まかない(843)
2020年7月9日(木)
今日のまかない 炒飯 2020.07.09
まかない×843
今日のまかないは炒飯です。
直前まで煮干し醤油ラーメンという流れでしたが、麺の在庫に余裕がなかったため・・非常に残念ですが調理を担当します。
夏日だからというわけではありませんが、少し爽やかに・・と思いトマトをのせてみました。
エビとトマトと小松菜でイタリアンカラーをイメージ。。
当たり前ですが味が薄くなるだけです・・。
何かもう一手間かければと思う一方で夏日の影響か、または煮干しラーメンを食べそびれたショックからかそのまま形にしてしまうという流れに。
レタス炒飯にトマトを足すような感じでザーッと調理してしまえばどうかとか思いますが、やはり生トマトのままでは水分との戦い(惨敗)になるかとも思います。
いつの日かトマト炒飯を形に出来る日が来ないとも限りませんが、一度はケチャップに手を染め、チキンライスとの違いに悩むような気もします。
直前まで煮干し醤油ラーメンという流れでしたが、麺の在庫に余裕がなかったため・・非常に残念ですが調理を担当します。

エビとトマトと小松菜でイタリアンカラーをイメージ。。
当たり前ですが味が薄くなるだけです・・。
何かもう一手間かければと思う一方で夏日の影響か、または煮干しラーメンを食べそびれたショックからかそのまま形にしてしまうという流れに。
レタス炒飯にトマトを足すような感じでザーッと調理してしまえばどうかとか思いますが、やはり生トマトのままでは水分との戦い(惨敗)になるかとも思います。
いつの日かトマト炒飯を形に出来る日が来ないとも限りませんが、一度はケチャップに手を染め、チキンライスとの違いに悩むような気もします。
2020年7月9日(木)
今日のまかない うな丼 2020.07.08
まかない×843
今日のまかないはうな丼です。
大きなうなぎを丸ごと・・
宴会用の小判皿にのせているため小さく見えますが、実際ひとりで食べるには・・という大きさです。
国産ではないうなぎにてよくある皮の厚さ固さ、匂い等はなく、実際とても食べやすい上にボリュームもあるという使いでのあるものとなってます。
身の食感に関しては加熱の仕方によるところもあるようですがふっくらとしています。
また、山椒の代わりの花椒、レモンがとてもいい仕事をしてくれています。
山椒、すだちなどであればさらに・・とも思います。
しかしそれにしてもやはり実に贅沢なまかないです(と、まかないとして締めておきます・・)。
大きなうなぎを丸ごと・・

国産ではないうなぎにてよくある皮の厚さ固さ、匂い等はなく、実際とても食べやすい上にボリュームもあるという使いでのあるものとなってます。
身の食感に関しては加熱の仕方によるところもあるようですがふっくらとしています。
また、山椒の代わりの花椒、レモンがとてもいい仕事をしてくれています。
山椒、すだちなどであればさらに・・とも思います。
しかしそれにしてもやはり実に贅沢なまかないです(と、まかないとして締めておきます・・)。
2020年7月8日(水)
今日のまかない 上海焼きそばのようなキャベツともやし焼きそば 2020.07.07
2020年7月4日(土)
今日のまかない セロリと鶏の豆豉炒め 2020.07.03
2020年7月2日(木)
今日のまかない 餃子 2020.07.02
まかない×843
今日のまかないは餃子です。
仕込みです。
ひっくり返せばいっちょこ前に見えなくもないです。
やっと謎ドリルから抜け出せたというところでしょうか。
さておき、お世話になっている中で何が勉強になっているかといえば、何を基準にするかということとも言えます。
餃子で言えば何を餃子とするのかなど、もはや引いた視点なのか突き詰めた視点なのかもわからないところから重ねられた裏打ちがあります。
単に物珍しさや尖っているとか、または味がいいとか好みかではなく、平たく言えば餃子の個性が一番表現できる状態がどこかと言える気がします。
それを食べる側が理解し、または受け止めるかという能動性の有無が、まるで芸術に触れる世界にも似ているのかもと思わさりますが、料理に意図があった場合、大げさではなくそんな大げさなことも成立しているのだろうなとも思います。
調理師の意図や理解の深さは、サスペンスドラマの犯人の動機によって物語の重さが変わるようなものかと思います。。
などということを餃子を食べながら思う日もあります。
仕込みです。

やっと謎ドリルから抜け出せたというところでしょうか。
さておき、お世話になっている中で何が勉強になっているかといえば、何を基準にするかということとも言えます。
餃子で言えば何を餃子とするのかなど、もはや引いた視点なのか突き詰めた視点なのかもわからないところから重ねられた裏打ちがあります。
単に物珍しさや尖っているとか、または味がいいとか好みかではなく、平たく言えば餃子の個性が一番表現できる状態がどこかと言える気がします。
それを食べる側が理解し、または受け止めるかという能動性の有無が、まるで芸術に触れる世界にも似ているのかもと思わさりますが、料理に意図があった場合、大げさではなくそんな大げさなことも成立しているのだろうなとも思います。
調理師の意図や理解の深さは、サスペンスドラマの犯人の動機によって物語の重さが変わるようなものかと思います。。
などということを餃子を食べながら思う日もあります。