2023年11月1日(水)
北京の伝統中華料理『老北京』
e 北京・中国×55

久々に中華料理をおいしくいただいた。北京には全中国から人が集まってくるので基本的に何れのスタイルの料理も食べられるのだが 特に『老北京』というのもあるようだ。老北京は『古くから北京で生まれ育った人達』というぐらいの意味らしい。清朝の宮廷料理や人々が各地から持ち込んだものを改良した鍋料理・マトン料理・牛豚料理・野菜・スープなど多種に及ぶ。日本の京料理のようにやや上品な感じがしないでもない。
『北京ダック』は老北京の代表になるようだ。カリっと焼いたダックの皮と辛味噌と野菜などを薄い餃子の皮のようなもので巻いて食べる。お店により皮だけしか食べなかったり身まで食べるのがおいしいとか千差万別だ。自分としては『もちろんおいしいのだが 実は苦手なものの一つ』で オイリーすぎて私の年齢には合わないと思っている。
一番気に入っているのがこの羊肉の鉄板焼きで 清朝や元朝の影響なのか 羊肉を香料・香草を混ぜて小鉄板で焼いたものは特に美味しい。写真はだいぶ食べてしまってからで恐縮です。
次においしいと思うのは牛肉・キノコの炒め物だ。これは適度に柔らかい。
これは骨付き豚の野菜煮になるのだろうか。簡単に外れる肉と野菜を万頭にはさんで食べる。
中央は揚げた(川?)魚の丸かじりで 下の茶色の塩コショウのようなものを適当につけて食べる。最初は北海道のコマイに似た印象だったが 白身でおいしかった。
ここは大学構内の特別食堂で 学生・職員はもちろん一般も利用でき 価格もリーズナブルだ。小グループ用の小部屋もたくさんある。単身赴任の時は大変にお世話になったのだが コロナ前とちっとも変っておらず安堵した。
『食と家族と会話』は中国の人にとってすごく大切で 特に食は『いつどこにいても食を考える』『同じ食材をどう料理するかを考える』『四つ足は椅子以外はみな食べる』のだそうだ。万国共通と言えばそれまでだが 食の重要性は一般的日本人の感覚を超えていて その情熱はある意味うらやましい。
『北京ダック』は老北京の代表になるようだ。カリっと焼いたダックの皮と辛味噌と野菜などを薄い餃子の皮のようなもので巻いて食べる。お店により皮だけしか食べなかったり身まで食べるのがおいしいとか千差万別だ。自分としては『もちろんおいしいのだが 実は苦手なものの一つ』で オイリーすぎて私の年齢には合わないと思っている。





『食と家族と会話』は中国の人にとってすごく大切で 特に食は『いつどこにいても食を考える』『同じ食材をどう料理するかを考える』『四つ足は椅子以外はみな食べる』のだそうだ。万国共通と言えばそれまでだが 食の重要性は一般的日本人の感覚を超えていて その情熱はある意味うらやましい。
2023年10月31日(火)
北京に到着『石炭の匂い』がした
e 北京・中国×55

仕事で北京に来た。コロナ以降は初めての中国だった。最近の両国の政治・経済の情勢には困ったものだが 四の五の言っても仕方がないので 来ることになった。
北京便やソウル便は羽田を出ると富士山の北側を通ることが多いので 左側のシートに座っていたら 予想通り離陸後10分ほどで富士山を見ることができた。もちろん天気が良かったこともある。
全日空の便とは言え圧倒的に中国の人が多かった。ただし 一時期のような団体客ではなく 個人旅行が多数と見た。この辺は確実に変わったようだ。
その日の宿泊先の京急川崎を朝6時に出た。結構 清々しかった。
それからゴタゴタして 羽田発は9時前。天気はよさそうだった。ガラスの反射はご容赦。
ちょっとウトウトしていたら12時(現地11時)過ぎには北京首都空港に着いてしまった。3時間強。それぐらい近い距離だ。ドアが開きターミナルに入ったら『石炭の匂い』がした。石炭は5~6年前に首都圏では禁止されたはずだが 一部にはまだ使われているのかも。これは『中国の匂い』と言うべきだろう。
やや昔の話だが アメリカの友人が成田に着いたら『味噌汁と醤油の匂いがした』と言っていた。それは日本の匂いなのだろう。さらに言うと『牧場の匂い』は十勝の匂いになる。
今回の仕事先 北京科技大の正門。北京郊外の北西部の大学エリア(北京大・精華大)の一角にある。写真でも少しモヤっている。5~6年前のひどい大気汚染に比べればだいぶ改善されたが 暖房の時期にはある程度は出るのかも。満月に近いために モヤの中に丸い月が浮かんでいた。
この大学は今時珍しい毛沢東の巨大像がある。写真の中央の白く見えるのがそれだ。
晩飯に構内に入ったのは6時過ぎだったが 通りは学生であふれていた。中国の大学は基本的に全寮制なので夕飯時の日常風景だ。ちなみに講義は夜もある。多数の人を見ると『ああ北京に来たな』と思う。ここ2週間ほどは十勝ネタを離れて北京ネタを紹介したい。
北京便やソウル便は羽田を出ると富士山の北側を通ることが多いので 左側のシートに座っていたら 予想通り離陸後10分ほどで富士山を見ることができた。もちろん天気が良かったこともある。
全日空の便とは言え圧倒的に中国の人が多かった。ただし 一時期のような団体客ではなく 個人旅行が多数と見た。この辺は確実に変わったようだ。



やや昔の話だが アメリカの友人が成田に着いたら『味噌汁と醤油の匂いがした』と言っていた。それは日本の匂いなのだろう。さらに言うと『牧場の匂い』は十勝の匂いになる。



2023年10月30日(月)
久々の川崎の街 便利さに気づく
d その他の場所×46

羽田の乗り継ぎで 本当に久々に川崎に泊まった。『最近のインバウンドの盛況で交通の便の良い所では安いホテルからどんどん埋まる』のはホントで 羽田付近のビジネスホテルは全く取れなかった。次善の策として京急川崎付近を選んだ。このほうが品川に行くよりも早い。
千歳を出るときは曇天で 付近は完全な紅葉モードだった。天気さえよければこの方向に日高山脈が見えるのだが。。。
羽田に着いておどろいたのは10月下旬なのに暖かい。向こうには夏雲も見える。『何じゃこれは?』という感じ。
20分もしないで京急川崎に到着。駅前は『旧東海道川崎宿の面影』をたどれる街並みがある。
東京在住との会食には時間があり過ぎて ウロウロしてコメダ珈琲へ 『シノロワールセット』なるものを頼む。大きいドーナツの中にソフトクリームを入れたようなものだ。まあまあだった。
その後 待ち合わせのタイ料理レストランへ。駅前ビルの地下にあり 看板を見ると隣の『怪獣酒場』の方が目立っていた。
目的のタイ料理『チャオ・タイ』だ。地味だが雰囲気はよい。
3人で会食。タイ料理はもう10年は食べていなかったろうか トムヤンクはおいしく 満足。
で 向かいの怪獣酒場だが これは入り口からして勝利だ。酔った客ならこちらに入るだろう。中には特大のフィギュアが見える。
本当に久々の川崎の街だった。15年以上前なら重電のT社の関係で来ることもあった。歴史的には『川崎は労働者の街として横浜と比較された』が 今やそんな雰囲気も薄れ『普通の街になった』というのが印象だ。交通の便や物価からして前泊には悪くない選択だった。
千歳を出るときは曇天で 付近は完全な紅葉モードだった。天気さえよければこの方向に日高山脈が見えるのだが。。。







本当に久々の川崎の街だった。15年以上前なら重電のT社の関係で来ることもあった。歴史的には『川崎は労働者の街として横浜と比較された』が 今やそんな雰囲気も薄れ『普通の街になった』というのが印象だ。交通の便や物価からして前泊には悪くない選択だった。
2023年10月29日(日)
愛犬の散歩道 10月下旬札幌の紅葉
a 他トピック Others×213

愛犬が亡くなってからは公園の散歩に行かなくなってしまった。今更ながらだが『自分の健康にも貢献してくれていた』と思う。その代わりジムに週二回は行くようになったが 実は全然面白くない。
10/26にたまたまタバコが切れたので 早朝にコンビニに向かった。この日の札幌は急激に寒気が入り 朝霧のなかの紅葉が目についた。愛犬の散歩道を通ったら結構な紅葉だった。落ち葉の絨毯も見事だ。
表通りから西を見ると 正面にあるはずの手稲山が全く見えない。真上の空は青いのでこれはまさしく朝霧のせいだ。
モミジは見ごろだ。
大木のプラタナスは葉は乾いたが 黄葉はまだのようだ。
公園横の豪邸の庭では白菊・紅葉・鈴なりの柿が見事だ。最初は鈴なりの蜜柑かと思ったぐらいだ。
柿と言えば 本州から渡って来た頃には北海道では見たことがなく『カキの枝は裂けやすいので雪の重みでやられるのか』と思っていたのだが 最近は随所でみられる。それでもこれだけの鈴なりは珍しい。ご主人に伺うと『アルコールで渋を抜き 知り合いに配りまくっているのだが 最近は成り過ぎて困っている』とのこと。よもや温暖化の影響が出ているのか?と思ったりする。
北大の銀杏並木もこの週末はライトアップと聞く。札幌の秋も本番だ。
10/26にたまたまタバコが切れたので 早朝にコンビニに向かった。この日の札幌は急激に寒気が入り 朝霧のなかの紅葉が目についた。愛犬の散歩道を通ったら結構な紅葉だった。落ち葉の絨毯も見事だ。





北大の銀杏並木もこの週末はライトアップと聞く。札幌の秋も本番だ。
2023年10月28日(土)
愛犬シュバの最終埋葬
愛犬シュバ×38

愛犬のシュバ(ジャーマンシェパード♀)が4/17に亡くなり その後はお骨にして手元に保管していた。家内から『ちゃんと自然に返してあげたほうがいいよ』とのアドバイスがあり 意を決して十勝ヒュッテの一角に最終的に埋葬した。考えてみれば半年もそのままにしてしまった。写真は十勝ヒュッテの開拓を始めた2019年秋 ご近所のコニファーにて。当時8歳。
最終埋葬の前の記念写真。多分 人間の骨壺の流用だろう。
実は 最後の一年はほぼ寝たきりになったため 昨年秋の敷地整理の時に埋葬場所を決めてユンボで穴を作ってあった。
来年にはコンクリートと自然石できれいな墓にするつもりなので ニレとシラカバの間の埋葬点が分かるようにした。ここは南向きの明るい場所なので 往年にかわいがってくれた方々も来訪時にお参りしていただけると思う。
『敷地の中に墓を作るのはいかがなものか』とのご意見もあるとは思う。が 土葬ではないし 欧米では敷地内に(人間の)墓地もよくある。要は『きれいなお墓』なら問題はないと思う。



『敷地の中に墓を作るのはいかがなものか』とのご意見もあるとは思う。が 土葬ではないし 欧米では敷地内に(人間の)墓地もよくある。要は『きれいなお墓』なら問題はないと思う。