2010年10月13日(水)
初夏の雪/コナツ2
むしポエット×4
初夏の雪
十勝には
年に2回の雪が降る
冬の雪、初夏の雪
6月末の夕焼けに
川辺の泥と化粧の木から
わた毛の雪がとめどなく
地面につもるぐらいまで
髪の隙間にからまった
雪は溶けずにおうちまで、
子供と一緒に自転車に
おかあさんただいま。
かあさん無言でわた毛とる
川のまち十勝には
初夏にやさしい雪が降る
コナツ2
札幌東西線の東札幌駅で俺は降りた。
ポケットには、コナツの劇団のHPを出力したA4の紙を押し込んでた。
2番出口で降り、商店街を過ぎると、そこは工場銀座になっていて、俺はこんなところに劇場なんてあるわけないと、不安を抱えたまま、かといって後戻りする根拠もなく、「ココではない」と回れ右するキッカケを捜して、キョロキョロしていたんだ。
思い当たる企業の工場があった。そこはカメラ屋の工場で、俺はHPの紙を見直し、そのカメラ屋の名前を確認した。どうやら間違っていなかったようだ。

しかし、どこを見ても劇場らしきモノはない。地下か?
とりあえず、駐車場のプレハブの近くに数人の人が見えたので、そこで聞くことにした。工員らしくない髭の男性に劇場を聞くと、そのプレハブが劇場だという。
表に回り込むと、コナツの劇団名と演題がコンパネにはり付けてある看板があった。俺はそのプレハブに入った。ブルーシートの上に毛布が敷き詰められ、どうやらそこに座って見るようだ。受付に1,500円を払い、数枚の白黒コピーをホチキスでとめたようなパンフをもらった。
開演まで40分。数組、あわせて10人ほどの20代から30代の人が、最前列に陣取っていた。俺は一番奥の、一番後ろに陣取り、コンパネがハダカで出ていた壁にもたれた。

幕の内側では、コナツと思われる女の声も聞こえたが、俺はコナツに見つかりたくなかったので、ひたすら下を向き、パンフレットを読んでいたんだ。
「まちむすめの生き方」という題のその演劇は、脚本、演出、主演ともにコナツの名前が書かれていた。
実を言うと俺はコナツを不憫に感じていた。お互い37才にもなるのに、派遣やバイトをして、こんなボロい劇場で素人演芸をして、独身だからできるのかもしれないけど、他の連中は結婚してテラスのあるビストロでスパゲティーを食ってるんだぜぃと。
入り口にポツポツ人が入っているのは見えたが、顔を上げると開演10分前で、狭いプレハブの客席が人で一杯になっていた。100人はゆう越えている。開演直前には客席はギュウギュウ詰めだ。立ち見も多数。
そして開演のブザーが鳴る。暗幕が開き、舞台が始まった。正直、俺は期待していなかった。大学時代、演劇部の友達の舞台を何度か見に行ったが、ストーリーがまったくわからず、しゃべりも聞き取りにくく、結局ワケわからないことばかりだったからだ。間が早くて、考えるヒマもないし。
ところがだ。その舞台は強烈に面白かった。なんといっても主演のコナツが輝きまくっていたんだ。狭い会場がドッと笑い、サイレントの演技では、咳払い一つできないぐらいに、静まりかえり・・・
まちむすめコナツが女とも思えないアホな行動をとるたびに、俺の腹筋が8個に割れるくらい笑った。コナツが麻酔なしで、ばい菌に犯された腕を落とすシーンは足の裏がびしょびしょになり、片手で子育てするシーンは涙で良く見えなかった。
「コナツー、コナツーいいぞ!がんばれ、コナツ!」
俺は声を出したくてしょうがなかったんだ。
こんなすばらしい舞台を俺ははじめて見た。
舞台に幕が下りると、会場は一つになり、大喝采だ。
スタッフ合わせて総勢20人はいると思われる関係者が、衣装のままステージにならんだ。
会場から「コナツー!、コナツー!」と声援がかかる。
俺も負けずに「コナツー、すげぇーぞ、コナツー!」って大声を上げた。
でも、俺の声なんて、他の客の声援でかき消えちまったけど。

俺は、スターコナツのところに行って、お礼を言いたかったけど、なんだか期待していなかった自分が、手の平を返すようで、恥ずかしくて会場を足早に去ったんだ。コナツに声をかけたら、まるで突然有名になった人が言う「親戚が増えた」っていう親戚になっちまいそうだ。
なんも素人演芸じゃねーじゃねーか。
コナツはプロだ・・・プロだった。
コナツの夢は何だろうって、考えてた俺・・・
すでにコナツは夢を叶えているじゃねぇか。
好きでやってること。趣味。プロ。素人。メシが食える。メシが食えない。売れない役者。売れてる役者。
なんだか、俺の知っているテレビの世界が、とんでもなくインチキくさく感じてきた。コナツは、その中に出ている、誰よりもすごかったんだ。
好きを続けることの凄さ。カネがもらえる、もらえないって、なんだかどーでもよくなってきた。
好きを続けて、その先にいる人間そのもの・・・そんなことを考えててさ、一人だったけど、地下鉄の入り口の隣にあった、小汚い赤提灯になんだか入りたくなってさ。
つづく
2010年10月11日(月)
コナツ1/山ン婆1
中2病ザナドゥー×18
今日の一言
嫌いなものを間違っていると、好きなものを正しいと、思うなよベイベーコナツ1(FC2時代)
俺は高校時代、バスケ部だったわけだが、今年の正月に当時のバスケ部の仲間が集まって、札幌琴似の居酒屋で酒を飲んだのだ。
全員ではなかったが、男子部と女子部とマネージャーが集まり、これなかった奴に電話したり、試合の話や、練習の時の話など、みんなも経験しているような、そんなたのしい時間を過ごしたわけだ。
俺は高校時代からバスケットをはじめた。
男子部で高校からはじめたのは、俺ただ一人だったんだ。
俺は、バスケをなめていたのを入部1日目から痛烈に感じることになったんだ。
とにかく、しんどかったんだ。

バスケは全力ダッシュ、ストップ、ダッシュのスポーツだ。
全身から力が抜けるようなしんどさ。他のメンバーはパッパとシュートを当たり前のように入れ、声を出し、相手に抜かれないディフェンスをして、涼しい顔で早い切り替えをしている。
俺は100%決めて当たり前のランニングシュートは入らず、ディフェンスも抜かれ、声もでず、両手をヒザで支え、下を向いていた。
そんな中、俺にとって励みになる存在が女子部にいたんだ。
それは、同じく高校からバスケをはじめ、俺と同じように、うまくできず、苦しい顔をしていたコナツだ。
自分と同じ立場で、苦しい状態にあるコナツの気持ちが、俺にはスゴクよくわかったんだ。
コナツは俺の同志だった。おたがい、失敗ばかりの繰り返しで、シュート落とした奴だけが受けるリピート練習やバツゲーム的なつらいフットワーク練習を、何度も一緒にやっていたんだ。
部活で一番体力のない、俺とコナツが、さらに走らされるんだ。

ちょっと、脱線してしまったが、俺はコナツにシンパシーを感じていた。これは恋愛とかではなく、同じ泥をかじった同志としてのだ。
そして、話を戻すと、20年後のその飲み会で、コナツと当時のことを話して、とても楽しかった。

コナツはまだ独身だ。
彼女は演劇が好きで、今でも派遣の仕事をしながら劇団をしている。
正直言って、俺は二つの考えをそのときに抱いた。
一つは彼女は趣味で、好きで劇団をやっていてるんだなぁということ。趣味をもつってのは、いいもんだと思った。そして気楽そうだなとも。
そして一つは、彼女は何を目指しているんだろう、ってことなんだ。
正月も終わり、俺は彼女の劇団の名前でググッてみたんだ。
数件のヒットがあったが、オフィシャルページ的なタイトルをクリックしてみた。
味もそっけもない、テキストだけのそのHPに、講演日と場所が書いてあった。
そのあと、俺は胸を揺さぶられる衝撃を受けることになるのだが、次ぎのエントリーでそれを書こうと思う。
山ン婆1
顔がこそばゆい。何度も払いのけるのだが、目を開くほどでもなく。
かといって、深い眠りに何度もおちたのか、おちていないのか。それすらも定かではないが、とにかく眠りたかった。
また顔がこそばゆい。
おおかた、秋の蝿が露出した顔で暖をとっているのだろうとおもいながら、何度も払いのけるうちに、手がそのモノをつまむことに成功した。
それが何であるかもたしかめもせず、眠りを邪魔された怒りから、そのモノをつまみつぶした。
その感覚は明らかに蝿よりも固く、大きかったのだが、それが何かもたしかめるわけでもなく、俺はまた眠ろうとしたのだ。
眠りながらも、体が芯から冷え、間違いなくヒドイ風邪を引くだろうと眠りながら考えるのだが、とにかく眠りたかった。
顔がまたこそばゆい。
眠りながらも容易につまむことができたそれを、ようやく目を開けて確認した。ゲジだった。さらによく見ると、それは体節に足が二組あるヤスデのデカイやつだ。
俺から死臭が発せられていたのか。
手で払いのけることをしなければ、俺の目尻や目頭には蝿が目くそのような卵を産み落とし、鼻からヤスデが入り込み粘膜を囓っていたにちがいないのだ。
俺は生きていた。
それから、かじかんだ体のサキッポを体の中に沈めるようにし、記憶をたどった。ようやく右の膝頭が痛み出した。
座り込んだササ原。大きな石がコケの生えた地面からその一部を山のように出していて、子供のころテレビで見た孫悟空の誕生した山の中のようであった。なぜここにいるのだろう?
それは生まれてはじめて味わう記憶喪失であり、二日酔いの朝の感覚とは全く異なったものだった。それにしても寒い。なんとか山をおりたいのだが、かじかんだ体、痛みのヒドイ膝のせいで、立ちあがる気力がおきない。
少なくとも俺は環境調査の仕事で、この椴法華の山に入り、恵風という宿にとまっていることはわかる。俺が誰なのかも知っているし、業務の目的も明かだ。ただ、ここはどこなのか。どうしてこのようなありさまになっているのかが覚えていないのだ。
あたりは細いミズナラの林にササが密集していて、メガネをどこかに落としてしまった俺には、薄暗くなった林内を道もない斜面の下めがけて歩き出すことが怖かった。かといって、このままここで一夜を過ごすのもはばかれた。
時計を見るともう山用のデジタル時計は17:00をさしていて、当然外灯もない真っ暗な山になるのも時間の問題だ。胸には携帯電話があった。携帯電話で助けを求めようにも、ここがどこだか分からない上、完全に圏外であった。試しに会社にも、実家にも電話してみたのだが、当然かかるはずもない。
液晶のわずかな明かりを頼るしかなくなるまであと1時間もない。懐中電灯を持って山に入らなかった俺には、もはや携帯電話の液晶しか頼る明かりはないのだ。
胸からライターとタバコを取り出し、一服ついた。
何もする気が起きないとき、現実から逃れたいと思うとき、俺はいつも一服するのだ。かじかんだ指先、ガタガタ震えるアゴ、奥歯をカチカチならしながら吸ったタバコはなぜか旨かった。
俺はぼんやりと、数ミリ伸びた足の爪にびっしり土が間詰された黒いつま先をみつめ、暖をとって野宿するしかないと自分を納得させる時間を過ごした。
俺は長靴を履いているではないか?自分の足だと思っていたその汚れた足は自分のもげ落ちた片っぽの足なのか?
俺は股間からのびる自分の両足と、両足にはかれたなじみの長靴を認めることができてホッとした。
その足だと思ったものは、朽ち木や落ち葉でそう見えたのか。
俺はもう一度よく見えない目で、その足をたしかめた。
それはあたたかな、女の足だったのだ。
2010年9月21日(火)
小学校高学年女子
フリー×15
実を言うと、僕は小学校高学年女子が苦手だ。
先日、子供を集めてのイベントがあって、
僕はスタッフとして参加。
さんざんみんなで楽しんだあと、3人組の小学校高学年女子が僕の回りにやってきた。
女子の一人「あのね、むし虫さんってね・・・」
そこで3人が笑いだし、「アナタ言いなさいよ!」的なことでじゃれ合っている。
こわい・・・・・・
何か、僕が意識もしていない、欠点を言われるにちがいない・・・
しかも、強烈な一言で。
僕はこのシチュエーションがとても怖い。
ああ、ああぁぁぁぁぁぁ~!(思い出し頭抱え)
僕は、彼女達からの決定的な一言をもらうその瞬間に
あの小学校時代のさびしい気持ちを
とてもリアルに思い出していた。
僕は4年生だか、5年生。
学校の週一のクラブ(4~6年生が同じクラブ内にいる)ってのがあって、僕は回りの男子と騒いでいた。小学校6年生の女子には、きっとそれがおだっているように見えていたに違いない。
ツカツカ2人の6年生のお姉さまがやって来て、
「目・・・離れてる!」
ぴしゃりと言って、二人で笑い出した。
僕はそのときはじめて、自分の目が離れていることを知った。それより何より、その時の冷ややかな二人の小学校高学年女子の一言で、世界で一番さびしい気持ちになったのだ。
僕はその後、自分の右手の人差し指と親指で、両目の目頭の皮をくっつけるようにしてた。
それを見ていた小学校高学年女子が笑っている・・・
その記憶。
それから僕が高学年になってから、
同級生の女子から、思ってもみなかった身体的な欠点を指摘されるようになった。
もちろん、クラスメートだから、センパイとは違うから、
「うるせーこのブス!デブ!」で抵抗したさ。
でも、「目離れてる」
「お尻が扁平」
「顔色わるい」
などなど、具体的かつ冷静な小学校高学年女子の攻撃に、
ボロボロにダメージを受けながら、「デブ!ブス!」を連呼したところで、勝敗は明かだった。
今僕は40歳だ。
こんなオヤジだから、自分のすべての欠点は受け入れ、それがまた自分の個性だと自信を持てるようになり、そんな欠点を笑えるようにもなった。
だけど、
小学校高学年女子に囲まれ、
その決定的な一言が発せられるのを目の前にし、
イヤな思い出が瞬時に甦り、
危険を感じた。
僕はテキトーなことを言って、話をそらし、その一言を聴かないようにし、その場を立ち去った。
40にもなって・・・
あるがままのことを言われるのは受け入れなくてはならない。男だしね。こんど会ったら聴いてみよう。
「あのとき、何が言いたかったの?」って。
女は小学校高学年女子を過ぎれば、
そんなことを言わなくなるけど。
そんなとらうま。
先日、子供を集めてのイベントがあって、
僕はスタッフとして参加。
さんざんみんなで楽しんだあと、3人組の小学校高学年女子が僕の回りにやってきた。
女子の一人「あのね、むし虫さんってね・・・」
そこで3人が笑いだし、「アナタ言いなさいよ!」的なことでじゃれ合っている。
こわい・・・・・・
何か、僕が意識もしていない、欠点を言われるにちがいない・・・
しかも、強烈な一言で。
僕はこのシチュエーションがとても怖い。
ああ、ああぁぁぁぁぁぁ~!(思い出し頭抱え)
僕は、彼女達からの決定的な一言をもらうその瞬間に
あの小学校時代のさびしい気持ちを
とてもリアルに思い出していた。
僕は4年生だか、5年生。
学校の週一のクラブ(4~6年生が同じクラブ内にいる)ってのがあって、僕は回りの男子と騒いでいた。小学校6年生の女子には、きっとそれがおだっているように見えていたに違いない。
ツカツカ2人の6年生のお姉さまがやって来て、
「目・・・離れてる!」
ぴしゃりと言って、二人で笑い出した。
僕はそのときはじめて、自分の目が離れていることを知った。それより何より、その時の冷ややかな二人の小学校高学年女子の一言で、世界で一番さびしい気持ちになったのだ。
僕はその後、自分の右手の人差し指と親指で、両目の目頭の皮をくっつけるようにしてた。
それを見ていた小学校高学年女子が笑っている・・・
その記憶。
それから僕が高学年になってから、
同級生の女子から、思ってもみなかった身体的な欠点を指摘されるようになった。
もちろん、クラスメートだから、センパイとは違うから、
「うるせーこのブス!デブ!」で抵抗したさ。
でも、「目離れてる」
「お尻が扁平」
「顔色わるい」
などなど、具体的かつ冷静な小学校高学年女子の攻撃に、
ボロボロにダメージを受けながら、「デブ!ブス!」を連呼したところで、勝敗は明かだった。
今僕は40歳だ。
こんなオヤジだから、自分のすべての欠点は受け入れ、それがまた自分の個性だと自信を持てるようになり、そんな欠点を笑えるようにもなった。
だけど、
小学校高学年女子に囲まれ、
その決定的な一言が発せられるのを目の前にし、
イヤな思い出が瞬時に甦り、
危険を感じた。
僕はテキトーなことを言って、話をそらし、その一言を聴かないようにし、その場を立ち去った。
40にもなって・・・
あるがままのことを言われるのは受け入れなくてはならない。男だしね。こんど会ったら聴いてみよう。
「あのとき、何が言いたかったの?」って。
女は小学校高学年女子を過ぎれば、
そんなことを言わなくなるけど。
そんなとらうま。
2010年9月12日(日)
くそったれの人生
ポルトガルサッカー代表デコがさ、
なんかのテレビで言っていた言葉がわすられない。
「夜は祈り、昼間に行動するのさ」
デコの言った祈りはきっとこういうことだろう。
「理想の自分はこうだ。」
それを想像するんだ。
動き、言葉、自分の発するすべて。
「その理想のイメージ=祈り。」
それを昼間に行動する。
理想。
チョウユンファ、テイロンが主演した韓国映画「男達の晩歌」
それの挿入歌がこうだった。
♪たとえ、道のり遠くても、理想を探してあるこうよ♪
理想、祈り、イメージ。
理想の自分をせめてイメージしたいね。
せめて。
それが理想なのか?
それが。
人はみな優しくあろうとする。
だけど、みんなやさしいわけではない。
自分もしかり。
昔はやさしさってのが、結構価値があった。
今はそうではない。
優しさってなんだ?ってことが結構真顔ではなされた。
それを突き詰めれば、あまり価値あるものではないって結論に到っている。
優しくありたいという理想。
俺はそれ派だ。
なんかのテレビで言っていた言葉がわすられない。
「夜は祈り、昼間に行動するのさ」
デコの言った祈りはきっとこういうことだろう。
「理想の自分はこうだ。」
それを想像するんだ。
動き、言葉、自分の発するすべて。
「その理想のイメージ=祈り。」
それを昼間に行動する。
理想。
チョウユンファ、テイロンが主演した韓国映画「男達の晩歌」
それの挿入歌がこうだった。
♪たとえ、道のり遠くても、理想を探してあるこうよ♪
理想、祈り、イメージ。
理想の自分をせめてイメージしたいね。
せめて。
それが理想なのか?
それが。
人はみな優しくあろうとする。
だけど、みんなやさしいわけではない。
自分もしかり。
昔はやさしさってのが、結構価値があった。
今はそうではない。
優しさってなんだ?ってことが結構真顔ではなされた。
それを突き詰めれば、あまり価値あるものではないって結論に到っている。
優しくありたいという理想。
俺はそれ派だ。
2010年7月24日(土)
ぽっくん2<轟一家第Ⅱ章>
今日の一言
西田ひかるって結婚したんだっけ?
「ねごと」





おしりメモ
「石橋さん、石橋さんに言われて良い物をとにかく見ようと思って、建築関係の本をいろいろ物色してるんですよ」
「だから、鶴田はダメだっていってんの。建築屋のお前が同じ建築屋の作ったものを見てどーすんのよ。もっと違うジャンルのものを見て、インスピレーションを磨けよ」
俺 「なるほどなぁ」
そういや、俺が成長していた時、読んでいた本があった。それは全く他ジャンルの本で、俺にはちんこぷんかんぷんだったなぁ。
以下俺の回想
オヤジ「この本はいい本だ。だから読んでみろ。だけどな、お前はこの本を読んでもサッパリわからんはずだ。」
-----オヤジの言うとおり、サッパリだった-----
オヤジ「だけどな、その中でわかる一文とか、ハッとするような単語とか、理解できる一部分があったりもするから。それをとことん自分で考えるんだよ」