2020425(土)

芸術の力

音楽家・横山令奈さんの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=AXdJdYct9tI



2020423(木)

本田由紀教授 おすすめの一冊です!

 世の中は新型コロナウイルス感染拡大でひどいことになっています。一日も早い終息を念じています。

 今回は、終息後の世の中のあり方を構想するために、本田教授の作品を読みポイントをまとめてみました。現在の日本の閉塞状況の原因の一つには、教育の中またその出口に歴史的、社会的に構築された構造が存在するということが本田教授の論考を読むことで手に取るように理解できました。また、教育の問題は働きの領域とつなげて検討していかなければならないということも今回改めて学ぶことができました。

本田由紀『教育は何を評価してきたのか』岩波新書2020年

・近年の日本の経済的な停滞と社会的な遅れは、誰の目からも否定できない。その原因もまた数々指摘されているが、そのリストに、「どんな人」が望ましいかをめぐる、この国の独特な言葉とその用法という側面を付け加えておく必要があると考える。本書が具体的なターゲットとして据えるのは、「能力」および「資質」「態度」という三つの言葉である。

・垂直的序列(相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格づけを意味しており、しかもより近年にいたってその「能力」基準の内容が複雑化している。)
垂直的序列の2つの軸
Ⅰ 日本的メリトクラシー(従来から存在する基準は主に知的で汎用的な学校的「能力」としての学力)
①生得的な要素と後天的に獲得された要素を区別しないこと、②個人に内在する性質を意味していること、③「○○能力」と限定せずに「能力」のみで用いられる場合、人間の全般的かつ総合的な性質を意味するため、一元的な高低を想起させること、という意味作用をもつ。「○○能力」と限定して用いられる場合であっても、「○○」に入れる言葉の抽象性が高ければ(たとえば「コミュニケーション」や「問題解決」など)、同様に全般的で総合的な高低という意味を伴う。それゆえ、こうした「能力」という言葉を含む「能力主義」も、生得・後天の両面をもつ個人内在的な性質に関する上下の差異化を意味するものとして用いられてきたが、そのこと自体が垂直的序列化を促進・正当化してきた。
Ⅱ ハイパー・メリトクラシー(新たに重要性を増してきている基準)
知的な「学力」以外の、「生きる力」や「人間力」といった主体性・意欲・個性等々の情動的・包括的な能力による垂直軸による評価や選抜。

・水平的画一化(特定のふるまい方や考え方を全体に要請する圧力を意味している。これは具体的には、顕在的・潜在的な「教化」の形をとる。)水平的画一化と不可分の言葉は、「態度」および「資質」である。今世紀に入って学校現場の全体を巻き込む形で制度化された「教化」を、「ハイパー教化」と本書の中では呼んでいる。
ハイパー教化
「道徳」も、<厳格化>・<感情化>する指導も、児童生徒に対して、特定の均質なふるまいと「心」のあり方を求めるものである。そこからはみ出すことは許されず、仮にはみ出せば攻撃や排除や否定の対象とされる。求められる方向に同調するか、さもなくばネガティブな扱いに甘んじよ、という装置と空気が、授業でも、授業以外の学校生活や行事でも、学校現場に蔓延している。このように学校の全域に及びつつある水平的画一化。

・これらの垂直的序列と水平的画一化の支配のもとで、過少になっているのが水平的多様化である。水平的多様化とは、一元的な上下(垂直的序列)とも均質性(水平的画一化)とも異なり、互いに質的に異なる様々な存在が、顕著な優劣なく並存している状態を意味している。その中核にある原理は、異質であることの価値を認め、排除を可能な限り抑制することにある。
・日本社会が直面している重大な課題は①少子高齢化と人口減少、②経済と技術の低迷、③格差と貧困、④社会保障の不備と財政赤字、⑤女性の社会進出の不振、⑥マイノリティ(外国につながりをもつ人々、生活保護受給者など困窮者、障害者、LGBTなど)への差別の強さ。
・これらの課題に対処するためには、属性や状況を問わずあらゆる人々が存在を尊重され、基礎的な生活を保障されるとともに、それぞれのアイデアや得意なことを存分に伸ばしたり発揮したりすることができ、適正な報酬を得て、社会全体の基盤整備と再配分や福祉のための公的財源に寄与するような社会状況を、従来の固定観念や差別的な意識を超えて作り出していくことが不可欠である。このような社会の在り方を実現していくために重要なのは、様々に異質な他者を尊重し、新しい発想や挑戦を受け入れ称賛するような柔軟性である。


ここからはブログ主宰者の感想です。大学で私が習った影山喜一先生は『企業社会と人間』(日本経済新聞社1976年)のなかで、大学から企業への学生の移行過程に生じる問題を指摘していました。長いけど引用します。

六~九月、職さがしに4年生が忙殺されるのを、教師は歯ぎしりしながらじっと耐える。だが内定後も、いくつかの企業は学生にたいして学校のスケジュールにくいこむ作業を強要する。それらの作業がどれほど企業にとって意味のあるものなのか、部外者の眼にはきわめてあやふやにうつる。あわれな学生は、せめて半年くらい勉強してみたいと感じつつ、内定を取りけされないかと四六時中びくついている。結局かれは、大学を捨てて企業をとる。はじめからそうなるしかないとしても、かれの心には癒しがたい傷がのこるだろう。ぼろぼろにすり切れた精神には、「無理がとおり道理がひっこむ」世界にこれからはいるという自嘲の念が色こくやきつく。ひょっとすると、それこそが最初から企業の狙いだったのかもしれない。

現在、学校生活を送っている方々の中で、「もうやってられないよ」と感じておられる先生や生徒諸君が少なからずおられるということは、結構前から私は知っています。1970年代当時よりさらに長期化した、現在の大学生諸君の職さがし期間の状況はよくなっているのでしょうか。メディアで報道されている黒のスーツで就活している若い人々は何を思って感じながらオフィス街を駆け回っているのでしょうか?結局、日本社会はこれまで特に若い人々を教育するためにお金をとりわけ公的に十分に注いでこなかった点も然ることながら、一人ひとりが1回きりの自分の人生を歩んでいくための力をひとりひとりにはぐくんでいくための教育という視点がないがしろにされてきたと言えるかもしれません。もしかしたら、その傾向が最近さらに強まってきているんではないのかという気がすごくしています。それは影山先生の先の引用と本田教授の作品を読んで僕は実感しています。ただ、本田教授が実施した調査の中で「特別の教科 道徳」について問題を感じている教員が6割もおられたということ。また、企業のなかでもようやく、新しい取り組みが少しずつ始まっているように感じられる点もなども本田教授は指摘されております。現在の学校の中でしんどいながらもがんばっておられる先生方。このような先生方が活躍できるには、学校がどうあればよいのか。日本の企業で今後人々はどう働いていけばよいのか。ひとりひとりの若者が自らの人生を前向きに生きていくための力を育むための学校教育はどうあればよいのか。これらの問題を考えるために、本田教授の『教育は何を評価してきたのか』は最適のテキストです。



2020322(日)

これぞ 教育社会学!

児美川 孝一郎『高校教育の新しいかたち』泉文堂2019年

 今日の高校が抱える困難と課題の由来が、戦後のある時期以降、高校が<自律システム化>してしまったがゆえに、高校教育と<職業社会との疎隔>が生じ、その結果として、生徒が高校で学ぶことの意味と意義を実感できなくなった(同書171ページ)

 児美川教授の同作品のなかで僕が注目した点をまとめてみました。

 本書のねらいは、「日本の高校が抱え込んだ困難と課題が、もはや<臨界点>にまで近づきつつある姿を、戦後の高校制度の歴史的展開にも目配りをしつつ、ていねいに描き出すこと」です。そのための視点は<職業社会との疎隔>、 <階層的序列化>の2点です。
第一点目の視点の考察から得られた知見は下記です。

 今後は、個人が自律的に自らのキャリア開発の主体となって、(企業とわたりあったり、転職や起業などを試みたりすることを含めて)職業世界を漕ぎ渡っていくことが主流になろう。そうした意味では、ここで述べてきた、高校教育が取り戻すべき産業界(労働市場)との接続は、より正確には「職業社会との接続」であると言うべきである。(37ページ)

 第二点目の視点では、大阪府内の公立高校三校(普通科高校、専門高校、専門コースを設置する普通科高校)を取り上げて、それぞれの学校における教育困難の様相を提示しつつ、困難や課題への対処の方略、実践上の成果や限界を明らかにしています。更には、別に章立てをし、岩手県のK地域の高校生の進路選択行動を検討しています。取り上げられた地域は、2011年の東日本大震災において、津波による大きな被害を受けた被災地です。東日本大震災後の若者たちを中心とした「地元への愛着」や「絆」の意識、「地元定着」や「地元への貢献志向」の強まりは、高校生の高卒後の進路選択行動を震災前とくらべて大きく変えてはいないということ、「変わらない現実」を明らかにしています。

 この地域の高校生たちの高卒後の進路選択行動を規定してきた、変わらない「構造」は、地域経済を含むK地域の「社会的現実」でもある。そして、結局のところ、高校教育の「体質」もまた、各学校が、<階層的序列化>のもとで自らに振り分けられた役割を忠実にこなすべく、生徒の進路支援を行うという意味で、震災以前と以後でまったく変わってはいない。(115~116ページ)

 さらに、次の章ではある総合学科の高校を調査して、次の点も明らかにしています。

 学校教育におけるキャリア教育において、「総合的な学習の時間」や特別活動を通じて実施される、キャリア教育に関する「取り立て指導」のみが教育的効果を発揮するのではなく、学校の教育課程全体が効果を持ち、生徒が履修科目を自主的に選択することや、通常の科目や授業に主体的に取り組むことそのものも、キャリア教育としての効果を持つということである。さらに、職業科目を学ぶことも、それが職業教育としての意義を持つだけではなく、キャリア教育としても重要な意味を発揮するということである。(142ページ)

 同書の終わりの二つの章では、2018年3月に告示された新しい高等学校学習指導要領が検討され、その内容が孕む重大な問題点が明らかにされています。そして結論として、これまでにない、生徒の学びを重視した、斬新な高校のかたちが提示されています。

 私としては、いつもながら児美川教授おっしゃる通りですというのが感想です。
 そして、下記のことを思いました。力のある生徒が必ずしも、序列上位の進学校に進学するというわけではないという現実が僕の周りではあります。(「なんか、わたしの通いたい高校ではない感じ。」)同書でも議論されている「普通教育としての職業教育」と重なるかもしれませんが、そのような生徒が専門高校やあえて進路多様校に進学し、高校で先生方からていねいな指導を受け教科科目の内容の理解を深め、あるいは職業体験での専門家との対話のなかで自らの生活世界の諸問題を相対化する契機を得て、力を付けて自らの進路を実現している現実があります。(出口指導を重視し過ぎかもしれませんが。)このような生徒が行った学習行動の側から見た高校教育についての考察からも何か一般化できるものがあるような気がします。そのような生徒は確かに少数派かもしれませんが。植民地化されていない部分(笑)を有している生徒というか、つまりは、学(校)歴主義にのらないなかで努力を続ける生徒の存在です。このような生徒の学習行動にも、僕は注目していきたいです。

 本書を読んで、「なんか違うんじゃないか」と制度としての学校に感じながら、生徒諸君と勉強し楽しく過ごした頃にあったモヤがすこし晴れました。



2020320(金)

さすが経済学!

ジョセフ・E・スティグリッツ『プログレッシブ キャピタリズム』東洋経済新報社2020年

 アメリカ人はむしろ、他人に身を捧げる人を称賛する。自分の子には、自分のことしか考えない利己的な人間ではなく、他人を気づかう優しい人間になってほしいと願う。つまり私たちは、経済学者が言う「ホモ・エコノミクス」(絶えず自己満足を追い求める利己的な人間)とはまるで違う、もっと複雑な存在なのである。だが、こうした称賛すべき傾向を認め、それを模範として政策に組み込む努力を怠っていると、卑しい傾向(強欲、他人の幸福への無関心)がそのすき間を埋めてしまう。するとアメリカという船は、針路を変え、暗黒の海域へと滑り込んでいく。そこでは、弱者が置き去りにされ、ルールを守らない者が得をし、規制者が規制されるべき人々に取り込まれ、監視人が脅され、すでに富裕な人々が搾取により経済的利益を独占し、「真実」や「事実」、「自由」、「共感」、「権利」といった概念が、政治的に都合のいい場合にだけ使われる言葉と化す。(318ページ)

 経済学を、僕は若い時勉強しました。当時、力不足からか十分に理解はできませんでした。しかしながら、当時から各国で大きな社会的影響力を及ぼしてきつつあった供給サイドの経済学には強い強い違和感を感じてきました。「何のための学問なのだろう?」と素朴な疑問を持ちました。自然環境を重視しながら持続的経済成長を実現するためや貧困の撲滅といった人類に普遍的な課題に取り組むための知見を構築することこそを目的とする社会科学である経済学というのが私なりの理解は間違っているのだろうかとか考えたりもしました。この度、本書を読んでroughな経済学についての僕の理解も赤点ではないかもしれないと(笑)思うことができました。帯広・十勝のやる気のある若い方々が経済学研究を志してほしいと強く望みます。



202036(金)

春はcommencementの季節

今日、弘前大学の合格発表がありました。当塾の塾生が合格しました。めっちゃうれしいです!当塾生はリーダーとして3年間部活動に参加しながら受験勉強もまじめに取り組みました。ちなみに英語辞書は阿部一先生の『アドバンス フェイバリツト英和辞典』です。日本の閉塞状況に風穴をあける人材になって欲しいと大いに期待してます。



<<
>>




 ABOUT
哲塾

性別
年齢50代
エリア十勝
属性事業者
 GUIDE
学習塾 哲塾
住所帯広市西14条北5丁目3-5
TEL0155-35-8474
定休不定休
 カウンター
2015-05-19から
30,708hit
今日:6
昨日:7


戻る