202397(木)

カルルスの鈴木旅館 いい温泉だった


カルルスの鈴木旅館 いい温泉だった

 30年ぶりぐらいに登別温泉の奥 カルルス温泉の鈴木旅館に行った。実は北京の大学生一行のサマースクールを登別温泉と思ったのだが 値段のリーズナブルな予約が取れなかった結果なのだが。先にも書いたが最近は旅行客が戻ってきたので どこでも安い部屋からどんどん埋まっていくそうだ。
 鈴木旅館は工事足場が組まれていた。雪で屋根が傷んだための補修とのこと。玄関の手前に何かいるのが見えた。
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 近づいてみると何とネコだった。
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 これは招き猫なのだろうか。女将に聞いたら「みんな捨て猫」で いつの間にか来るので避妊手術をして飼っているとのこと。こんな山奥に捨て猫したら「死ね」ということなので「元の飼い主の責任は重大」だ。<飼猫を山に放しても山猫にはならない>
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 この鈴木旅館は30年前でも古めかしい印象だったが よく見るとちゃんと手入れはされていた。
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 昭和ロマンが満載だ。
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 客室は30室ぐらい。女将に伺ったら 従業員は現在は住込みはおらず 全員アルバイトとのこと。お客は戻ってきているのに ご主人と二人なので非常に大変とのこと。10月からは外国人研修生が来るが これまた大変そうだった。
 30年前は山の中の旅館にもかかわらず和服の女将が夕食時に挨拶をしていた記憶がある。それを伝えたら 今のご主人の母上とのこと。人手不足が解消して 女将の挨拶が復活するのを期待する。
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 温泉は建物の一番奥にあった。入口に「有生(ありお)」温泉の由来の看板があった。
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 浴室の撮影は禁止だったので 早朝に脱衣所の窓越しに撮影。露天風呂はないが内湯が3つあり 一番奥の湯舟が低温で適温だった。登別温泉から山一つしか離れていないのに温泉の質は全く異なっていた。PHが7.4の単純泉 温度は46℃ 主成分はカルシウム・ナトリウム硫酸塩 全成分0.67g/kg。
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「本物温泉宣言」があり 源泉かけ流しで温度調整は湧水でやっているとのこと。
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 日帰り入浴もOKで 今どき500円なのは有難い。

 北京の学生達にとって温泉は初めての体験だったようで 珍行動も結構あった。まずは パンツのままで浴室に入って来たのであわてて注意。先客が一人静かに入浴していたが 黙って出て行ってしまった。誠に申し訳無いことだった。
 学生たちに伝えたのは 「昔の日本人にとって温泉は医療・治療の手段だった。だから お湯を汚さないように 衣類は禁止 タオルも入れない そして静かに入浴する」と伝えた。誰でも慣れないことは間違えるが 注意されてからが大切だ。幸い彼らの学習能力は優れていたので その後は安心だった。



202396(水)

白老のウポポイ(2) 丸一日は欲しい


白老のウポポイ(2) 丸一日は欲しい

「体験交流ホール」から「国立アイヌ民族博物館」に移動する。この建物はウポポイの中核で堂々としたたたずまいだ。
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 入館してエスカレーターで2階に上がると アイヌ文化の展示があり 説明も丁寧にされている。
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 各地のアイヌの紹介もある。これは阿寒湖のアイヌコタン。
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 1階に降りると ミュージアムショップがあり なかなか充実している。特に書籍は「こんなに出版されているんだ」と驚いた。
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 すべて読みたいぐらい興味深かった。多分どこかに蔵書されているだろうと思い 出口近くの図書室を覗いてみたが「書名を言って頂ければ書庫から出してきます」とのこと。「開架の方が利用しやすいのに」ちょっとサービス不足か。
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 ウポポイのクッキーもあった。センスもいい。
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 やや歩き疲れたので ショップ横の席で珈琲を飲む。なかなかいい木製の机・イスだった。ポロト湖の眺めも良い。
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 建物を東側に出ると胸像があった。ポーランド人の方で この白老に定住してアイヌの研究をしたらしい。
 そういえば昔のポロトコタンには入ってすぐに高さ数メートルラの巨大アイヌの像があったが どこに行ったのか見かけなかった。
 今回のウポポイ・民族共生象徴空間だが アイヌ文化は奥が深いので 見学には丸一日は必要だ。ポトロ湖の温泉か虎杖浜温泉に一泊してゆっくり回るのもありだろう



202395(火)

白老のウポポイ(1) 格段の充実


白老のウポポイ(1) 格段の充実

 懸案だった白老のウポポイにやっと行くことが出来た。昔に比べると格段に充実した施設になっているが この日はあいにくの雨で 屋外の移動はちょっとつらかった。
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 入口の郵便ポストも落ち着いたデザインだ。
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 長いエンタランスとゲートを過ぎた左側に「体験交流ホール」があった。ここではアイヌの伝統舞踊を見ることが出来る。昔は一番奥のチセの中でやっていた舞踊を今流のホールで鑑賞できる。たた席の予約は当日のみなので 雨の中をゲートから走って確保に行くような有様だった。
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 ホール内の写真撮影は出来ないので 公演が終わってから外観を撮影したら 舞台の背景にきれいに見えたポロト湖畔の景色はこの大窓からなのがわかった。一方 奥には茶色の三角屋根が2つあったが これは新たにできた星野リゾートの施設とのこと。
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 敷地の奥にどんどん進むと 屋外の施設はほぼ昔のままなのだろう。丸木舟もあった。
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 奥にあるチセ群。なにか飛騨高山の古民家群の雰囲気を感じた。
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 従来はこのチセで伝統芸能の公演があったのだが その方が実際に即しているという意見もあるだろう。難しいところだ。今回このチセでは煙が出ていたので何かをやっていたようだ。サケの燻製かな。



202394(月)

中国餃子の作り方を学ぶ


中国餃子の作り方を学ぶ

 北京から来た大学生と自分の山仲間の高齢者の交流会をニセコの五色温泉別館で実施した。日本側は餅つきを教え学生は中国餃子を教えるという交流会だった。最近の社会的情勢から多少心配はしたのだが 顔を合わせた瞬間に「祖父母と孫の関係」だった。写真は北京の学生と引率の先生。
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 材料の買い出しに倶知安のスーパーへ。
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 買ったのはニラ・長ネギ・白菜・豚ひき肉・タマゴ・むきエビ・調味料などなど。後の話だが野菜の質は良いとお褒めを頂いた。
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 これはむきエビのみじん切り。野菜は別に混ぜた。少し驚いたのは各食材は下味をつけた後で別々の餃子にすること。核心の調味料は北京から持ってきたらしい。
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 餃子の皮作り。薄力粉に水を加え うどん作りのように良くこねて 一個の皮は50円玉位のボールにしてから木棒で伸ばす。学生も皆上手だ。
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 ここでは野菜と炒りタマゴを混ぜたものを包んでいる。当然手際がいい。
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 結果として5種類の餃子が出来上がり。実は地方によって中身も大きさも微妙に違うとのこと。これを熱湯で茹でるのだが 中国では水餃子で焼き餃子は皆無に近い。パンや麺のように主食なので一人15個位は食べるんだそうだが この日は総勢が35名でつきたての餅もあるので通常の半分を目途にしてもらったが それでも400個位はあったと思う。
 食べる時の調味料(タレ)は酢・醤油・ラー油などだが これは北京から運んで来てもらった。
 中国では男女ともに普通に家事をするので 餃子くらいは皆作っているようだが それにしても手際が良いのとおいしいのには日本側の老人たちは脱帽だった。
 近頃の両国の社会情勢はどこ吹く風で「食べ物は人をつなぐ」を実感した交流会で大成功だった。



202393(日)

小樽の運河通り 人出が戻って来た


小樽の運河通り 人出が戻って来た

 9月1日に小樽運河に行った。運河通りに並行する「出抜き通り」にはあいにくの雨なのに人があふれていた。コロナで冷え込んだ観光地の人出は復調したのではなかろうか。

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 「小樽出世前広場」とは聞いたことは無かったが 日傘を釣って飾ってあった。
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 洋菓子のデパートの「ルタオ」にも結構な人がいた。
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 定番の「北一硝子」は相変わらずにぎわっている。
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 ゆっくり品定めしている外国人。以前のようにがつがつしていない。
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 一方で 恐らくコロナに持ち切れず閉店したお店がぽつぽつあった。
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 観光バスから続々と人が降りてくる。
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 バス駐車場は半分以上が埋まっていた。
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 この付近ではコンビニが極端に少なくて両端にローソンとセコマがある。結構離れているので ある意味不便だ。ローソンの看板は茶色ベースで周囲の景観に配慮されている。

 コロナ前 この通りで聞こえたのは外国語ばかりで日本語はさっぱりだったが 今回はだいぶ日本語も聞こえたので これからは外人観光客は増えていくのだろう。「にぎやかな所がにぎやかなのはうれしい」ものだ。
 一方で 観光関連業はチョットしたことで天地がひっくり返るほど影響を受けるので ちゃんとした準備が必要だろう。



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Elmtree
 もともとアウトドア大好き人間ですが 時間の制約から残念な思いをしてきました。2019年春に友人の協力を得て 十勝清水にMountain Cabinを自作するプロジェクトを始めました。若者を巻き込んで いつでもバトンタッチできる体制を心がけています。また近くの「遊び小屋コニファー」は アウトドアの大先輩としてリスペクトしています。なお 街・探検・文化については別ブログにしました。Elmtree2をご覧ください。

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