2010年3月18日(木)
♪携帯電話。。。♪
出来事×36

今日、娘の携帯電話は、
いつもと違う場所にあります。
午前、耳の中に出来た、アデノイド、切除、
チューブ挿入のため、
総合病院に入院しました。
明日、午後3時、手術をうけます。
4年生の時に、同じ手術をしました。
小さい時からの、風邪をひいたりした時に、
発症した、中耳炎、が事の始まりでした。
今回は、高校受験もあり、非常に難しい、
手術日の、選択でした。
冬休みの終わり、耳の聞こえが悪いと、
再び、耳鼻科を訪れました。
ここで、選択、受験を重視するか、
健康面を、考えて、手術を早めるか。
主治医は、2月中の手術が望ましいと、
その後の手術となれば、
痛みが出た時の痛み止め、
化膿止めを飲んで、通院を継続するか。
両親の選択になりますが、
どうしても、卒業式には、出してあげたい、
推薦面接が、終われば、入院させたい。
公立、私立の、一般入試には、間に合わない
可能性もあると思っていました。
2月、中旬、痛みが出てきました。
来院すると、状態は変わりませんが、
大きな変化が出たら、すぐに入院すると、
約束して、今日まで来ました。
痛み止めが、どうも、受験の勉強に、
眠気とだるさがあったようです。
普段は、めったに口にしない言葉、
行動、その時は、強く叱りまりました。
内心は、「代われるものなら、代わってあげたい。」
そんな言葉が、今でもぴったり当てはまります。
食べ物の制限は特にありませんが、
疲れやすく、チョコレート、甘い炭酸飲料を
多く飲みました。
ただ、驚いたのは、体力です。
遅いですが、この頃、ものすごく
勉強に熱心に取り組んでいました。
学力は、3学期で随分あがりました。
ただ、精神面では、とても辛かったと思います。
いろいろな、行事も重なります。
受験というプレッシャーもあったでしょう。
部屋にお花を飾ったり、好きな音楽を聴いていました。
親に出来る事は、限られています。
絶対に、「何かを買って。」とは、
生まれてから一度も言わない子でした。
携帯電話は、卒業式の前の日に、
買いました。
式が終わり、クラス皆で、メールの交換、
楽しかった様です。
ある日、妻が、切り絵の本を買ってきました。
折り紙で、切り絵を始めたようです。
初心者にしては・・・
というよりか、平穏を保つ為だったかなと、
思います。
親友は、3人いるようです。
メールでのやり取り、していたようです。
神様のいたずらなのか、
全て、行事が済んだ後の入院となりました。
幼少の頃の中耳炎が治りきってなかったのだと思います。
親の責任もあります。
全身麻酔で、1時間半の手術となります。
先程、会ってきました。
顔色は、良くなかったですが、
この手術が終われば、本当に卒業でしょう。
携帯電話、私たちの頃には無かったですが、
便利なものです。
入院中はメールは禁止ですが。
おそらく、明日は、麻酔が覚めた夕方にしか、
病院には行けませんが、
手術予定日の、3月19日を無事に迎える事が出来ました。
この日まで、無事にこれた事、皆さんに感謝を、
3年間、無事に、中学校生活を過ごせた事を、
皆が皆、希望の進路に進めたとは限りません。
自分の努力だけでは、ありえない、今日である事。
これも人生の上での試練だと思います。
大丈夫と、大丈夫と祈る思いもあります。
生まれた時から、心配を掛ける子供、
面と向かっては、言えませんが、
「代わってあげられなくって、本当にごめんな。」
眠れない夜だと思うけど、
患者さん、たくさん入院されてただろう。
迷惑にならないように、気をつけてな。
10人のクラスメートのアドレスと、家族の
電話番号しか入っていない携帯電話、
余程、大切なんだね。
明日は、笑顔で会えると良いね。
退院したら制服買いに行こうな♪
いつもと違う場所にあります。
午前、耳の中に出来た、アデノイド、切除、
チューブ挿入のため、
総合病院に入院しました。
明日、午後3時、手術をうけます。
4年生の時に、同じ手術をしました。
小さい時からの、風邪をひいたりした時に、
発症した、中耳炎、が事の始まりでした。

手術日の、選択でした。
冬休みの終わり、耳の聞こえが悪いと、
再び、耳鼻科を訪れました。
ここで、選択、受験を重視するか、
健康面を、考えて、手術を早めるか。
主治医は、2月中の手術が望ましいと、
その後の手術となれば、
痛みが出た時の痛み止め、
化膿止めを飲んで、通院を継続するか。
両親の選択になりますが、
どうしても、卒業式には、出してあげたい、
推薦面接が、終われば、入院させたい。
公立、私立の、一般入試には、間に合わない
可能性もあると思っていました。

来院すると、状態は変わりませんが、
大きな変化が出たら、すぐに入院すると、
約束して、今日まで来ました。
痛み止めが、どうも、受験の勉強に、
眠気とだるさがあったようです。
普段は、めったに口にしない言葉、
行動、その時は、強く叱りまりました。
内心は、「代われるものなら、代わってあげたい。」
そんな言葉が、今でもぴったり当てはまります。
食べ物の制限は特にありませんが、
疲れやすく、チョコレート、甘い炭酸飲料を
多く飲みました。
ただ、驚いたのは、体力です。
遅いですが、この頃、ものすごく
勉強に熱心に取り組んでいました。
学力は、3学期で随分あがりました。

いろいろな、行事も重なります。
受験というプレッシャーもあったでしょう。
部屋にお花を飾ったり、好きな音楽を聴いていました。
親に出来る事は、限られています。
絶対に、「何かを買って。」とは、
生まれてから一度も言わない子でした。
携帯電話は、卒業式の前の日に、
買いました。
式が終わり、クラス皆で、メールの交換、
楽しかった様です。

折り紙で、切り絵を始めたようです。
初心者にしては・・・
というよりか、平穏を保つ為だったかなと、
思います。

メールでのやり取り、していたようです。
神様のいたずらなのか、
全て、行事が済んだ後の入院となりました。
幼少の頃の中耳炎が治りきってなかったのだと思います。
親の責任もあります。
全身麻酔で、1時間半の手術となります。
先程、会ってきました。
顔色は、良くなかったですが、
この手術が終われば、本当に卒業でしょう。
携帯電話、私たちの頃には無かったですが、
便利なものです。
入院中はメールは禁止ですが。
おそらく、明日は、麻酔が覚めた夕方にしか、
病院には行けませんが、
手術予定日の、3月19日を無事に迎える事が出来ました。
この日まで、無事にこれた事、皆さんに感謝を、
3年間、無事に、中学校生活を過ごせた事を、
皆が皆、希望の進路に進めたとは限りません。
自分の努力だけでは、ありえない、今日である事。
これも人生の上での試練だと思います。
大丈夫と、大丈夫と祈る思いもあります。
生まれた時から、心配を掛ける子供、
面と向かっては、言えませんが、
「代わってあげられなくって、本当にごめんな。」
眠れない夜だと思うけど、
患者さん、たくさん入院されてただろう。
迷惑にならないように、気をつけてな。
10人のクラスメートのアドレスと、家族の
電話番号しか入っていない携帯電話、
余程、大切なんだね。
明日は、笑顔で会えると良いね。
退院したら制服買いに行こうな♪
2010年3月17日(水)
♪金星。。。♪
帯広のトイプードルたち×881

3月17日、6時ごろ、細い月と金星が接近すると聞き、
高台なので、金星だけは確認できるかと、
寒空に、双眼鏡をもって。
天文知識が無いので、どのくらい接近しているのかは、
分からず。
月と、金星が見える西の空をみあげていました。
金星だけは、確認しました。
「ゴン太」君、「この寒いのに、家の中から見えないの?」
今日は、星がとても綺麗だったよ。
「周りに何にもないからね!」そう田舎だからね。
「ショコラ」君、「こうやって歩きながら見ると、良いかもね。」そうだね、車で少し移動したんだけど、
児童会館のプラネタリュームまだあるのかな?
「かのん」ちゃん、少し目を細めて見てみました。
くつろぎながら見る星は、綺麗に見えると、
思うよ。今日は、お休みだから、いいね。
今日は、3人の健康診断に行ってきました。
皆、順調に成長しています。
明日は、冷え込みそうです。
たまに、夜の空、見てみました♪
高台なので、金星だけは確認できるかと、
寒空に、双眼鏡をもって。
天文知識が無いので、どのくらい接近しているのかは、
分からず。
月と、金星が見える西の空をみあげていました。
金星だけは、確認しました。

今日は、星がとても綺麗だったよ。
「周りに何にもないからね!」そう田舎だからね。

児童会館のプラネタリュームまだあるのかな?

くつろぎながら見る星は、綺麗に見えると、
思うよ。今日は、お休みだから、いいね。
今日は、3人の健康診断に行ってきました。
皆、順調に成長しています。
明日は、冷え込みそうです。
たまに、夜の空、見てみました♪
2010年3月16日(火)
♪友達。。。♪
出来事×36

今日は、友達の経営する、
「ブランメル」へ家族3人で、ランチに行きました。
家族での食事、日程が合わない事もあり、
久しぶりです。
この店のオーナー、というか、友達に出会ったのは、
高校1年生の春でした。
となりのクラスにいました。
「随分、変わった奴だな。」と思いながら、
すぐに意気投合、30年ぐらいのお付き合い。
1月に、リニューアルオープンしてから、
始めての、食事でした。
欧風料理、夜はショットバーも、
お店は、とても綺麗です。
来店の理由は、娘が、公立、私立、希望の高校に、
合格しました。
2月16日、公立、推薦が内定しましたが、
あくまでも内定で、決定ではありません。
今日、合格発表の日でした。
「79」番、ありました。
私たちの頃は、ラジオや、新聞で、名前を発表した
記憶があります。
とにかく、一段落、つかの間のひと時でした。

ランチコース、充実していました。
この他のコーヒー、ライスがついていました。
魚介類を使った、スープがとても
アッサリとした味でした。
フランス料理を、本場で、学んだ、
シェフがいらしゃるそうです。

日替わりで、メニューも変わるようです。
パスタがメインのランチメユーです
彩りも、綺麗です、目でも食感を味わう事ができました。
フランス料理のコースもあるそうです。

パスタ、定番ですが、量が多いです、
これで、一人分、大満足でした。
これから、娘は、高校に進学します。
高校生活は、楽しくないと意味がありません。
ただ、しっかりとした自己管理、
自分らしさも必要ですが、常に前向きに、
登って行く時の、痛みはそれほど大きく感じませんが、
下っていく時の痛みは強く感じるでしょう。
良い時期に進学できたと思います。
友達をたくさん作って、決して、人を押しのけて歩くことなく、
高校生としての自覚をもって、意気どうらず、他人に謙虚で、
つまらない事、避けられない出来事があっても、
決して、取り乱さず。
思いはたくさんありますが、
友達との関係は、永遠に自分の宝として欲しいです。
思い多き、一日でした♪
「ブランメル」へ家族3人で、ランチに行きました。
家族での食事、日程が合わない事もあり、
久しぶりです。
この店のオーナー、というか、友達に出会ったのは、
高校1年生の春でした。
となりのクラスにいました。
「随分、変わった奴だな。」と思いながら、
すぐに意気投合、30年ぐらいのお付き合い。
1月に、リニューアルオープンしてから、
始めての、食事でした。
欧風料理、夜はショットバーも、
お店は、とても綺麗です。

合格しました。
2月16日、公立、推薦が内定しましたが、
あくまでも内定で、決定ではありません。
今日、合格発表の日でした。
「79」番、ありました。
私たちの頃は、ラジオや、新聞で、名前を発表した
記憶があります。
とにかく、一段落、つかの間のひと時でした。

ランチコース、充実していました。
この他のコーヒー、ライスがついていました。
魚介類を使った、スープがとても
アッサリとした味でした。
フランス料理を、本場で、学んだ、
シェフがいらしゃるそうです。

日替わりで、メニューも変わるようです。
パスタがメインのランチメユーです
彩りも、綺麗です、目でも食感を味わう事ができました。
フランス料理のコースもあるそうです。

パスタ、定番ですが、量が多いです、
これで、一人分、大満足でした。
これから、娘は、高校に進学します。
高校生活は、楽しくないと意味がありません。
ただ、しっかりとした自己管理、
自分らしさも必要ですが、常に前向きに、
登って行く時の、痛みはそれほど大きく感じませんが、
下っていく時の痛みは強く感じるでしょう。
良い時期に進学できたと思います。
友達をたくさん作って、決して、人を押しのけて歩くことなく、
高校生としての自覚をもって、意気どうらず、他人に謙虚で、
つまらない事、避けられない出来事があっても、
決して、取り乱さず。
思いはたくさんありますが、
友達との関係は、永遠に自分の宝として欲しいです。
思い多き、一日でした♪
2010年3月15日(月)
♪15年。。。♪
出来事、教育×10

平成6年6月27日、娘が生まれた日です。
その日の、帯広の最高気温が36℃、
とても暑い一日でした。
未明に、妻が破水しました。
まだ、20代、お産に立ち会う事にしていました。
早速、病院へ行きました
私の手を握る、妻の手が力を増します。
それから、数時間、やっと生まれました。
ただ、看護婦さんの顔はもう覚えていませんが、
「先生。」といった瞬間、
何かが、起こっているのだと気がつきました。
そういえば、テレビで見ると、
生まれてすぐに、産声をあげます。
ところが、全く泣きません。
一人の看護士が、なんとストップウオッチのような
物を、出してきました。
先生に時間を告げるようです。
処置がされている様子です。
とにかく、時間が過ぎていきます。
妻は、痛みと薬で、意識も低下していたと思います。
3分、小児科の医師を呼んだようです。
その時、初めて、娘の顔を見ました。
特に、普通の赤ちゃんです。
5分、看護士が先生に、30秒ごとに
時間を告げます。
小児科の医師が3人来ました。
銀紙の大きな風呂敷のような物をもって
赤ちゃんを、くるみ、分娩室から
走り去りました。
すぐに小児科に、運ばれました。
これは、大変な事が、起きているのだと
思いました。
小児科の、ICUで、10人位の
先生たちに囲まれています。
一人の先生が、厚い本を取り出して、
皆に、話しかけている様子です。
首をふる先生もいらっしゃいました。
妻に対しての、慰めの言葉を考え出しました。
どちらも、初孫なので、母親、義母にも、
その緊張感は伝わりました。
その間、私は、先生たちと、
全く、話が出来ませんでした。
時間ばかりが過ぎます。
一人の看護士が出てきました。
すかさず、「赤ちゃんは?」
と聞きましたが、処置中です。
と答えるばかりでした。
とにかく、赤ちゃんは無事なのか、
助かるのか知りたいのです。
先生に、呼ばれた時は、
まず最初に、「生きていますか?」
の問いかけに、「別室でお話します。」
もう、これは、諦めるしかないと思いました。
私も、トイレに駆け込みました。
破水してから、12時間が経っています。
たくさんの、器械がある保育器の中に、
娘はいました。
泣き声は聞こえませんが、
手で、小さな足を触ると暖かいです。
その時、流した涙は、
一生のうちで流した事のないものでした。
妻との対面も、出来ました。
妻が先に、退院しました。
数日後、の私と先生の対面で、
「脳に障害が残る」という可能性も
指摘されました。
それでも、元気に育って欲しい気持ちには
変わりはありません。
後で、気がついた事は、
育児の準備中、妻は、軽いうつ病にかかりました。
始めての子、の場合、珍しい事ではないようでしたが、
妊娠後期、薬を飲んでいました。
軽い、睡眠薬も同時に服用していました。
何らかの、薬の影響が胎児にあったようです。
母乳を飲ませることも、制限されました。
私がもっと、妻の相談に乗ってあげれば
後悔はたくさんありました。
母子手帳には、仮死状態、蘇生の文字があります。
その後、何事も無く、成長してくれました。
あれから、15年の月日が経ちました。
無事に、今日、娘は中学を卒業しました。
たくさんの、バレーボールの寄せ書き、
大切に箱に入った物を頂きました。
初めて、買い与えたトイプードルの「白」
余程気に入った様子です。
楽しい時も苦しいと時も「白」がそばにいてくれます。
もう本当の家族です。
卒業式には、私は出ませんでした。
今日は、ホワイトデー
通信簿と、花束、くれました。
そして、言った言葉が「3年間有難う。」
でした。
想像もしていない事に驚きましたが、
今、娘に期待する事は親としては
ありません。
目配り、気配りが、いずれ心配りに。
その時まで、親は、支えてあげなければならないかもしれません。
今まで、支えて頂いた友達、先生、皆さんに
感謝しています。
思い多き一日でした♪
その日の、帯広の最高気温が36℃、
とても暑い一日でした。
未明に、妻が破水しました。
まだ、20代、お産に立ち会う事にしていました。
早速、病院へ行きました
私の手を握る、妻の手が力を増します。
それから、数時間、やっと生まれました。
ただ、看護婦さんの顔はもう覚えていませんが、
「先生。」といった瞬間、
何かが、起こっているのだと気がつきました。
そういえば、テレビで見ると、
生まれてすぐに、産声をあげます。
ところが、全く泣きません。
一人の看護士が、なんとストップウオッチのような
物を、出してきました。
先生に時間を告げるようです。
処置がされている様子です。
とにかく、時間が過ぎていきます。
妻は、痛みと薬で、意識も低下していたと思います。
3分、小児科の医師を呼んだようです。
その時、初めて、娘の顔を見ました。
特に、普通の赤ちゃんです。
5分、看護士が先生に、30秒ごとに
時間を告げます。
小児科の医師が3人来ました。
銀紙の大きな風呂敷のような物をもって
赤ちゃんを、くるみ、分娩室から
走り去りました。
すぐに小児科に、運ばれました。
これは、大変な事が、起きているのだと
思いました。
小児科の、ICUで、10人位の
先生たちに囲まれています。
一人の先生が、厚い本を取り出して、
皆に、話しかけている様子です。
首をふる先生もいらっしゃいました。
妻に対しての、慰めの言葉を考え出しました。
どちらも、初孫なので、母親、義母にも、
その緊張感は伝わりました。
その間、私は、先生たちと、
全く、話が出来ませんでした。
時間ばかりが過ぎます。
一人の看護士が出てきました。
すかさず、「赤ちゃんは?」
と聞きましたが、処置中です。
と答えるばかりでした。
とにかく、赤ちゃんは無事なのか、
助かるのか知りたいのです。
先生に、呼ばれた時は、
まず最初に、「生きていますか?」
の問いかけに、「別室でお話します。」
もう、これは、諦めるしかないと思いました。
私も、トイレに駆け込みました。
破水してから、12時間が経っています。
たくさんの、器械がある保育器の中に、
娘はいました。
泣き声は聞こえませんが、
手で、小さな足を触ると暖かいです。
その時、流した涙は、
一生のうちで流した事のないものでした。
妻との対面も、出来ました。
妻が先に、退院しました。
数日後、の私と先生の対面で、
「脳に障害が残る」という可能性も
指摘されました。
それでも、元気に育って欲しい気持ちには
変わりはありません。
後で、気がついた事は、
育児の準備中、妻は、軽いうつ病にかかりました。
始めての子、の場合、珍しい事ではないようでしたが、
妊娠後期、薬を飲んでいました。
軽い、睡眠薬も同時に服用していました。
何らかの、薬の影響が胎児にあったようです。
母乳を飲ませることも、制限されました。
私がもっと、妻の相談に乗ってあげれば
後悔はたくさんありました。
母子手帳には、仮死状態、蘇生の文字があります。
その後、何事も無く、成長してくれました。
あれから、15年の月日が経ちました。
無事に、今日、娘は中学を卒業しました。
たくさんの、バレーボールの寄せ書き、
大切に箱に入った物を頂きました。

余程気に入った様子です。
楽しい時も苦しいと時も「白」がそばにいてくれます。
もう本当の家族です。

今日は、ホワイトデー
通信簿と、花束、くれました。
そして、言った言葉が「3年間有難う。」
でした。
想像もしていない事に驚きましたが、
今、娘に期待する事は親としては
ありません。
目配り、気配りが、いずれ心配りに。
その時まで、親は、支えてあげなければならないかもしれません。
今まで、支えて頂いた友達、先生、皆さんに
感謝しています。
思い多き一日でした♪
2010年3月14日(日)
♪アルバム。。。♪
出来事、教育×10

娘の、卒業アルバムが出来上がりました。
アルバムの金額は、一冊、25,000円、
11人の3年生、一人転校されているので、
もう一人いれば、24の瞳?
思った以上の、出来栄えに感動しました。
特別、勉強が出来るとか、
器用な子ではもともとありません。
私の子です、将来、何かになって欲しいとか、
もっと勉強が出来るようになって欲しい
という期待は、親としてはまだありません。
もともと、内弁慶です。
性格が、私によく似ています。
ただ、ここまで見守ってくれた、
父兄の方、先生、皆さんに感謝したいです。
「川西」の子は、打たれ強く生きなければ、
前任の、校長の口癖でした。
皆、保育園から、一緒です。
性格から、その子の動向まで、
先生、たちは、特に分かっています。
全校で、46人、
市内の中学でも、とても小規模の学校です。
ただ、事細かな、教育方針など、
素晴らしい、環境でした。
とても楽しい3年間だったようです。
女の子、初の、体育祭の応援団長、
聞いたときには驚きました。
本当に大丈夫なのか、何度も妻は聞いたそうです。
私も、心配になり、当日は、
怖い物を見るようでした。
何度も、自問自答しました。
このような、事の出来る子ではないと思っていました。
おそらく、何度も練習したでしょう。
支えてくれた、担任の先生のお力でしょう。
当たり前の用にプログラムをこなして行きます。
残念ながら、白組みは負けましたが、
何とか勤めたようでした。
親の方がはらはらしました。
ただ、ここで、何かを感じ取ってくれたのかな、
という、満足感はありました。
全てを、救ってくれたのは、バレーボール
だったと思います。
小学、2年生から、だぶだぶのトレーナーを着て
玉拾いの毎日です。
4年生になり、すぐにコートに入りました。
何度も練習試合をしましたが、
負ける試合ばかりです。
11人の部員です、レギラーになるのは
学年隼です。
ただ、どうしても、市内のチームには勝つ事は
たやすい事ではなかったようです。
5年生位から、チームの不意息が変わりました。
お互いを助け合う気持ちです。
一人のミスを皆で、カバーする。
そんあ気持ちが、チームを強くしました。
中学に入り、本人の意識も変わったようでした。
コテンパンにコーチの愛のむちが飛びます。
泣き出すのかと思っていましたが、
表情は変わりません。
セッターの親友、本人はアタカー、
気持ちはひとつになりました。
練習、練習の毎日です。
途中で、辞めたメンバーもいません。
勝てる試合なのに、負ける。
そんな事を、何度も経験しました。

3年生で市内、小規模高で、優勝する事が
一度ありました。
嬉しさを、チーム全員で味わう事が出来ました。
進学しても、バレーボールはしたい。
そんな気持ちになったのは、この頃だったのかもしれません。
アルバムの金額は、一冊、25,000円、
11人の3年生、一人転校されているので、
もう一人いれば、24の瞳?
思った以上の、出来栄えに感動しました。
特別、勉強が出来るとか、
器用な子ではもともとありません。
私の子です、将来、何かになって欲しいとか、
もっと勉強が出来るようになって欲しい
という期待は、親としてはまだありません。
もともと、内弁慶です。
性格が、私によく似ています。
ただ、ここまで見守ってくれた、
父兄の方、先生、皆さんに感謝したいです。

前任の、校長の口癖でした。
皆、保育園から、一緒です。
性格から、その子の動向まで、
先生、たちは、特に分かっています。
全校で、46人、
市内の中学でも、とても小規模の学校です。
ただ、事細かな、教育方針など、
素晴らしい、環境でした。
とても楽しい3年間だったようです。

聞いたときには驚きました。
本当に大丈夫なのか、何度も妻は聞いたそうです。
私も、心配になり、当日は、
怖い物を見るようでした。

このような、事の出来る子ではないと思っていました。
おそらく、何度も練習したでしょう。
支えてくれた、担任の先生のお力でしょう。
当たり前の用にプログラムをこなして行きます。

何とか勤めたようでした。
親の方がはらはらしました。
ただ、ここで、何かを感じ取ってくれたのかな、
という、満足感はありました。
全てを、救ってくれたのは、バレーボール
だったと思います。
小学、2年生から、だぶだぶのトレーナーを着て
玉拾いの毎日です。
4年生になり、すぐにコートに入りました。
何度も練習試合をしましたが、
負ける試合ばかりです。
11人の部員です、レギラーになるのは
学年隼です。
ただ、どうしても、市内のチームには勝つ事は
たやすい事ではなかったようです。
5年生位から、チームの不意息が変わりました。
お互いを助け合う気持ちです。
一人のミスを皆で、カバーする。
そんあ気持ちが、チームを強くしました。
中学に入り、本人の意識も変わったようでした。
コテンパンにコーチの愛のむちが飛びます。
泣き出すのかと思っていましたが、
表情は変わりません。

気持ちはひとつになりました。
練習、練習の毎日です。
途中で、辞めたメンバーもいません。
勝てる試合なのに、負ける。
そんな事を、何度も経験しました。

3年生で市内、小規模高で、優勝する事が
一度ありました。
嬉しさを、チーム全員で味わう事が出来ました。
進学しても、バレーボールはしたい。
そんな気持ちになったのは、この頃だったのかもしれません。