそこに座りました。
その男性、たぶん3~4万円タップリつぎ込んだのか、かなり名残り惜しそうに台を離れ、たまたま同時に空いた後ろの台に座って僕が代わりに座るのを見ていました。
家政婦は見た!じゃなくて・・・、
その時歴史は動いた!でもなく・・・、
そして悲劇は起こった。
僕が座ったエバンゲリオン、見れば588回転していました。
ヤル気もないまま1000円札を入れて、500円分の玉を出して打ち始めました。
4~5回まわったところだったかな、
アスカが「ツバァ~イ」とか言った途端に回転灯がグ~ルグル回って大当り・・・。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
ああ、件の男性、もう500円打てば幸せにめぐり合えたのに・・・。
その後はと言えば、その男性の傷心と焼け焦げた魂に油を注いでフイゴで風を送るが如く間髪入れずに7連チャン。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
コレを「絵に描いた不幸」と言わずしてなんと言えばよいでしょう。
その後、打ち終えたお袋が予定通り福沢諭吉とさよならして僕の元へ。
足元に積んだ6杯の出玉は全てお袋が没収。
実は、絵に描いたような不幸って、僕だったんですね。
不幸な男性がすられたお金 3~4万円
お袋が使った僕のお金 10500円
母への愛・・・・Priceless
ジャンジャン。
2008年10月23日(木)
朝のワイドショーから
日記×703
「日本にアニマルポリスを誕生させよう!!」
日本も海外のテレビ番組にため息ついてるだけではなく、そろそろ本格的に導入の時期に来ているのでは?
自動車免許の書き換えに、任意と言いながらイヤ~ナ気分で安全運転協会に数千円払わされるなら、狂犬病接種の際に1000~2000円払うのは抵抗ありません。
もちろんこう言った一連の活動が農水省の新たな天下り先になったり、業界の圧力で骨抜きにならないように注視しなければなりません。
テレ朝系のワイドショーで、不要になったペットの回収車や保健所での動物処分について放送していた。
人間のモラルが低下の一途では、対策の取り様も無い。
私のように動物と暮らしている身からすれば、信じがたい人間の多さに唖然を通り越して怒りを感じる。
この怒りは何処に向かえばよいのでしょう?
我が子だけが良ければ、そんな状況をどうしたら超えることができるんでしょう。
日本は先進国の中でもペットに関係する法律の整備が進んでいないと聞きます。虐待や飼い主の義務についてもっと重い法律を作るべきではないでしょうか?
犬猫の受難だけではない、社会に増える同様の問題は多様な側面を持つようであって、実は原因の根っ子は「情」に他ならないだろう。
心温まる数少ない話に、目をそむけ耳をふさぐ話から逃げすぎではないのだろうか。
厳しい批判がネットの片隅だけで語られるような未熟な世の中に嫌気がさす一日の始まりでした。
2008年10月21日(火)
犬猫好きなら
2008年10月21日(火)
食べ物とファッション
2008年10月15日(水)
子供たちの幸せを
日記×703
ついさっきまで、元マラソンランナーでタレントの松野明美さんの次男が生まれつきの心臓病とダウン症を持って生まれてきた話しを観ていました。
松野さんのイメージとは程遠いと言っては表現に乏しいのですが、お母さんとしてのご苦労を知りました。
世間ではこういう風に自身の秘密を公にすることをカミングアウトなどと言うそうですが、松野さんのお話の中で「ずっと秘密にしておこうかとも思った、ご近所でも初めて知った人ばかりだと思う。でも子供に失礼じゃないかと思い切ってお話した」と言った趣旨のお話があった。
ダウン症という症名を耳にしたことがある人も少なくはないだろう。僕もその一人であります。
20年近く前に、NHKで週末6時から「コーキーとともに」というダウン症の男の子が主人公のテレビドラマが放送されていた。僕はほとんど毎週、仕事を放って必ず観ていた。
時間が許せば、ドラマのタイトル名で検索してみて下さい。
主人公が実際にダウン症で、そして素晴らしい俳優だったことがわかります。
生まれてくる子供たちが全て健康に恵まれてこの世に出てくるわけではありません。不幸にして…、そういう言い方も何か間違った気持になるのですが、再度私の乏しい表現をお許しいただければ、誰の責任でもなく、ハンディを持って生まれてくる子供はいるのです。
僕は、自分の体験でお話するだけの充分なものも持ち合わせていませんが、きっとみなさんと同じ気持です。
子供たちの将来を、親御さんだけではなく、国の充分な支援を背景に作られた制度で見守って行かなければなりません。
先日改正された法律の障害者自立支援法と言うものがあります。テレビは取り上げましたが、撤回させるだけの民意をまとめ上げるには至りませんでした。
今日の番組を見て、私のように生まれつきの病気も障害も持たずに生きる者は、こういった法律や政治の持つ問題にもっと積極的に取り組まねばならないと改めて思いました。
障害のある子供を持つ親御さんが、全て豊かな生活を営んでいるわけではありません。上で挙げた松野さんのようにタレント活動など生活の基盤がしっかりした人ばかりではありません。
そう言ったご苦労を思えば、いやいや、親御さんにとってお子さんを育てる事は我々の眼を通して感じるような苦労とはまた違うのかもしれないけれど、暖かい目と手厚い保護をさしのべる事が出来る世の中になって欲しいと願わずにはおられません。
昨日の番組だったと思いますが、親の虐待や子育て放棄で施設に預けられる子供たちの話がありました。里親として複数人の子供を家庭で預かっている話しもありました。
虐待を受けていた男の子が、大人顔負けの乱暴な言葉使いで施設の先生を困らせている話しも紹介されていました。
一つ一つの事を採り上げ非難や批評しても仕方ないです。
こんな親が世の中にいて、こんな親に育てられた子供が自由気ままに育てば、人を思いやる気持など育つはずがない、これは私だけの考えなのだろうか?と思った夜です。
松野さんのイメージとは程遠いと言っては表現に乏しいのですが、お母さんとしてのご苦労を知りました。
世間ではこういう風に自身の秘密を公にすることをカミングアウトなどと言うそうですが、松野さんのお話の中で「ずっと秘密にしておこうかとも思った、ご近所でも初めて知った人ばかりだと思う。でも子供に失礼じゃないかと思い切ってお話した」と言った趣旨のお話があった。
ダウン症という症名を耳にしたことがある人も少なくはないだろう。僕もその一人であります。
20年近く前に、NHKで週末6時から「コーキーとともに」というダウン症の男の子が主人公のテレビドラマが放送されていた。僕はほとんど毎週、仕事を放って必ず観ていた。
時間が許せば、ドラマのタイトル名で検索してみて下さい。
主人公が実際にダウン症で、そして素晴らしい俳優だったことがわかります。
生まれてくる子供たちが全て健康に恵まれてこの世に出てくるわけではありません。不幸にして…、そういう言い方も何か間違った気持になるのですが、再度私の乏しい表現をお許しいただければ、誰の責任でもなく、ハンディを持って生まれてくる子供はいるのです。
僕は、自分の体験でお話するだけの充分なものも持ち合わせていませんが、きっとみなさんと同じ気持です。
子供たちの将来を、親御さんだけではなく、国の充分な支援を背景に作られた制度で見守って行かなければなりません。
先日改正された法律の障害者自立支援法と言うものがあります。テレビは取り上げましたが、撤回させるだけの民意をまとめ上げるには至りませんでした。
今日の番組を見て、私のように生まれつきの病気も障害も持たずに生きる者は、こういった法律や政治の持つ問題にもっと積極的に取り組まねばならないと改めて思いました。
障害のある子供を持つ親御さんが、全て豊かな生活を営んでいるわけではありません。上で挙げた松野さんのようにタレント活動など生活の基盤がしっかりした人ばかりではありません。
そう言ったご苦労を思えば、いやいや、親御さんにとってお子さんを育てる事は我々の眼を通して感じるような苦労とはまた違うのかもしれないけれど、暖かい目と手厚い保護をさしのべる事が出来る世の中になって欲しいと願わずにはおられません。
昨日の番組だったと思いますが、親の虐待や子育て放棄で施設に預けられる子供たちの話がありました。里親として複数人の子供を家庭で預かっている話しもありました。
虐待を受けていた男の子が、大人顔負けの乱暴な言葉使いで施設の先生を困らせている話しも紹介されていました。
一つ一つの事を採り上げ非難や批評しても仕方ないです。
こんな親が世の中にいて、こんな親に育てられた子供が自由気ままに育てば、人を思いやる気持など育つはずがない、これは私だけの考えなのだろうか?と思った夜です。