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2023623(金)

大島亮吉の「山 研究と随想 」 日本最高の山岳書


大島亮吉の「山  研究と随想 」 日本最高の山岳書

 日本最高の山岳書と思っている大島亮吉の「山 研究と随想 」を読み返した。もちろん復刻版の古本でだが。

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 大正から昭和初頭にかけての内容で 大島が穂高で遭難死し その遺著として岩波書店から出版(昭和5年 1930年)された。
 雪崩についての研究・調査の他に ほぼ百年前の山行(多くは日本アルプス)を扱っているが 北海道の山行も含まれているのに驚く。当時 東京から北海道までは2日掛かりの旅程だったことを考えると それだけ北海道の山々は魅力的だったのだろう。

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 7月の石狩岳。案内役として各地の状況を知り尽くしたアイヌの方々が活躍しているのは興味深い。

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 カウンナイ川を遡行してトムラウシ山に登った記録もある。

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 北海道の夏の山では音更川や然別湖など十勝になじみの地域が含まれる。

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 あとがきによると 大島が「登高行」「山とスキー」「山岳」に寄稿したものを 友人達が編集した。

 この本の北海道に関する部分を読むと 現在の北海道の山旅の雰囲気とさほど変わらないことに気が付く。その意味で「北海道の山々は日本でも貴重な環境が残されている」と言えるだろう。
補足: 山行歴に「五色温泉でのスキー練習」が毎年のように出て来るので ニセコの五色温泉と思いその旨記載した。しかし 福島・磐梯山の五色温泉のようなので削除しました。



2023615(木)

野幌の友人宅を訪問 蝶の乱舞と五角屋根


野幌の友人宅を訪問 蝶の乱舞と五角屋根

 江別・野幌に住む友人宅を訪ねた。屋敷森の裏手にある空き家の庭で白い点が群がっていた。「何だ今ごろ」と思ったら「大量の白い蝶の乱舞」だった。

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 よく見ると「チョウが羽化している」ところだった。木の枝は真っ黒いサナギで埋まっていた。木の種類は不明だが枝にトゲがあり 葉は食べられてほとんど残っていない。北海道に生息する「エゾシロチョウ」のようだ(注)。初めての遭遇で感激した。

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 友人が幼少期を過ごしたという旧屋は昔の五角形の屋根(ギャンブレル屋根・マンサード屋根・ 腰折れ屋根・フランス屋根とも言う)で 農家だったお父上が自分で建てたそうだ。驚きだ。

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 友人の代になり同じ敷地内に巨大な新居を建てたらしい。

 子供の頃はここから小学校まで1時間かけて歩いて通ったそうだ。彼は仲間から「自然児」と言われていたが このような環境で育ったためかと納得した。

注: 当初「スジグロチョウ」と教えられたのだが 調べたら植生が違った。ブログ読者から「エゾシロチョウ・バラ科の木」とのご指摘を受け 訂正させていただいた。



2023527(土)

小樽内川のヘルべチアヒュッテと山菜採り


小樽内川のヘルべチアヒュッテと山菜採り

 一週間前だが友人達と定山渓の北側の「小樽内川付近」で山菜取りをした。付近には国際スキー場の他に北大の山小屋が2つあり その一つが「ヘルべチアヒュッテ」だ。これは約100年前(1927年)にスイス人教師グブラー(設計はパラダイスヒュッテと同じマックス・ヒンデル)が山スキーのために建てた小振りの山小屋だ。ドアの赤白のデザインはスイス地方の魔除けだそうだ。その後 北大に寄贈され山岳部が管理してきた。当時から この付近は山スキーの絶好のコースがあり 山岳部の友人が「山スキーのいいゲレンデを国際スキー場に取られた」と言っていたのを思い出す。
 私がここに最初に宿泊したのはもう半世紀も前のことだが 北海道に来たばかりの自分にとって 原点の一つになっている。ヒュッテの中は10人も泊まれば一杯になるが このサイズに好感を持った。実は「十勝ヒュッテ」を作る時のイメージ的モデルでもある。

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 前庭にあるエルムの木は立派で 高さはゆうに15メートルはあるだろう。半世紀前にもあったはずだが こんなに高い木の記憶がない。「ジブリの森」のような不思議な感覚だ。

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 で 肝心の山菜だが 近くの「夕日の沢」を「奥手稲山の家」の方に少し上がり 林道が広がったところでフキを採った。これがまた柔らかくておいしかった。「最適値は1分」と教わったが 実はゆですぎてしまったのだが。。

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 帰りがけに 豊羽本山の近くの林道に入りウドを採った。これもまたおいしかった。やはり経験者のいうことを聞けばおいしい山菜にありつける。
 なお 2枚の山菜の写真は友人のAさんのものだ。私は食べるのに夢中で撮影を忘れてしまった。



2023519(金)

手稲パラダイスヒュッテ 春の朝


手稲パラダイスヒュッテ 春の朝

 札幌圏の5月14日の日の出は午前4時13分だった。こうなるとどうしても早く目が覚めてしまう。(写真の二重窓は優秀で約30年たってもガタが無い)

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 仕方ないので朝の散歩をすることにした。外気温は5℃。

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 朝日が昇ってくる。なかなか爽やかだ。

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 ヒュッテの窓にも朝日が映っている。

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 手稲の山頂はもう完全に明るい。少し早ければきれいなモルゲンロートだったかも知れない。

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 回りの白樺林も明るくなってきた。山親父の心配もあるのであまり遠くには行かなかった。

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 散歩から戻り メールをチェックしてから朝食を作った。湯通し野菜と自然酵母パン・チーズ・玉子焼き それとコーヒー・オレンジジュース。これで十分だ。なおこのヒュッテでは冷蔵庫が無いのがちょっと残念。

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 補足だが 最近亡くなった愛犬シュバはこのヒュッテによく出入りさせてもらった。宿泊者もいなかったので 遺骨の記念写真を撮らせていただいた。感謝。



2023518(木)

手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り


手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り

 5/13-14は年一度のパラダイスヒュッテの小屋番だった。薪作りの場所から 午後1時ごろに手稲山に向かう。手稲山も北側から見ると荒々しい火山の面影がある。

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 初めて気が付いたが 国道から登り始めてすぐに北海道新幹線トンネル工事の現場があった。旧千尺ゲレンデの下方になる。(写真は帰り道に撮影)

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 駐車スペースからの山頂を望む。新緑前の時期でも木々の色は微妙に違うことに驚く。

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 一年ぶりのパラダイスヒュッテ。2代目は再建されてから30年も経過したが実にしっかりしている。
 約50年前に初代パラダイスヒュッテ(当時は築45年)に行った時 1階に寝かされたのだが 壁のログの隙間や床から外気が吹き込んで寒くて震えていたのを思い出す。それぐらい初代の建付けはひどかった。

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 1階の居間・食堂にマックス・ヒンデルが1925年に描いた概念図(設計図)がある。初代の創建は1926年。

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もちろん 1994年建築の二代目でも玄関・ストーブ・台所などもそのまま再現されている。

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 2階は寝室で当初はベッドだった。30人は楽に宿泊できる。

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 初代は束石を使った構造で地下室は無かったが 2代目はコンクリートの基礎で その中に研修室と水洗トイレなど今流の設備が組み込まれて堅牢な作りだ。これは山スキーOBを主体とした再建委員会の尽力のおかげだろう。

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 この日は宿泊者もなかったので 夕食は極めて簡単。ラム肉をたっぷり入れた野菜炒めだ。山小屋では本来こういうシンプルな食事で十分なのだ。あとは薪ストーブの近くで読書と居眠り。小屋番として結構な幸せを味わった。



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Elmtree
 もともとアウトドア大好き人間ですが 時間の制約から残念な思いをしてきました。2019年春に友人の協力を得て 十勝清水にMountain Cabinを自作するプロジェクトを始めました。若者を巻き込んで いつでもバトンタッチできる体制を心がけています。また近くの「遊び小屋コニファー」は アウトドアの大先輩としてリスペクトしています。なお 街・探検・文化については別ブログにしました。Elmtree2をご覧ください。

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