海・船ネタ記事(64)


201246(金)

タイタニック・最後の晩餐 4・14


タイタニック・最後の晩餐 4・14

百年前の4月14日氷山に衝突すると言う悲劇に見舞われたタイタニック号、その船内ではどんな食事が振舞われたのでしょうか?

今日は最後の晩餐とも言われる、氷山に衝突した1912年4月14日の船内でのディナーメニューを見てみます。

以下に1912年4月14日の1等と2等船客のディナーメニューを簡単に和訳してみました。


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1等客ディナー

・牡蠣の前菜

・コンソメスープ・麦のクリームスープ

・サーモンのムースラインソース

3品から1品
・牛ヒレステーキ
・チキンソテー
・かぼちゃの野菜つめ

3品から1品
・ラムのミントソースあえ
・ローストダック・アップルソースあえ
・牛サーロインステーキ

・グリンピース・にんじんのクリーム煮

・ラム酒のシャーベット

・小鳩のロースト

・冷やしアスパラガスのビネガーあえ

・フォアグラパテ

デザート
・ワルドルフプディング

・チョコレートバニラエクレア

・フレンチアイスクリーム


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2等客ディナー

・タピオカのコンソメ

・焼きタラのシャープソース

・カレー風味のチキンライス

・子羊のミントソース

・ローストターキー クランベリーソース

・グリンピース かぶのピューレ

・ライス

・ボイル&ローストポテト

・プラムプディング

・ワインゼリー

・ココナッツサンドイッチ

・アメリカンアイスクリーム

・ナッツ類

・フレッシュフルーツ

・チーズ  ビスケット コーヒー


各等級の船客は、このディナーを食べた数時間後、悲劇のときを迎えます。

生還した船客たちはこのディナーの記憶がどんなものだったでしょうか?

また、この食事が生涯最後の晩餐となった人も少なくなかったのです。


ちなみに英国のサウサンプトンからニューヨークまで6日間の船旅、この間の乗船料金は、1等で250ポンド(200万円程度)2等で20ポンド(15万円)移民が多数の3等は5~6ポンド(4万円ほど)でした。

文字通り最後の晩餐となったタイタニックのディナー、皆さんはどんなテーブルを想像しますか?

タイタニック号・処女航海100年企画・企画展『タイタニック展』開催中

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処女航海から今年で100年を迎えるタイタニック号を模型や写真、遺品レプリカなどでわかりやすく展示しています。

開催期間:3月1日(木)~4月20日(金)

会場:店内企画展示室

時間:店舗営業時間(10:00~19:00)休業日を除く

入場は無料です。多くの方のご来場お待ちしております。


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TITANIC GOODS.


船の模型と海雑貨・・STAR SHIP MODELS


店舗情報はこちら→http://www.obnv.com/interior/475外部リンク



2012330(金)

タイタニック・・百年目のオークション


タイタニック・・百年目のオークション

画像は、3600mの海底から引き揚げられた、タイタニック号の船体外板です。

処女航海100年を迎える4月、海底に眠るタイタニック号から引き上げられた遺品、5000点がオークションに掛けられるそうです。

中には重さ17トンにも及ぶ画像の船体外板も含まれます。

これらの予想総落札額なんと147億円ともいわれ、3600mの海底から引き揚げられたものばかり言う歴史的価値もあいまってオークション史上かつてないイベントとなりそうです。

船内で使われていた食器などはもちろん、船内備品や船体の一部、そのほかタイタニック号を操ったスミス船長など船員が着ていた制服のボタンなど持ち主を特定できるものも含まれているようです。


海底に眠るタイタニックは、その主な主原料である鉄などをはじめ、船体をえさとするバクテリアにより、かなりのスピードで風化が進んでいるようです。

タイタニックの引き揚げには賛否両論あったようですが、この悲劇の歴史を後世に伝えるため、こらからも残る限られた時間でこれら遺品を引き揚げていく事になるのでしょう。

当店では・・
タイタニック号・処女航海100年企画・企画展『タイタニック展』を開催中

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処女航海から今年で100年を迎えるタイタニック号を模型や写真、遺品レプリカなどでわかりやすく展示しています。

開催期間:3月1日(木)~4月20日(金)

会場:店内企画展示室

時間:店舗営業時間(10:00~19:00)休業日を除く

入場は無料です。多くの方のご来場お待ちしております。


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2012317(土)

タイタニックを作った男


タイタニックを作った男

今年処女航海100年を迎えるタイタニック号の特集。今日は、タイタニック号の設計を指揮したトーマス・アンドリュースという造船技師の存在についてお話してみます。

トーマス・アンドリュースは、あのタイタニック号を、大西洋横断の速度競争に参加させるものにこそ仕立て上げませんでしたが、経済性・居住快適性など船会社の要求を当時の技術を結集して世界を驚かせる存在に作り上げました。彼はその中心人物なのです。

    
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トーマス・アンドリュースは1873年、北アイルランドの名家に生まれました。

父は政治家、タイタニック号が作られたハーランド&ウルフ造船所の会長を叔父に持ち、父も同じ名を持つため、彼の名は、正しくはトーマス・アンドリュースJrとなります。


16歳でハーランド&ウルフ造船所に入社した彼は、見習い工として現場を経験、この間に多くの技術は勿論、人間どうしのコミュニケーション能力も身につけ、現場を動かすノウハウを身につけました。

その環境は彼の人間性をも育て、作業員思いの周囲からも慕われる存在に育て上げました。。

その間、タイタニック号を運行した、ホワイトスターラインの代々の大型船の建造に大きく携わりました。


1907年には代表取締役に昇格、彼の叔父が造船所の会長であったこともありますが、むしろ彼の能力が買われての昇進とも言われています。


そして世界最大の巨船、タイタニック号の3姉妹、オリンピック級客船・・オリンピック・タイタニック・ブリタニック(ジャイガンティック)の建造に乗り出すのです。

不沈船の異名をとったこの巨船の目玉、水密隔壁を施した構造は、画期的なもので彼の技術力の高さを感じさせられます。

この巨船3隻の建造で、造船所と彼の名は歴史に刻まれるはずでした。

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1912年4月10日、試験航海を終えたタイタニック号はサウサンプトンからニューヨークへ向けて、処女航海に出発、その船上には彼、トーマス・アンドリュースの姿も・・、改良点の洗い出しをするため8人の造船技師を伴っての乗船でした。

出港から4日目の4月14日、タイタニックは多くの警告を無視、氷山に衝突すると言う歴史に刻まれる出来事に直面しました。

トーマス・アンドリュースは、設計者であるだけにこの衝突がタイタニックにとって致命的であることを認識、沈没までの時間を1時間半程度と見積もったのでした。

その後彼は乗組員とともに乗客の非難誘導に当たります。

危機感の無い乗客にはあえて厳しい態度で緊張感を植えつけました。

このとき、タイタニック号の救命ボートがタイタニックの乗船定員分積まれていないことを最もよく知るのも彼だったのです。

彼はタイタニックの建造段階で、発注主でタイタニックの運行会社であるホワイトスターラインのイズメイ社長に救命ボートの必要数を申し出、その数を備えるようにと何度も申し入れをしていました。しかしその要求は、美観を損ねるなどの理由から聞きいれられることはありませんでした。

救命ボートの数についてもっと主張していれば・・・沈没に向かうタイタニックの船上で、彼は後悔したに違いありません。

タイタニック号が海中に没する10分前、1912年4月15日・午前2時10分、一等スチュワードが一等船客喫煙室で救命胴衣も着けず呆然と椅子に腰掛ける彼の姿を目にしています。。これが彼が目撃された最後の姿でした。

彼に同行した8人の造船技師達もまた帰らぬ人となりました。

一方、救命ボートの数を減らすよう命令した、ホワイトスターライン社・イズメイ社長は左舷の救命ボートで脱出、生還しています。


タイタニック号・処女航海100年企画・企画展『タイタニック展』開催中

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処女航海から今年で100年を迎えるタイタニック号を模型や写真、遺品レプリカなどでわかりやすく展示しています。

開催期間:3月1日(木)~4月20日(金)

会場:店内企画展示室

時間:店舗営業時間(10:00~19:00)休業日を除く

入場は無料です。多くの方のご来場お待ちしております。


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2012312(月)

タイタニックとうりふたつの姉妹船


タイタニックとうりふたつの姉妹船

開催中のタイタニック展から、タイタニックにまつわる話です。

タイタニック号には、同型の三隻の姉妹船があったことはご存知の方も多いと思いますが、今日はその中の一隻、『オリンピック号(メイン画像)』についてお話してみます。

『オリンピック号』は、タイタニックと同じ設計で作られた同型の1番船です。タイタニックより早い1911年の完成、処女航海を行いました。タイタニック以前に就航していたこの船もまた、当時世界最大の客船でした。

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建造ドックでタイタニックと並んだ『オリンピック号(手前)』、奥側に見える船がタイタニック号です。

形状、大きさから、同型船であることが分かります。

『オリンピック号』は、同じ造船所でタイタニック号と2隻、平行作業で建造されました。

同型船といわれた、タイタニック号とオリンピック号、同型船ではありましたが、先に運行を始めたオリンピック号の運行状況から改善点をまとめタイタニックに改良を加えたため、客室の間取りや、外観も見た目に相違点がありました。

船内に関しては、1等客室の定員を多くした事などで、タイタニックのほうがより豪華に、外観も海が荒れたときなどにプロムナードデッキと呼ばれる船内外側の通路の風雨の入り込みを防ぐ風除け窓がついた事で見た目は一目で分かるほど変わりました。

このため、タイタニックとオリンピックは、うりふたつと言われながらも、見た目に分かる相違点が多数あったため、よく言われる沈没事故時のすり替え説を説くことは難しい事とされています。

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タイタニック号とオリンピック号すり替え説の出所は、やはり運行早々立て続けに起こした事故による保険金詐欺疑惑でしょうか・・

上の写真は英巡洋艦『ホーク』と衝突事故を起こした際のオリンピック号に空いた穴。

この事故の際は、オリンピック号側に非があるとされて、オリンピック号側には保険金が下りなかったそうです。

このときの船長は、タイタニック号でも舵取りをしたスミス船長だったのでした。

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オリンピックと衝突した巡洋艦ホーク、オリンピック号も大きな損傷を受けましたが、この巡洋艦もかなりのダメージを受けたそうです。

これだけの事故ですから、修理にも費用と時間が掛かりました。タイタニックの部品の一部はオリンピック号の修理にも使われたため、タイタニック号の建造も大幅に遅れたのです。

タイタニックの処女航海の際には、オリンピック号も復帰していて大西洋上にありましたが、タイタニックの沈没現場からは遠く離れており現場にたどり着いたのは生存者の救助が終わってからでした。

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タイタニックの事故後、タイタニック事故で得た教訓を生かし、救命ボートの数を増やしたオリンピック号は順調に航海を重ねます。しかし、時代は第一次世界大戦へ、対戦中は軍隊輸送船(上の画像は迷彩を施されたオリンピック号)として兵員輸送などの任務に就きます。

その間のエピソードとして、ドイツの潜水艦Uボートの魚雷攻撃を受けた際の話は有名です。

Uボートの攻撃を受けたオリンピック号は、その攻撃を見事かわし、次の攻撃で沈められる事を恐れた船長は、潜水艦に体あたりを試みます・・・その試みは見事成功、客船が敵潜水艦を撃沈するという、考えられないような戦果をあげたのでした。

この後、大戦を生き延びたオリンピック号は、タイタニック号とは対照的な幸運に恵まれ、当時の船としては、長寿といえる24年間の客船としての仕事を全うしました。

老体で活躍する様子から、晩年は、『たのもしい、おばあちゃん』という愛称で親しまれたそうです。

今日は、タイタニック展から、タイタニック号の姉妹船『オリンピック号』についてお話してみました。


タイタニック号・処女航海100年企画・企画展『タイタニック展』開催中

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処女航海から今年で100年を迎えるタイタニック号を模型や写真、遺品レプリカなどでわかりやすく展示しています。

開催期間:3月1日(木)~4月20日(金)

会場:店内企画展示室

時間:店舗営業時間(10:00~19:00)休業日を除く

入場は無料です。多くの方のご来場お待ちしております。



明日3/13(火)明後日3/14(水)は、当店お休みを頂きます。


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201239(金)

タイタニック号 歴史への船出 運命のとき


タイタニック号 歴史への船出 運命のとき

タイタニック号は、1912年4月2日、規定の試験航海を終え、処女航海の出発地サウサンプトンへと向かいます。

翌、4月3日には、出発地サウサンプトンに到着、処女航海の準備に入ります。

そして1912年4月10日、上級船客など多くの乗客を乗せたタイタニック号は、運命の航海へと出発します。

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大勢の人々に見送られサウサンプトンを後にするタイタニック号、大西洋横断の前に次の寄港地であるフランスのシェルブールへと向かいます。

このとき、定刻12:00・・岸壁を離れようするタイタニックの起こした水流で、汽船ニューヨーク号を引き込みあわや接触寸前に・・そのため出港が遅れ、13:00のサウサンプトン出港となったのです。

このときから、順調な船出とはいえなかったようです。
もしこのとき接触事故に至っていれば、この悲劇は一旦は回避されていたかもしれない・・などと考えるのは私だけでしょうか・・・

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このときのタイタニック号の船客の等級わけは、1等・2等・3等。

船客はニューヨーク到着まで、各等級ごとに差別化された船室と、それぞれ区分けされた船内設備で過ごす事となるのですが、その等級わけは、当時の階級社会そのものを示すようなそれは大きな待遇の違いがありました。

ちなみに1等船客の運賃が850ポンド 3等では6ポンド程度と、相当のの開きがありましたから天地ほどの扱いの違いも当然と言ってもよいものでした。

1等船客の扱いは格別なもので、事故の際の生存率も1等船客のほうが高かったそうです。(但し、男性生存率は比較的低い)
タイタニックでは、その1等船客の定員が従来の客船よりも比較的多く設定されていました。

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順調に寄港地を回ったタイタニックは、最後の寄港地である、、アイルランドのクイーンズタウン沖に到着、そこで通船により、ほとんどの3等船客、つまり新天地を目指す移民たちを乗船させます。

この地までの短い旅で船を下りた者もいて、彼らは幸運だったと言えます。彼らが撮影したフィルムは、現在に処女航海の際のタイタニックの船上風景を残しています。

この地で撮影された上の写真がタイタニック最後の画像となりました。

ここから、タイタニック号は海底3650mへの歴史に刻まれる旅へと、船出するのでした。


今年、4月、英国の船会社により、タイタニックメモリアルクルーズと称して、タイタニックの航跡をたどる船旅が企画されています。4月14・15日には氷山に衝突・沈没した海域に到達、沈没したAM2:20にはその場所で追悼セレモニーを行うそうです。このクルーズではタイタニックがたどり着けなかったニューヨークが終着地となるそうです。



お知らせ・・・

本日、3/9(金)FM-JAGA T-TIME 13:10~ 当店からの中継が予定されています。お時間ある方は、聴いてみてくださいね。



タイタニック号・処女航海100年企画・企画展『タイタニック展』開催中

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処女航海から今年で100年を迎えるタイタニック号を模型や写真、遺品レプリカなどでわかりやすく展示しています。

開催期間:3月1日(木)~4月20日(金)

会場:店内企画展示室

時間:店舗営業時間(10:00~19:00)休業日を除く

入場は無料です。多くの方のご来場お待ちしております。



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STAR SHIP MODELS(雑貨&模型)
十勝・帯広に『海』を広めるお店をオープン。海辺のギフトショップをイメージした店内には『海・雑貨コーナー』と『ホビーコーナー』が同居。雑貨好き・模型好きともに楽しめるお店です。海・雑貨はマリン雑貨をはじめ、アクセサリー小物、ハワイアンまで取り揃えています。ホビーコーナーは船が中心のプラモデルから木製キット、完成品まで取り扱い。海・船・雑貨・模型の記事をランダムにブログにしていきます。

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