まかない(843)
2019年1月18日(金)
今日のまかない 2019.01.17
まかない×843
今日のまかないは餃子の包み方の練習も兼ねたものになるはずでしたが、諸事情により急遽予定を変更しております。
名前は聞いていないので勝手に中国風に名付けるとしたら、ブーウェーハー(豚と海老と白菜のあれ)です。すみません。
調味料は昨日のまかないとほぼ同じとのことですが、料理としてはずいぶんと印象が違います。
小さなエビがその大きさに似つかわしくないほど風味を出しています。
あんがしっかりとしているからか、全体が白菜の良さに包まれてもいるようです。
昔あったカップ麺の影響で、あんかけとなると広東料理だなと思ってしまうところもありますが、恥ずかしいので口にはしないように気をつけようと思います。
名前は聞いていないので勝手に中国風に名付けるとしたら、ブーウェーハー(豚と海老と白菜のあれ)です。すみません。

小さなエビがその大きさに似つかわしくないほど風味を出しています。
あんがしっかりとしているからか、全体が白菜の良さに包まれてもいるようです。
昔あったカップ麺の影響で、あんかけとなると広東料理だなと思ってしまうところもありますが、恥ずかしいので口にはしないように気をつけようと思います。
2019年1月16日(水)
今日のまかない 2019.01.16
まかない×843
今日のまかないは鶏丁(チーティン)が主となる料理です。
他の鶏の字が出せないので一応こちらで表記しています。
中華料理において何種類かある基本的な切り方の一つで、それを教えてもらうことも兼ねています。
しっかりと味が付けられているので、ご飯おかずにもってこいです。
中華食堂的なお店でこれが出されれば、かなり贅沢な気持ちになるかと思います。
味のつき方、具材の食感や色味、なぜこんな風にしっかりと味が絡むのか、一部始終を見せてもらえたことでその手間に後からじわじわと感嘆します。
技術ってすごいなーと思います。
また、お箸で一つ一つちまちまと食べていたら、マスター曰くスプーンかレンゲで食べた方がおいしいとのこと。
確かにその方が食材の組み合わせによっての変化が楽しめますし、そのために大きさを切り揃えているのだと思いました。
そして食材の組み合わせで料理の名前が変わるとのこと。
基本中の基本の調理。
ここからバーッと彗星のように広がっていくのが中華料理の面白いところなのだと思います。バーッと。
他の鶏の字が出せないので一応こちらで表記しています。
中華料理において何種類かある基本的な切り方の一つで、それを教えてもらうことも兼ねています。

中華食堂的なお店でこれが出されれば、かなり贅沢な気持ちになるかと思います。
味のつき方、具材の食感や色味、なぜこんな風にしっかりと味が絡むのか、一部始終を見せてもらえたことでその手間に後からじわじわと感嘆します。
技術ってすごいなーと思います。
また、お箸で一つ一つちまちまと食べていたら、マスター曰くスプーンかレンゲで食べた方がおいしいとのこと。
確かにその方が食材の組み合わせによっての変化が楽しめますし、そのために大きさを切り揃えているのだと思いました。
そして食材の組み合わせで料理の名前が変わるとのこと。
基本中の基本の調理。
ここからバーッと彗星のように広がっていくのが中華料理の面白いところなのだと思います。バーッと。
2019年1月16日(水)
今日のまかない 2019.01.15
まかない×843
前日のまかないにおいてはちょっと言い過ぎたきらいがあるように思います。
そこまでひどくご飯がべちゃべちゃではなかったと思うですが、トラウマでしょうか。
似たような状況に過去の記憶が呼び起こされるということはあるように思います。
何があったのかは断片的ですが、玉子丼が引っかかっているように思います。
今日のまかないは普段受けない出前や、それと同時に相次ぐ来客の陰で放置され乾燥し、切れやすくなってしまった自家製麺の切れ端がメインです。
そういった点で麺においては、ネグレクトと切れやすさには切っても切れない関係があるように思います。
本来はビーフンを使った料理で台湾の方から教わったものとのことです。
花椒が奥の方で香り、舌がそこはかとなくジーンとします。
これでもかという主張がないのは、主はビーフン(今日は麺)料理なのでそこでバランスしているとのことです。
その点、胡椒はしっかりと仕事をする割には使っても意識に残りにくいのかなーと思います。
陰日向に胡椒はすごいと思います。
そしてあらためて基本の大切さを感じます。
基本という言葉も形骸化して型みたいになっていますので、もっと平たく表現しなければいけない気もします。
それを元となる理解と言い換えた時に、応用という広がりがあるように思います。
そういった意味で、行き詰まりは理解の限界と言えるかと思います。
そこまでひどくご飯がべちゃべちゃではなかったと思うですが、トラウマでしょうか。
似たような状況に過去の記憶が呼び起こされるということはあるように思います。
何があったのかは断片的ですが、玉子丼が引っかかっているように思います。
今日のまかないは普段受けない出前や、それと同時に相次ぐ来客の陰で放置され乾燥し、切れやすくなってしまった自家製麺の切れ端がメインです。
そういった点で麺においては、ネグレクトと切れやすさには切っても切れない関係があるように思います。
本来はビーフンを使った料理で台湾の方から教わったものとのことです。

これでもかという主張がないのは、主はビーフン(今日は麺)料理なのでそこでバランスしているとのことです。
その点、胡椒はしっかりと仕事をする割には使っても意識に残りにくいのかなーと思います。
陰日向に胡椒はすごいと思います。
そしてあらためて基本の大切さを感じます。
基本という言葉も形骸化して型みたいになっていますので、もっと平たく表現しなければいけない気もします。
それを元となる理解と言い換えた時に、応用という広がりがあるように思います。
そういった意味で、行き詰まりは理解の限界と言えるかと思います。
2019年1月14日(月)
今日のまかない 2019.01.12
まかない×843
今日のまかないはカツ丼です。
カツ丼といえば、たん吉さんというお店の2階で食べたカツ丼が最後だったことに気づきました。
香ばしいカツを卵でとじるという組み合わせを誰が考えたのかは知りませんが、世が世ならばおそろしいほど贅沢な食べ物であったかと思います。
はっきり言いますと、カツ丼をおいしい食べ物として認識はしていません。
最初に食べたカツ丼がよくなかったのでしょうか。
しかしマスターの作るカツ丼はそういった思いとは別の食べ物でした。
カツの香ばしさと甘じょっぱい味付けを卵がしっかりと支えています。
味がぼやけていないのが一番の違いかもしれません。
これが最初に食べたカツ丼であったなら、と思わなくもありません。
しかしやはり、ふやけていくご飯は無残としか言いようがありません。
その状態から具だけを引き剥がした場合のご飯の哀れさは直視できるものではないと思います。
料理において主と副というのは押さえるべきツボですが、カツと玉子が主と副という関係であって、ご飯はもはやある意味、カツというそれらからトリクルダウンされた負債に苦しむ一般国民のように見えてしまいます。
もっと言えば、個人的にはカツはサクッと食べたい。ホッケのフライのように。
天ぷらは温かいそばつゆでしっとりとしていてもいいのですが、勝手なものです。
ちなみに今と以前とでは衣やパン粉をつける手順も違っているのだとか。
効率の良さか質かみたいなところでもありそうです。
カツ丼といえば、たん吉さんというお店の2階で食べたカツ丼が最後だったことに気づきました。
香ばしいカツを卵でとじるという組み合わせを誰が考えたのかは知りませんが、世が世ならばおそろしいほど贅沢な食べ物であったかと思います。

最初に食べたカツ丼がよくなかったのでしょうか。
しかしマスターの作るカツ丼はそういった思いとは別の食べ物でした。
カツの香ばしさと甘じょっぱい味付けを卵がしっかりと支えています。
味がぼやけていないのが一番の違いかもしれません。
これが最初に食べたカツ丼であったなら、と思わなくもありません。
しかしやはり、ふやけていくご飯は無残としか言いようがありません。
その状態から具だけを引き剥がした場合のご飯の哀れさは直視できるものではないと思います。
料理において主と副というのは押さえるべきツボですが、カツと玉子が主と副という関係であって、ご飯はもはやある意味、カツというそれらからトリクルダウンされた負債に苦しむ一般国民のように見えてしまいます。
もっと言えば、個人的にはカツはサクッと食べたい。ホッケのフライのように。
天ぷらは温かいそばつゆでしっとりとしていてもいいのですが、勝手なものです。
ちなみに今と以前とでは衣やパン粉をつける手順も違っているのだとか。
効率の良さか質かみたいなところでもありそうです。
2019年1月12日(土)
今日のまかない 2019.01.11
まかない×843
今日のまかないはかに玉ならぬえび玉丼です。
手ほどきを受け、何とか形にすることはできました。
具材はえびとキクラゲとメンマです。
何かすっぽりと抜けているような気もします。卵が盲点かもしれません。
パッと見、天津丼的な感じかと思います。
しかしまったく甘くも酸っぱくもありません。
塩味、醤油の香り、偉大なるオイルの風味、それらが具材それぞれの素材感を引き立てています。
実に素直な味です。
作り手の現状もしっかりと反映され、あんかけにはムラもあります。。
ちなみに天津丼にせよエビチリにせよ中国にはなく、砂糖やケチャップが好きな日本人向けに生み出された料理なのだとか。
帰宅後いろいろと自分でも作ってみますがうまくできた時以上に、失敗した時や問題がある時は原因がわかっているととても勉強になります。
その上でどうしてもうまくできないことは数をこなすしかないのだと思います。
手ほどきを受け、何とか形にすることはできました。

何かすっぽりと抜けているような気もします。卵が盲点かもしれません。
パッと見、天津丼的な感じかと思います。
しかしまったく甘くも酸っぱくもありません。
塩味、醤油の香り、偉大なるオイルの風味、それらが具材それぞれの素材感を引き立てています。
実に素直な味です。
作り手の現状もしっかりと反映され、あんかけにはムラもあります。。
ちなみに天津丼にせよエビチリにせよ中国にはなく、砂糖やケチャップが好きな日本人向けに生み出された料理なのだとか。
帰宅後いろいろと自分でも作ってみますがうまくできた時以上に、失敗した時や問題がある時は原因がわかっているととても勉強になります。
その上でどうしてもうまくできないことは数をこなすしかないのだと思います。