「いのち」の循環をみつめて

 犬猫を処分する業務に携わる人たちが仕事に割り切れなさを感じている理由の一つとして、安楽死させた犬猫の体がただちに重油で焼却されていることもあげられるかもしれない。




 彼らの死によって人の役にたつ物が作られるのであれば意義を見出しやすいが、焼却されて後には骨灰しか残らない。実際は地域社会の安全と良好な環境が生み出されているのだが、それらは目に見えないから意義を実感しにくいのである。



 大半の施設が焼却後の骨灰をゴミとして最終処分場に捨てている中で、福岡県動物管理センターは有機農法のグループに肥料として無償で譲渡している。せめて焼いた後の骨だけでも役立ててやりたいとの思いから。



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夏の一日、そのグループの農園を訪ねた。
「年に軽トラック五台分くらいもらってくるかな。死んだもんは土に還って、また新たな命を生む。それが宇宙の法則だから。犬猫の骨ということには何のわだかまりもありません。キリッとした甘味の出る最高のリン酸カルシウム肥料ですよ」




グループのリーダーはそう言って、日に焼けて真っ黒になった顔をくしゃくしゃにする。その彼も事情を知った女性から、「そんなもんで育てた野菜は食いきらん」と言われた経験がある。



消費者からの同様の拒絶反応を警戒して、
犬猫の骨を肥料にしていることを公にはしていない。
ほとんどの施設の骨灰が利用されずに捨てられているのも、そうした世間の意識が背景にあってのことだ。


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 犬猫の骨を土に還して利用することさえ拒絶しようとする
このグループはもらってきた骨灰を粉砕器にかけて粉状にして、
堆肥や米ぬかと混ぜて熟成させたボカシ肥料にして畑に施している。
「骨灰のまま入れても、土の中の鉄やアルミナに吸着されて四十日ぐらいしか効きません。堆肥のフミン酸でくるんでやると吸着されにくくなるから長く効きます。ボカシにする時になじんだ土壌菌が一番です」



骨灰はそこまでこだわり抜いて使われているのだった。



我々は「死」を身の周りから遠ざけてきたのだと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。





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それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。


グループのリーダーは「死んでも、次の役目がありますから。私らの年齢になると、死の床に就いている年寄を見舞いにいくことも多いです。腹割って話すと、みんな『死にたくない』って言います。




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その時、いつも言うのです。何を言っている。死ぬんじゃなくて、次に生まれ変わるんでしょう。体は一度、世の中にお返しして、また生まれ変わってくるんでしょう。




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するとみんな『そうだね』と言いますよ。」
彼の案内で、骨灰を肥料にして施した畑を見て回った。除草剤を使っていないため雑草の海と化した畑の中で、茎やつるを伸ばしたナスやトマト、スイカなどが見事な実をつけている。


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小屋の前に黒い育苗ポットが並んでいた。

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見ると、芽生えたばかりのキュウリの双葉が、空に向かって広げ、太陽の光をいっぱいに浴びていた。その土にも犬猫の骨が肥料として施されている。


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死んだ彼らのいのちが
新しいいのちとなって、
確かにそこに息づいていた。

作者はうれしくなって、





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カメラのシャッターを何度もきった。




いつか冷たい雨が
雪が降る 
駅の片隅で
誰にもいたずら
されないように
うずくまっている年老いた犬
パンをあげても見てるだけ
時が来れば汽車に乗る私

泣くことのほか
何もしてあげられない私

広い道路の真ん中で
ひかれてしまった三毛猫
その上を何台もの車が
通り過ぎてゆく

思わず目を閉じてしまった
私を許して下さい

みんなだって
そう思っていると
信じたいのです

うしやとりやおさかなも
「人間のためにあるのよ
さあ残さずに食べなさい」
そんなふうに言う
おかあさんには
なりたくありません

でも私だって食べて
育ってきたのだし
虫だって殺したことも
あります

だから
だから
お願いです 
もう 役にたたなくなったら
捨ててしまったり
自分本位でかわいがったり
小さな檻に閉じ込めて
バカにしたり
汚がったり
人間だけが偉いんだ
なんてことだけは
思はないで下さい
人間以外の
ものたちにも
もっと優しくして下さい
同じ時を
生きているのだから
朝が来れば 
夜も来るし
生まれて
そして死んで行く
私が土になったら
お花たちよ
そこから咲いてください


by イルカ




はぁ〜


長かった 企画展ブログ

「どうぶつと遺言」

展示文章編は 次に出すのが
最終回である

そのあとは・・・話をどうふくらまそうか

検討中です!!

開園にむけて
現在の動物園の動物の
写真を載せなくてはと
うすうす感じていました

ちなみに
きょうは

ライオン・ゾウ・サル山・コンドル・フクロウ・ラクダ・ミニチュアホース担当です

これからサル山の除雪をしてきます(真面目)キラッ

今日のパートナーは

新しく仲間入りした

『もーりー』さんです   (どっかで聞いたことありまs)

円山動物園で半年間ブログをしていまして
一日1000件のブログアクセス数を持つ
人気ブログで円山動物園のどうぶつを紹介していた人です

例えれば モーリーさんはテレビでいうとゴールデンタイムのブログで 私は 深夜のラジオ オールナイトニッポン二部である

モーリーさんは サッポロ100マイルでブログ放送し
最終回を出したのは3月29日で

マイとかち 初見参です!

無理しないように ブログたまたまでも
お願いしたいけど むりしないでね(強制)

それでは「もーりー」さん一言お願いします


こんにちは(ぴん)

札幌のみなさん今までありがとう(ぴん)

私はおびひろで何とか頑張っています(ぴん)

これからぴんさんとサル山の除雪をしてきます(ぴん)



帯広の皆さま初めまして。
4月1日からおびひろ動物園でお世話になっているもーりー(あだ名)と申します。
帯広市には来るのも住むのも初めてで、まだ未熟者ですがどうぞよろしくお願いします。(私)


札幌のみなさん アイラは元気です(イコロも)


動物と遺言ブログ編もよろしく(私)


それではサル山を除雪してきます(心)





201246(金) 14:07どうぶつと遺言×13
ねじれた視線

「聖」から「賤」へ、


「人間社会でしか生きられないペットが人間社会からはじき出されたら、それは寿命が尽きたということ。その寿命を全うさせてやるのが我々の仕事だと思っています」




「いのちを奪うのはしのびないですが、その動物が持っていた寿命なんだと考えることにしています」





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 これを自分の仕事を正当化するための勝手な言い分と聞く人もいるかもしれない。けれど突き詰めて考えると、それがとても核心を突いた言葉であることに気づく。



 自然界の中で生きる野生動物の数は、弱肉強食の厳しい掟によって調節される。シマウマを捕えて食べるライオンや、ウサギを捕食するキツネがいるからこそ数のバランスは保たれており、彼らがいなければ食べられる側の動物が増えすぎ、環境悪化で多くの生物は種の保存すら危ぶまれることになる。




 それゆえ我々は捕食行動を「悪」とは言わないし、食べられた動物については寿命が尽きたのだと受け止める。


一方、人間界で生きるペットの数は、人が調節してやるしかない。


動物を人間に置き換えて考えた時にとんでもない人権侵害となる強制的な去勢や避妊が、動物愛護の名の下にむしろ推奨されるという矛盾が許容されているのも、数を調節する手段としては殺すよりも人の心の痛みが小さい。


 そしてそれらの方法でも十分に数をコントロールできない以上、あぶれたものを処分する作業がどうしても必要になってくる。でなければ、社会の許容限度をこえて数が増え、環境も安全も保てまい。


 自由が尊重されるこの社会の中で、人がペットを飼い続ける限り、処分という現実は避けては通れない。




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大切のこころは、むやみに生き物を殺すのはいいことではない。


しかし社会のため、自分や家族が生きるために、心の痛みをこらえて生き物を絶つ「強さ」を持つことは、とても神聖で尊いことだと私は思う。



 しかし優しさだけがもてはやされる風潮の中で、これらの仕事に向ける世間の眼差しのねじれは、むしろ隠ぺいに増幅されているように感じられる。そのねじれを正し、本来の畏敬の気持ちを呼び戻すことはできないのだろうか。ある処分施設で研修したペット専門家の学生らの感想文を二年分読ませてもらった。





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「毎日犬が死んでゆくのを見て涙が出なくなるのは心がマヒしているからですか?犬をカワイイとか素直に見れますか?というのが私の気持ちです」
「こんな近くで残酷なことが起こっているということを知りませんでした」・・・・・
職員のため息が聞こえるような記述が続く。



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気がめいっていた時、用紙の欄外にははみ出して書かれた文に目が留った。「職員のみなさん、いつもお仕事ごくろうさまです。誰かがしなければならない仕事を責任もってなさっているみなさま方をすごく尊敬しています」





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涙が出た。




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