a 他トピック Others(225)
2023年5月13日(土)
友人のネパール土産
a 他トピック Others×225

GWを挟んだ休暇を使って A氏を筆頭とする友人たちがネパール・ヒマラヤのトレッキングに出かけたようだ。それに夫妻で参加したT氏からお土産を頂いた。
「ネパール・ヒマラヤの卓上カレンダー」は十勝ヒュッテで使うのにテーマもサイズも良く合っている。
「民族スタイルの小銭入れ?」はとてもチャーミングだ。この刺繡は額に点があるのでブッダの顔だろうか。有り難く使わせて頂く。
そういえば 約50年前の学生時代 身近な友人たちの間でインド旅行とかヒマラヤ遠征がはやっていた。ネパールに行ったら 皆が「ヤクの毛で織った肩掛けかばん」を買ってきて自慢げに使っていた。薄汚れたグレーの毛布のような生地で ヒラヒラの糸飾りがついていた。だから何だというわけではないが 今回のお土産を見てフと思い出した。半世紀の間にネパールのセンスは伝統を残しつつも確実に良くなっていると思う。
「ネパール・ヒマラヤの卓上カレンダー」は十勝ヒュッテで使うのにテーマもサイズも良く合っている。
「民族スタイルの小銭入れ?」はとてもチャーミングだ。この刺繡は額に点があるのでブッダの顔だろうか。有り難く使わせて頂く。
そういえば 約50年前の学生時代 身近な友人たちの間でインド旅行とかヒマラヤ遠征がはやっていた。ネパールに行ったら 皆が「ヤクの毛で織った肩掛けかばん」を買ってきて自慢げに使っていた。薄汚れたグレーの毛布のような生地で ヒラヒラの糸飾りがついていた。だから何だというわけではないが 今回のお土産を見てフと思い出した。半世紀の間にネパールのセンスは伝統を残しつつも確実に良くなっていると思う。
2023年4月20日(木)
高齢者マークを付けることにした
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「高齢者運転標識(もみじマーク)」は「色付きのよつ葉クローバでカッコ悪い」「歳は取りたくない」という潜在意識のためか ちゃんとしないで今まで来てしまった。調べてみると 義務・努力目標・罰則あり・なしなどの紆余曲折を経て 現在の道交法では「75歳以上は義務 70歳以上は努力義務で不掲示の罰則無し」だそうだ。もちろん マーク付きの車への「幅よせ・割り込みなどは違反で反則金(5000~7000円)あり」だ。
ビッグホーンに乗っている時は (勿論ウインカーを付けて)右左に曲がるのに支障を感じたことは無かった。たが パジェロミニに切り替えた途端に 車線変更でクラクションを鳴らされることが何回もあった。ふと思ったのは 「軽自動車は甘く見られているのでは」ということ。腹は立たないが 「近頃の日本人は寛容性が無くなったな」と嘆いていた。とはいえ「年齢とともに出るモタモタ」の可能性もあり得る。
最近乗り換えたテリオスキッドはマニュアル車のため この傾向は強くなる恐れがある。他車への迷惑や安全性を考えると「いよいよ高齢者マークだろう」との結論に達した。ということで4月17日(愛犬の命日)から表示し始めた。マーク自体は百円ショップで一個100円だった。
シルバーの車で黄色ナンバー それに高齢者マークの組み合わせはダサい極地だが仕方なし。もちろん 他者・自己の安全に一層注意したいと思う。
追記: 偶然だが あの池袋高齢者暴走事故(母娘死亡 9名負傷)は今日だったそうだ。もう4年もたつのか。自戒せねば。
ビッグホーンに乗っている時は (勿論ウインカーを付けて)右左に曲がるのに支障を感じたことは無かった。たが パジェロミニに切り替えた途端に 車線変更でクラクションを鳴らされることが何回もあった。ふと思ったのは 「軽自動車は甘く見られているのでは」ということ。腹は立たないが 「近頃の日本人は寛容性が無くなったな」と嘆いていた。とはいえ「年齢とともに出るモタモタ」の可能性もあり得る。

シルバーの車で黄色ナンバー それに高齢者マークの組み合わせはダサい極地だが仕方なし。もちろん 他者・自己の安全に一層注意したいと思う。
追記: 偶然だが あの池袋高齢者暴走事故(母娘死亡 9名負傷)は今日だったそうだ。もう4年もたつのか。自戒せねば。
2023年4月11日(火)
八木健三先生の画文集「私のワンデリング」を見つけた
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22年10月24日のマイ十勝に恩師の一人の八木健三先生から頂いた絵を紹介した。先生の画文集を持っていたのを思い出したが 残念ながら引越しで紛失したらしい。先週 古書ネットオークションで見かけたら 何と500円スタート。これは買わねばとポチしたら 幸運にもそのまま落札。福島県いわき市の阿武隈書房の出品だった。きれいに保管されていたものが到着。知人への献辞と先生の署名付だったのには驚いた。
この画文集 「私のワンデリング」は先生の退官記念事業として1978年7月に北大ワンゲル部・OB会から刊行され 親交のあった坂本直行さんが序文を寄せている。
内容はニセコが一番多い。これはクラブの冬合宿がニセコで行われていたためだろう。なお現在でもこの冬合宿は行われている
比羅夫から見た羊蹄山。地質学者らしく噴火口などが丁寧に描かれている。比羅夫スキー場から眺めるとここまで細かくは見えないので鳥観図的だと思う。
ニセコ五色温泉が定宿で 山スキーは自分には地獄だったが 夜は有名な露天風呂に入り極楽の毎日だった。先生は毎回3-4泊して 学生と一緒に山スキーをやられた。かなりの腕前だった。
札幌近郊の山々では奥手稲山の家も紹介。
これは手稲山の中腹にあった初代パラダイスヒュッテ。学生のスキー練習の場だったが 先生もよく来られた。
日高山脈も複数枚含まれている。
先生の仕事柄 海外の山も含まれ ヨーロッパアルプスやロッキー山脈のものが多い。
改めて各ページを見直すと 先生の絵は「雰囲気は直行さんと似ているが 地質学者の野帳(フィールドノート)の延長」と思う。先生がお亡くなりになってもう十年近くたつ。画文集は今でも変わらずに当時を伝えてくれて いいものだ。
追記: 絵をブログに掲載するには版権者の承諾が必要だが 自分もその一員だし 本の紹介として容認頂けると思う。ただし このブログを引用する場合は直接原本からにして頂きたい。








改めて各ページを見直すと 先生の絵は「雰囲気は直行さんと似ているが 地質学者の野帳(フィールドノート)の延長」と思う。先生がお亡くなりになってもう十年近くたつ。画文集は今でも変わらずに当時を伝えてくれて いいものだ。
追記: 絵をブログに掲載するには版権者の承諾が必要だが 自分もその一員だし 本の紹介として容認頂けると思う。ただし このブログを引用する場合は直接原本からにして頂きたい。
2023年4月5日(水)
伊藤秀五郎「北の山 続編」 坂本直行の装丁・挿絵
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先に伊藤秀五郎の「北の山」の装丁・挿絵を坂本直行さんがしたことを紹介したが その続編を入手出来た。
表紙のデザインは全く同じで 色が正編が青だったのに対して続編は茶色だ。出版は著者の没年の昭和51年(1976年)で版元は山岳書を多く出していた茗渓堂だ。
内容は 石狩岳・大雪山・日高山脈・北大山岳部創立・熊の話・ヒマラヤ・札幌近郊など広範で 主に紀行文と随筆だ。正編よりもはるかに読みやすいのは現代仮名遣いためだけでもないと思う。
挿絵は直行さんの花のスケッチで 六花亭の包装紙のデザインと同じ時期と思われる。ただし全て白黒だ。この点は正編と大きく異なる点だ。
これはハマナスだろう。
オオバナエンレイソウと思ったが 違うかも知れない。
何れにしても戦前から戦後にかけて約40年にわたる北海道の山関係の記事を集めたもので 読んでなかなかに面白かった。
表紙のデザインは全く同じで 色が正編が青だったのに対して続編は茶色だ。出版は著者の没年の昭和51年(1976年)で版元は山岳書を多く出していた茗渓堂だ。





2023年4月1日(土)
恩師から頂いた絵 (2) 堀江道雄先生
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恩師の二人目は堀江道雄先生だ。1年目にドイツ語を教えて頂いた。度々教官室にお邪魔して 親しくお話を伺うこともあった。先生は山登りの愛好家で 身なりはあまり気にしないが清潔感のある大柄のイメージだった。初夏の頃 茨城の私の実家から送られてきたメロンを差し上げたら そのお礼で3メートル位の巻紙のお手紙を頂いて驚き恐縮した。内容はメロンの謝意とその頃に行った札幌岳近くのガマ沢川の沢登りの随想だった。約1/3はスケッチ風の水彩画で 先生は焚き火の横で 仲間はフキの葉屋根の仮小屋でくつろぐ様子が描かれていた。沢の流れと焚火の音が聞こえる絵だ。
当時はメロンは初夏にならないと出回らない貴重品ではあったが 部屋の中に広がるメロンの匂いは季語だったのかもしれない。
残念なことに保管が悪くて変色した部分もあるが その晩の夕食のメニューは イワナの塩焼き・羊肉の石焼き・焼きナスの沢水冷やし・ピーマンの串焼き・ブランデーティー とある。
私にとっての堀江先生は 最近のWBCでの「村上選手・栗山監督の関係」に似ていたのかも知れない。当時の自分は勉強もしないでクラブにうつつを抜かすダメ学生で 語学では予習をしないのは話にならないのに それでも先生の部屋に出入りしていたのだからひどい鉄面皮だった。
その講義のテキストは”Eis und Gletscher”(氷と氷河)だった。この主題もあってか 「次回はあなたに 一人でやってもらうから」と言われた。当日も予習をしないで出向き 丸一時間(90分)一人で逐語訳をやることになってしまった。もちろんシドロモドロになったが 先生は我慢強く続けてくれた。また この荒療治に付き合ってくれたクラスメイト達にも迷惑をかけた。これは先生が私を励ますためだったのは明らかで 「あきらめずに使い続けるのは村上・栗山の関係と同じ」だが 「最後までダメだったのは大きく違う」。本当に情けないことだった。
その時以来 講義には出なくなってしまい 当然 ドイツ語は不可で 卒業まで再履修を受けることになった。この失敗はほぼ半世紀を経た今でも「大きな後悔」として残っている。あの時に一念発起していたら 私の人生もだいぶ変わったものになったと思う。
先生の専門はドイツ文学だが 研究論文をたくさん書いて昇進するとかは無縁とお考えだったようで 「何が本質なのかを考えることが大切だ」 と常々言っておられた。その頃に伺ったことの一つ一つが自分の心の支えになり 恥ずかしい大失敗がその後の自分を鼓舞してくれたと思うし 今も続いている。先生とのかかわりを今流の教育論に変質させるつもりは全くなく ただただ先生のご配慮に感謝している。


私にとっての堀江先生は 最近のWBCでの「村上選手・栗山監督の関係」に似ていたのかも知れない。当時の自分は勉強もしないでクラブにうつつを抜かすダメ学生で 語学では予習をしないのは話にならないのに それでも先生の部屋に出入りしていたのだからひどい鉄面皮だった。
その講義のテキストは”Eis und Gletscher”(氷と氷河)だった。この主題もあってか 「次回はあなたに 一人でやってもらうから」と言われた。当日も予習をしないで出向き 丸一時間(90分)一人で逐語訳をやることになってしまった。もちろんシドロモドロになったが 先生は我慢強く続けてくれた。また この荒療治に付き合ってくれたクラスメイト達にも迷惑をかけた。これは先生が私を励ますためだったのは明らかで 「あきらめずに使い続けるのは村上・栗山の関係と同じ」だが 「最後までダメだったのは大きく違う」。本当に情けないことだった。
その時以来 講義には出なくなってしまい 当然 ドイツ語は不可で 卒業まで再履修を受けることになった。この失敗はほぼ半世紀を経た今でも「大きな後悔」として残っている。あの時に一念発起していたら 私の人生もだいぶ変わったものになったと思う。
先生の専門はドイツ文学だが 研究論文をたくさん書いて昇進するとかは無縁とお考えだったようで 「何が本質なのかを考えることが大切だ」 と常々言っておられた。その頃に伺ったことの一つ一つが自分の心の支えになり 恥ずかしい大失敗がその後の自分を鼓舞してくれたと思うし 今も続いている。先生とのかかわりを今流の教育論に変質させるつもりは全くなく ただただ先生のご配慮に感謝している。