2014年5月20日(火)
山陰・山陽の旅(その5) 益田~津和野~萩~長門~仙崎~下関
食べある紀行×326

5月19日
本日は、天気も体調も良好です。ホテルを6時に出発しました。
7時、津和野到着。真っ先に出迎えてくれたのは、津和野のシンボル的存在の青野山です。この山の姿を見ると、津和野に来た~という感じがします。(トップ画像)
赤い石州瓦に掘割、白壁…。津和野は江戸時代、津和野藩の城下町として栄えました。郷愁に満ちた山陰の小京都を、観光客のいないうちに自転車で散策です。
まず、本町通りの商家の街並み。

そこを抜けて殿町通りへ。花菖蒲はまだわずかしか咲いていませんでした。(惜)

掘割の錦鯉も変わらず元気です。

太皷谷稲成神社に向かいます。ここは、何故か前回行かなかったところです。


神社の一番上から津和野の町を俯瞰します。徒歩でも歩き回れるくらいコンパクトな町ですね。


森鴎外の旧居にも行きました。津和野の町の南西方向にあります。今回は、残念ながら休館日のため、中を見ることはできませんでした。

旧居の後ろにある山の上には、津和野城址(石垣)がほんの少し見えています。

順序が違っていますが、森鴎外の墓所である永明寺に向かいます。このお寺は、歴代藩主の菩提寺でもあり、1420年の創建、山口県最古の別格大禅院とのことです。

前回も訪れていますが、もう来られないかもしれないので、ちょっと念入りにお参りを…。(失礼してパチリ!)

鴎外の遺言(…余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス…墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス…)により、まさにその通りの墓となっています。
作家・森鴎外とか陸軍軍医であった経歴についても、全く触れられておりません。簡素なものです。
東京三鷹・禅林寺にも鴎外の墓がありますが、やはり同様でした。潔さを感じます。
次の萩でもかなり乗り回したので、少しつかれ気味。
おまけに、予定変更が相次ぎ、結果的に下関まで来てしまっています。
…なので、本日のブログはここまでとします。詳しくは、後日ということで。(笑)
※萩から下関までの間の画像は、都合により「補足編」の方で別途紹介させていただく予定です。
本日は、天気も体調も良好です。ホテルを6時に出発しました。
7時、津和野到着。真っ先に出迎えてくれたのは、津和野のシンボル的存在の青野山です。この山の姿を見ると、津和野に来た~という感じがします。(トップ画像)
赤い石州瓦に掘割、白壁…。津和野は江戸時代、津和野藩の城下町として栄えました。郷愁に満ちた山陰の小京都を、観光客のいないうちに自転車で散策です。
まず、本町通りの商家の街並み。

そこを抜けて殿町通りへ。花菖蒲はまだわずかしか咲いていませんでした。(惜)

掘割の錦鯉も変わらず元気です。

太皷谷稲成神社に向かいます。ここは、何故か前回行かなかったところです。


神社の一番上から津和野の町を俯瞰します。徒歩でも歩き回れるくらいコンパクトな町ですね。


森鴎外の旧居にも行きました。津和野の町の南西方向にあります。今回は、残念ながら休館日のため、中を見ることはできませんでした。

旧居の後ろにある山の上には、津和野城址(石垣)がほんの少し見えています。

順序が違っていますが、森鴎外の墓所である永明寺に向かいます。このお寺は、歴代藩主の菩提寺でもあり、1420年の創建、山口県最古の別格大禅院とのことです。

前回も訪れていますが、もう来られないかもしれないので、ちょっと念入りにお参りを…。(失礼してパチリ!)

鴎外の遺言(…余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス…墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス…)により、まさにその通りの墓となっています。
作家・森鴎外とか陸軍軍医であった経歴についても、全く触れられておりません。簡素なものです。
東京三鷹・禅林寺にも鴎外の墓がありますが、やはり同様でした。潔さを感じます。
次の萩でもかなり乗り回したので、少しつかれ気味。
おまけに、予定変更が相次ぎ、結果的に下関まで来てしまっています。
…なので、本日のブログはここまでとします。詳しくは、後日ということで。(笑)
※萩から下関までの間の画像は、都合により「補足編」の方で別途紹介させていただく予定です。
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