2024年1月6日(土)
1月上旬の日勝峠 凍っていないが

1月5日に日勝峠を越えて十勝ヒュッテに。頂上トンネル(日高側)雪は多くないが何せ暖かい。外気はずーっと0℃だった。曇天だったので写真はすべてモノクロのようになってしまった。
札幌を出て長沼へ。雨。プラス1℃。
夕張も雨。路面は解けている。
紅葉山から日高町へ向かう。さすがに路面は圧雪だった。福山からの登りで大型トラックが停車していた。先を見るともう一台のトラック。
ハザードを付けて停車して よく見たらトラックが少し横向きになっていて 運転手が降りて状況を見ている。トレーラーの牽引部がスリップしているようだ。恐らくタイヤがツルツルか過積載だろうと思う。行けとサインを出していたので 左横を注意してすり抜けた。
日高町手前で除雪車が3台通った。雪はグサグサのようだ。
日勝峠を登り始めて最初の覆道。
2合目手前にある取水ダム。路面は凍結はしていないが やや轍気味。
頂上トンネルを過ぎて十勝側9合目の覆道。いつもだと天候が一変するのだが 全く変わらず気温0℃。
十勝側5合目の下り。
そのままだらだらと下り 道道55号に入ってしまった。相変わらずの天候。気温マイナス1℃。
ようやく旭山に着き いつものばん馬牧場の横を通る。明日帰りだが これで夜間凍結すると強敵だ。










ようやく旭山に着き いつものばん馬牧場の横を通る。明日帰りだが これで夜間凍結すると強敵だ。
2024年1月5日(金)
年末年始の北大構内(2) 恵迪寮・山岳館など
c 札幌・道央圏Sapporo×246

構内の中央道路を離れてキャンパスの北西側の奥を訪ねた。この辺には恵迪寮・山岳館・有害物質処理施設などがある。これは南に向けた眺望で 平成ポプラ並木が見える。手前は陸上グラウンド 右はサークル会館だ。
恵迪寮の門(塀かもしれないが 文字が読めない)。
寮の正面玄関を望む。自転車が立ったままなので 自転車で授業に行く学生もいるのだろう。
さらに奥には山岳館の案内板があった。二抱えもあるようなエルムの古木だ。
そのエルムの木に付いていた巨大サルノコシカケ(?不明)。サイズ比較のため黒手袋を置いてみた。
山岳館は北大の山岳活動などの資料を展示している。屯田兵の建物に似ていた。
この日はあいにく休館だったが 普段は山岳部のOBが中心に管理していると聞く。
ヤチダモやエルムの原生林の向こうには獣医学部の建物が見えたので この下を環状通りのエルムトンネルが通っていることになる。
キャンパスの中央道路を外れて北西部まで足を延ばす方は少ないが 二百万都市の中心部にぽっかりとあいたエリアで 冬は農場の大雪原 春夏は一杯の緑を楽しめる。西側の手稲山塊も含めると 何か十勝の平原に似ていて「北海道は広いな」と感じられる場所だ。訪れる時は十分に時間を取ることをお勧めする。







キャンパスの中央道路を外れて北西部まで足を延ばす方は少ないが 二百万都市の中心部にぽっかりとあいたエリアで 冬は農場の大雪原 春夏は一杯の緑を楽しめる。西側の手稲山塊も含めると 何か十勝の平原に似ていて「北海道は広いな」と感じられる場所だ。訪れる時は十分に時間を取ることをお勧めする。
2024年1月4日(木)
年末年始の北大構内(1) 並木・道路の冬景色
c 札幌・道央圏Sapporo×246

冬景色を見に久々に北大構内に行ってみた。まずはポプラ並木へ。倒木の恐れから立ち入り禁止の柵があるが 踏み跡はあった。
並木の横には新渡戸稲造の胸像がある。確か5千円札になった頃に作られたと思う。
上空に青空も見えるが 時折の突風でブリザードになるあいにくの天気だった。
中央道路を渡る人も完全な冬装備で 一部は観光客のようだ。
構内唯一のコンビニ(セコマ)。学生たちには冬の命の綱だろう。
第二農場近くの平成ポプラ並木。風が強い。
13条のイチョウ並木。11月の黄葉の明るさはどこにもない。一部は雪をかぶっていた。
12月までに雪が結構降ったが その後の暖気で積雪量はさほどではないようだ。今年の雪まつりの雪は大丈夫だろうか。






12月までに雪が結構降ったが その後の暖気で積雪量はさほどではないようだ。今年の雪まつりの雪は大丈夫だろうか。
2024年1月3日(水)
エスコンフィールドの探訪 すごく楽しい
c 札幌・道央圏Sapporo×246

遅ればせながらエスコンフィールドを探訪した。建設が始まって以来 外からは眺めていたが中に入るのは初めてだった。これは駐車場から上がった東側の入り口。
複数個所から入館出来るが この日は東側駐車場から南側をグルっと回って西側のコカ・コーラゲートから入った。上から巨大ボトルがぶら下がっていた(右上)。
入った階は外野のライト側の2階席だったようで プライベートボックス(右側)もあった。この4人席は快適だろう。
この日はもちろん試合はなく屋根は閉じていて オレンジ光で芝生の養生をしていた。
グラウンドまで降りるツアー(有料)もある。家族連れが写真を撮りまくっていた。
下りのエスカレーター付近にはファイターズの歴史や歴代のスター・重要メンバーの画像があった。見ごたえありだ。
夕方で外は寒いのに見物人が大勢いた。旅行カバンを引いていたのは空港から(へ)の観光客だろう。
レストランは営業していて 窓越しにグラウンドを見ながらコーヒーを飲んだ。
これは有名なタワー11のダルビッシュと大谷の画像(肖像画)で 格好の撮影ポイントになっていた。
これは移動屋根のトラス構造。幾何学模様はなかなか興味深い。
エスコンフィールドの総工費は500億円とどこかで見たが「意外に安いな」と思った。ちなみに東京スカイツリーも同じぐらい。連れはビルの建築設計をやっているのでその話をしたら「建物としてはそんなもんだよ」「トラス構造や構造壁は現しだし 移動屋根の支えはRCコンクリートだから」とあっさり。なるほどと感心した。とはいえ これだけ創意工夫があると十分楽しめる。









エスコンフィールドの総工費は500億円とどこかで見たが「意外に安いな」と思った。ちなみに東京スカイツリーも同じぐらい。連れはビルの建築設計をやっているのでその話をしたら「建物としてはそんなもんだよ」「トラス構造や構造壁は現しだし 移動屋根の支えはRCコンクリートだから」とあっさり。なるほどと感心した。とはいえ これだけ創意工夫があると十分楽しめる。
2024年1月2日(火)
「シルバーロッジ」 山スキー部の歴史と伝統
c 札幌・道央圏Sapporo×246

北大山スキー部は札幌西区山の手に「シルバーロッジ」を所有している。このロッジの存在は知っていたが 行ったことはなかった。今回は友人のOBに頼んで初めて訪問した。
場所は北一条・宮の森通りに面しているので 付近に車を置いて急勾配の階段を登ると 前方に白文字のHUSFの建物が見えてきた。
登り終えて振り返ると 札幌の中心街も手に取るように見える。右手の白い部分はマンションの屋根。
こちらは南東方向の眺望で 円山と藻岩山を眺望できる。
室内は普通の民家だが ピッケルや山岳書などもあった。
建設当時は石炭ストーブだったらしいが 現在は普通の石油ストーブを使っていた。キッチン・トイレ・浴室も完備。きれいに整頓されていた。
2階の広間は集会室として使っているとのこと。昭和47年(1972年)の旭岳遭難の犠牲者の写真が掛けられていた。この頃 私は別のクラブの1年生だったが 現地の捜索に参加したことを思い出した。
建設当時(1961年頃)のゲレンデの風景。往時はジャンプ台もあったとのこと。確かに山スキーの絶好の練習場所だったろう。
北一条・宮の森通りからの急登はまるで山寺の階段のようで 下りは特に注意した。
このシルバーヒュッテ 数年前までは学生部員が住んで大学まで通っていたとのこと。学生の居住・スキー練習場・建物の保守管理で「持続的に循環していた」わけだが ゲレンデの下にマンションが建ち 学生も住まなくなるとこの循環を見直す時期に来ているようだ。とはいえ山スキー部の歴史と伝統を感じた訪問だった。








このシルバーヒュッテ 数年前までは学生部員が住んで大学まで通っていたとのこと。学生の居住・スキー練習場・建物の保守管理で「持続的に循環していた」わけだが ゲレンデの下にマンションが建ち 学生も住まなくなるとこの循環を見直す時期に来ているようだ。とはいえ山スキー部の歴史と伝統を感じた訪問だった。